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つまらない話なので画像の僕が相応のサイズになっている

災害復興ボランティア団体に所属した僕にとって、3.11の震災は人生で一番の大仕事でもあった。

団体が用意した制服に着替え、福島に入り込んで最初に住民から言われた言葉は「このボケナス! もっとはよ来いや!」

統一された制服を着ていたボランティア達は、行政職員と間違われ、罵声を浴びせられる事はしばしばあるらしいが、僕にとっては前例がなかった事であり、3.11のような異常な大規模災害については、ボランティアのベテランですら想定外の出来事が多かった。

まず津波で海水が町に入り込んで引いた後の状態というのは魚が腐った様な異臭を放つ。街全体から異臭が漂い、その中で遺体の掘り出し等の活動をしてなくてはならない。

人間の死体は小さくて気付かないが、家畜牛の様な巨体等目立って転がっていて、足や頭部が切断された状態もあり、グロイ光景に目眩やら吐き気やらをもよおす人も多い。

ボランティアを罵声する人達は切実な状態であるのを認識しているからだろう。それは現地の有様をみれば誰もが理解できたし、言葉通りに受け取らなくてもいいことだか…。

しかし、僕は気にしていた。
活動中、活動後以降も僕の頭は、その罵声が繰り返し響いた。

僕がその罵声を気にする理由は、親父に言われた言葉と似ていたからでもある。
「このボケナス!」
僕は父親によく、そう罵られ、家の手伝いをやらされていた。

【手伝い】なのか、【親の人生の尻拭い】なのか分からない業務を押し付けられる日々に、いつしか不良の道を歩んでいた僕だった。
僕は気付いていたのだと思う。。親の言い分は全てが甘えだっということに

ボランティアに罵声を浴びせる現地人もその意味では似ている。港町は津波リスクと共にあるのは承知の上であるのに、そこに自己責任を一ミリも感じていない人がいる。

親と同じくであり、そんな人に言われるがまま従うのは単なる甘やかしであり、【役に立ってる】訳ではない。

僕は知っている。
どんな仕事であっても賃金報酬あるし、どんな仕事をしても、その業種の雇用枠を一つ奪ってしまう仕組みがある。純粋に人の役に立つ事とは利益が発生しない事、つまり損するところからしか役に立つ行為は存在し得ないものだと知っている。

紆余曲折ありながら僕はボランティア参加しているが、、震災で出会った最初の住民は、僕とっては父親そのものの様な人だった。

他にも救援を必要としている人は沢山いる。1000人中1人程度の罵声なんて気にしてたら僕らの方が病んでしまう。ミイラ取りがミイラになっては本末転倒であり、僕も他のボランティア達と同様に、その時は集中して活動をしていた。

とはいえ、余計な感情が脳裏を過る。
父親に怒鳴られ、家の手伝いをやらされてるとき、イライラして妹に八つ当たりした事を思い出がフッラッシュバックしてくる。

僕は否が応でも考えていた。もし罵声を浴びせた人を救済対象から意図的に排除したら、どうなるか考えていた。
必然的にストレスのはけ口は弱者に向かうのだろうこと。僕が妹に八つ当たりしたのと同じように、誰かが被害を被る。

奉仕が単なる甘やかしだったとしても、援助を行うなのは意味が無いとは、言いきれない。だからこそ、この活動をしているのだが、今日は妹の事を想わざる得ない。

家を出て置いて来た妹…

僕が親を拒んだ分、妹がその分親を援助する羽目になっているはずだった。

元々裕福でない実家。ボランティアをして他人の為に生きるなんて余裕はない筈で、僕の生き方は分不相応でもあった。

僕は妹がどうしてるか、ときどき連絡は取り合っていたが家の実情は怖くて聞けなかった。

妹は元気にしてる。だから案外大丈夫なのだろうと深くは考えていなかった。

僕が家には戻りたくないのは、親に会いたくないから、というのが大きな理由であるが父親は既に死んでいる。

僕が家を出て10年もせずに死んだ。

僕は父親の葬式に出なかった。父親を恨んでるから、だけではない。

親孝行をしたくても出来なかった母に対して、合わせる顔がないから、家に帰りたくないのである。

僕が家を出る頃には家の財政は破綻していた。それは父親が他界する前から続いていて、祖父、祖母の介護負担にて家計は火の車だった。

僕が子供の頃はともかく、大人になる頃には、不幸せな親しか見なかった。介護に追われた親たちを見て、将来に希望は持てなかったし、不良してた分、誇れるものはなかった。将来、親の様に介護人生をして苦労しなきゃいけない未来を思い絶望した。

社会での居場所も家庭での居場所も両方無かった僕は、実力も肩書きも一切関係ない世界であるボランティア業界に、だからこそ興味を持ったのだと思う。
リア充しか参加しないようなボランティア活動。それに参加する事で、自身がリア充であるかのように錯覚することで心の安定を得られた。

僕の心を支えたのは、奉仕の精神であり無償の奉仕であるが、実際は僕自身が家庭環境の逃げ場、或いは人生の逃げ場として選んでいただけだった。

その事について、これまでも自覚しなかった訳ではないけれど、多くの死体を見ている今日は、強くその事を自覚させられていて…

母と妹が気になって仕方がない。
だけど、親孝行できた選択肢を切り捨ててきた僕は、今更、どんな顔をして親に会いに行けばいいか分からない。


僕にも
親に甘えた記憶が少しだけあった。
兄貴だからと、多くを我慢する日々が当たり前だったけれど。
 
我慢を辞めて家出した自分に強い後ろめたさを感じていた僕は、戻るにしても何らかの稼ぎが必要だとも思っていた。しかし、今の僕にはそれらしい肩書きもなければ、底辺の仕事を頑張る気力もなかった。

親を支える為に生まれた訳じゃない。

同期の世代は皆就職して恋愛したり結婚したりしている。

僕はボランティア活動の際に貰える誰かの笑顔が生き甲斐だった。もしボランティアしていなければ不良のままで、万引き人生なんかを繰り返して、犯罪者人生から抜け出せなくなっていたかもしれない。

僕はこれまでのボランティア人生で散々人に奉仕してきた側だったから、人より頑張ってる自負心があった。
なぜこれ以上がんばって親孝行しなきゃいけないのか、僕自身でも納得がいかない。

同時に自身の日々の生活、経済がカツカツなのも全く納得がいかない。

人よりスタートラインが悪いだけ、人より家庭にちょっと多くの不幸があっただけ。人生で怠慢してたのは、子供の頃だけで、それ以外はボランティアでずっと頑張ってきた。

それなのに同世代と比べて何もない。

将来の行く末を意識すればするほど、現在の自分の存在が否定されている様な気がする。
何かを得たいなら犯罪をして得なければ割に合わないとすら僕は思う様になっていた。

そんな中、ボランティアメンバーの1人が暴行を受けた。
自衛隊が多くいるとはいえ、その監視がある訳でもない。
トイレに行く場合は、簡易式の使い捨ての紙トイレで済ます為に、夜多くの人は懐中電灯を手に、外の林に入っていく。
作品名: 作家名:西中