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北へふたり旅 66話~70話

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  北へふたり旅(70) 函館夜景⑤

 妻は石川啄木の大ファン。ちかごろは歌も詠む。
啄木のこころのふるさとは生まれ育った渋民村でも、長くくらした
東京でもなく、たった4ヶ月すごした函館だという。
何が啄木をひきつけたのだろう。

 渋民村を出た啄木は、北海道へ行くことを決意する。
妻の節子とまだ5カ月の乳飲み子、京子を盛岡の実家へ戻し、
妹を小樽の姉の家に行かせ、ひとり函館をめざす。
まさに絵に描いたような一家離散。

 北海道へわたったのは明治40年5月。
22歳になった啄木が、函館青柳町・松岡蕗堂の家へ転がりこむ。
居候の身の中、職を転々としていく。
5月。紹介された函館商業会議所を、20日間でやめてしまう。
6月からつとめはじめた弥生尋常小学校の代用教員も、1ヶ月でやめてしまう。
そんな中、7月に節子と京子を函館へ呼びよせる。

 8月。文才を見込まれ、函館日日新聞に勤める。
しかしそのわずか1週間後。
東川町から出火した火がおりからの大風にあおられ、函館の町を焼きつくす。
市内の3分の2が焼失し、新聞社も焼け落ちる。

 いっときの職を求め、多くの人が札幌をめざす。
9月。啄木も札幌へ入る。運よく北門新報の校正係にありつく。
月給は15円・・・という記録がのこっている。

 「函館で過ごした4ヶ月の間に何があった?。
 なぜ啄木は、死ぬなら函館と決めたんだ?」

 「啄木は自信過剰の文学青年。
 小説にも興味をもっていたようです。
 歌人として知られていますが、函館へ来る前は
 長文の詩ばかり書いています。
 函館で歌人たちと交流していく中、歌への情熱を取り戻したようです」

 「歌人として再出発した地、それが此処なのか」

 「それだけではありません。
 恋多き人生をおくった啄木が、ここでも女性に熱をあげます。
 お相手は教員の橘智恵子さん。
 君に似し姿を街に見る時の こころ躍(をど)りを あはれと思へ
 かの時に言ひそびれたる 大切の言葉は今も 胸にのこれど
 どちらも智恵子さんを歌ったものです。
 一握の砂に智恵子さんを歌ったものが、22首も登場しています」
 
 「妻ある身で同僚の教員に片想いか。やるなぁ。啄木も」

 「啄木の人間性について、とかくの議論があります。
 でも人生は裏と表があるから楽しいの。
 はたらけどはたらけど 猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る
 と歌いながら知人から平然と借金を重ね、そのお金で女を買う。
 まるで詐欺師です。
 信じられない感性の持ち主です。啄木という人は」

 「でも君はそんな啄木が大好きなんだろう?」

 「わたしが好きなのは啄木の歌だけ。
 破天荒で、破滅的で、破廉恥な人生を生きた人です、啄木は。
 女性にはしる男なんて大嫌い。
 日本語で巧みに操る、啄木の歌が大好きなだけです」

 青い外灯のなかに、二十間坂が浮かんできた。
石畳のくだりの先。今夜の宿、函館ベイの赤い壁が見える。
妻が南を指さした。

 「この先。啄木が家族で住んだ青柳町。
 ロープウェイ駅から100メートルほど先に、黒漆喰の建物が残っています。
 啄木の妻、節子も通ったという質屋さん、旧入村質店。
 いまは茶房として営業しているそうですが、残念ながら6時でおわりです」

 戻りましょう。妻がわたしの手をひく。
「おう」と答える。青い外灯に照らし出された舗道をくだりはじめる。
こんなにひろいのに、車はほとんど登ってこない。
下に見える交差点で、右と左へ車が消えていく。
はんぶんほど下った時、ようやく一台の車が横を通り過ぎた。
このあたりに住む人だろうか。
ウインカーをチカチカと点滅させたあと、細い路地へ車が消えた。

 
 (71)へつづく