短編集 くらしの中で
反面教師 その一
身の回りに反面教師がいるというのはまことにありがたいことである。
それも単なる付き合いというのではなく家族の中でそういう者がいれば猶更だ。
親なら自分が生まれてから大人になるまで、親が次第に年老いて看取るまでの経緯を見届けられるからだ。
一人子である私は片親しかいなかったが、母親にとっては宝物だったに違いない。
病院の勤務医として働きながら、お守りさんが連れてきた赤ん坊に滴るほど十分な母乳を授乳しながら育てたという。
私をどこかへ遣るという考えはもうとうなかったらしく、縁談があってもすべて断った。その代わりといっては語弊があるが、愛人なるものが遠く海を渡ってたまに来ていた。
職業は市立の総合病院から始まり、その後自宅でこじんまりとした医院を開業した。
玄関を改造して上がった所にある暗い座敷を待合室にし、隣室のフロアーの部屋を診察室にした。その隣の六畳の間が私室で母親と赤ん坊が寝起きしていたと思われる。
祖母が共に私の養育をしたと思うが、どの座敷に寝ていたのかはわからない。玄関には軒まである分厚い板の「●●医院」という看板が掛かっていた。
母親が病院に勤めていたのと開業した期間が、赤ん坊、幼児期、小学校低学年の期間中、それぞれ何年間であったかも定かではない。
その後私が小学三年生の半ばに母親は大阪へ単身出ていた。
その頃からの記憶ははっきりしていて、小三の残り半分を祖母と二人で暮らした。学校の友達が遊びに来たり近所の友達とも遊んだりして寂しいという思いはなかったように思う。
四年生になって母親の滞在している兵庫県に行くことになった。
そこからの生活は私の人生の中で一番輝いていた。一人で母親を待つ時間も多かったけれど、見るもの聞くもの、なにもかもがこれまでの暮らしとは一変した別世界で興味津々だったからだ。
それに身近に母親がいるというだけでうれしくて仕方なかった。
作品名:短編集 くらしの中で 作家名:笹峰霧子