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最後の晩餐

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「今日は母さんの好物ばかり用意したわ」
 淑子がそう言うと、母親の淑江はにっこりとほほ笑んだ。
「そうかい? 楽しみだねぇ」
「まずお刺身でしょ、本マグロの中トロと鯛、それにイクラよ」
「本マグロに鯛かい? 良く手に入ったねぇ」
「イクラも人造ものじゃなくて天然もの」
「それも、こんなにたくさん?」
「だって、今日は……」
「そう、あたしの八十五歳の誕生日だったねぇ」
「だから……あとは茶わん蒸しに脂ののった塩鮭、それと大根のお味噌汁」
「煮物も作ってくれたんだね」
「お母さんが教えてくれた煮物……上手に出来たかしら」
「……うん、料理上手になったねぇ、もうあたしの煮物より上手に出来てるよ」
「これだけで良かったの?」
「これ以上は食べられないよ……ご飯も炊き込みにしてくれたんだね?」
「人参と牛蒡と油揚げ」
「そうそう、炊き込みご飯ではこれが一番好きなのよ」

 全てを美味しそうにたいらげ、最後にみそ汁を飲み干す。

「ご馳走様、とても美味しかったよ……ありがとうね」
「……お母さん……」
「さよならだね……今日まで良くしてくれてありがとうね……」
「そんな……お父さんが早くに亡くなって女手一つで大学まで出してくれたお母さんだもの……恩返しなんてどれだけしてもし切れないのに、たったひと月しか……」
「良いんだよ、子供の幸せを願うのが親ってものなの、お前にもわかるだろう?」
「ええ……」
「お父さんにはさっさと逝かれちゃったけど、お前がいてくれたからあたしは幸せだったよ、離れて暮らしていてもお前が元気で頑張ってる、孫たちもすくすくと育ってる、それがわかってるだけで充分……」

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 205X年、政府は『人生八十五年定年制』を施行した。
 歯止めのかからない少子化に加え、医療の進歩によって平均寿命がとうとう百歳を超えてしまった状況にあって、年金制度を何度も見直し、その都度削減して来たが、それももう限界を迎え、ついに苦渋の決断を下さないわけには行かなかったのだ。
 八十五歳の誕生日を迎えた老人は安楽死させられることが定められ、その方法は家族に委ねられるが、家族がいないもの、家族がそれを拒否した場合は政府の手によって病院に送られ安楽死させられる。

 淑子には夫も子供もあり、会社でも重要な役割を担っている、結婚して家を出て以来この母とも長いこと離れて暮らして来た、だが、このひと月は全てを人に任せて母とふたりきりの時間を作り、それは淑子にとっても幸せな時間となった、だがその時間も今、静かに終わりを告げようとしている、淑子が泣く泣く味噌汁に混ぜた薬によって……。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

「『最後の晩餐』をありがとうね、最後に良い思いが出来たし、思い出にもなったよ、もっとも、思い出に浸れる時間はもうほとんど残ってないだろうけどね」
「……お母さん……」
「良いんだよ、今日まで元気に生活できたのもお前のおかげ、もうあたし一人じゃ自分の世話も満足に出来やしない……『ピンピン・コロリ』は理想的な人生の幕引きだよ……ああ、眠くなって来た……気持ち良く眠れそうだよ、お薬のせいかしらね……お布団に入らせてもらうね」
「……お母さん、眠っちゃったら二度と……」
「わかってるよ……でもそれで良いんだよ、お前のおかげで良い人生だったよ、あたしのところに産まれて来てくれてありがとうね……思い出すねぇ、お前が産まれて初めてこの手に抱いた日のこと、お父さんと三人でたくさん遊んだこと、お父さんを見送って二人で抱き合って泣き明かした晩のこと、夜遅くまで受験勉強してたお前に夜食を運んでやったこと、大学に受かって二人でお祝いした晩のこと、初めてのお給料で立派なレストランに連れて行ってもらったこと、初めて彼を連れて来た日のこと、孫を抱かせてもらった日のこと、可愛い盛りの孫ともたくさん遊ばせてもらったよ……ああ、あの子たちももう社会人になったんだねぇ、昨日のことのように思い出せるのにね……たくさんの思い出を貰ったよ、これ以上お前に負担を掛けないで済むと思えばそれも幸せさ、娘に見守られながら安らかに逝けるんだよ、思い残す事なんかない……気がかりなのは天国でお父さんはあたしだって気づいてくれるかなってことだけだよ、四十年も経っちゃったからね…………もう一度言うよ……あたしのところに産まれて来てくれて……ありがとうね……」
 淑江は静かに目を閉じ、永遠の眠りへと落ちて行った……。

「……お母さん……」
 
 最後に母が語ってくれた思い出の数々は全部淑子の思い出でもある……自分を産んでくれて、同じ時を過ごして来た母……。
 だが結婚して家を出てからは年に数回づつしか会っていなかった、夫を早くに亡くした母にとって自分はたった一人の家族だったのに……。
 三十年にも及ぶ長い年月、母はこの家に一人住み続けた、特に二十年前に退職してからは一日中ひとりで……きっと父と自分のことを思いながら暮らして来たのだろう……このひと月で三十年の埋め合わせが出来たとはとても思えない。

 ひと月前、最後の時を一緒に過ごすために半年ぶりに実家に来てみると、母の急激な衰えに心が痛んだ。
 雨戸がひっかると動かせず諦めて戻してしまう、長い時間立っていられないので料理をするにも椅子が要る、指先の力がなくなって缶詰を開けるのにさえペンチが要る、リモコンの電池の蓋を開けるにも苦労したのだろう、セロテープで電池が止めてあった。
 掃除機が動かないと思ったら紙パックがホコリで一杯だった、交換できずにいたのだろう、その代わりに箒が廊下にかけられていた。
 元は綺麗好きな人だったが、一度天袋から出すと仕舞うことが出来なかったのだろう、部屋の片隅に物が積み上げられていた……。
 自分が見ていなかったところで、母がどんな風に暮らしていたのか、想像すると少し切なくなった。
 それらの家事をやってあげると母は繰り返し繰り返し『ありがとうね』と言い、『世話掛けるね』とも言った……自分にとってはごく簡単なことばかりだったのに……。

 八十五歳の誕生日が近付くにつれて、淑子の心は重くなって行ったが、母の様子に特に変わったところはなく、前日ですら『ありがとうね』と『世話掛けるね』を言い続けていた、それを聞くたびに淑子は涙がこみあげて来た。
 そして、最後の言葉も『ありがとうね』……淑子は永遠に目覚めなくなった母の傍らで涙を流しながら言い続けた。
「お母さん……ありがとうね……ありがとうね……ありがとうね……あたしを産んでくれてありがとうね……あたしのお母さんでいてくれてありがとうね……』

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 役所へは翌朝連絡を入れた、安楽死の場合は最小限の葬儀であれば政府が用意してくれることになっているのだ。
 淑江の終の住家となった古くて小さい家の前に霊柩車が到着し、職員は眠るように安らかに横たわる淑江に深々と頭を下げ、運び出して行った。
 
 葬儀はささやかに、淑子の家族だけで見送った。
作品名:最後の晩餐 作家名:ST