短編集 くらしの中で
その三
認知症や鬱病とまでは行かなくてもこのコロナ禍の時代、独り暮らしの高齢者は話相手も少なくなり、特に趣味がない人の場合受け身の時間を過ごしている。
前章で書いた女性は、親密で頼りにしていた友人が来てくれるのを待ち、新聞やちょっとした読書をし、買い物と食事の支度で独りの一日が終る。
先日我家の庭が今小菊や藤袴の花盛りで、海を渡る蝶として名前が知られているアサギマダラが藤袴の蜜を吸いに毎日二時過ぎに飛来してくるので、それを見せてあげようと見に来るように誘った。
庭石に座って暫く話したが、待っている友人が一向に来てくれない、切られたのだろうかと不満を言っていた。
テレビをどれぐらい観るのかと聞いたら一日に10時間観るという。眼も脳も弱っている老人が一日に10時間もテレビを観ていたら正常な眼でも眼精疲労になり頭が朦朧としてくるだろう。
人が来てくれるのを待つより、他のことへ興味を持ちやってみればという話をしたら、自分も探してはいるがやりたいことが見つからない、あれもダメこれもダメという。
結果として現在は知り合いのヘルパーさんに週一で来てもらうことになった。定期的に誰かが来てくれるというのは気持ちが安定すると喜んでいた。
何かを待つ気持ちは、それが叶わなかった場合、自分がだめになる。独りでできる愉しみを持てば裏切られない生きがいとなるだろう。
孤独に強い人が老後を強く生きられるというのを若い時に聞いていた。
昔グループ員だった先輩や現在のクループ会の人達が老いて行くのを見るにつけ、精神的に自立している者と堕ちていく者の分岐点は前述の心構えにあるのではないだろうか。
完
作品名:短編集 くらしの中で 作家名:笹峰霧子