短編集 くらしの中で
自分の子供との関係 その一
私には中年の娘が二人いる。
友人の多くも二人の子供を持つ者が多く、それも娘二人を持つ人と話す機会が多い。
子供が成人するまでは一様に親としてそれぞれの形で養育したと思われるが、子供がある程度大人として話ができる時期になると母親は二つのタイプに分かれるようである。
一つのタイプは、親の権力を今まで通り発揮し、子供は素直に親に従い、経済的には親への送り物を欠かさない。親が困っているわけではなくても、恩返しの贈り物をするのが義務だと思っているのだ。
両親の誕生日や父の日母の日には親が喜びそうな物を送り、母親はそれを当然のこととして周りの者に自慢する。
もう一つのタイプは、親は子供にあらゆるものを与え続ける。自分の愚痴など一切子供には告げず、子供の話を聴いてやる側いわばカウンセラーの役割に徹する。
子供が40歳50歳ともなれば、二つのタイプの親の違いは益々顕著になっていく。
親は次第に歳を取り、一方子供は大人としてしっかりした考えを持ち、家庭では子育てに紛争し、職場では重要な役割を持つ地位にある。
その時期になると、前者の親はもっぱら子供に寄りかかり、話すことと言えば自分の日常を事細かく子供に聴いてもらおうとする。子供のほうは家庭でも職場でも重荷を抱えた身でありながら、母親の話を聴かされる。母親の重たいものをどさっと抱えて必死で自分の身を守っているのだ。
母親の口から父親のことを愚痴られても、優しく受け止めはするがその父親は子供にとっては大切な存在なのだ。
母親は自分のことに夢中で子供の心情を察することができず、自分の周りの人への憤慨を逐一子供に伝える。子供は優しいから、そんなこと知ったこっちゃないと思いながら、ふんふんとさも同情したかのように聴いてあげる。
そういう母親を持つ子供は不憫だといえよう。
作品名:短編集 くらしの中で 作家名:笹峰霧子