短編集 くらしの中で
その四
これまであくせくして、なりふり構わず過ごした日常が今、何事もなく過ごせる時が自分にもやってきたのだ。
何もない代わりに、何の交流もない日常が目の前にあるという現実。
これまで敵を作りたくないとの一心から、どんな人も受け入れ、来宅者は部屋に入れてお茶を出し、時には食事もさせたりと、そんなオープンな対応をしていたが、コロナ禍で人との行き来がなくなってからは自分に必要な人だけを取り入れる生活に変わった。
今の時期はコロナにも似た塵を撒き散らす人を拒否できる状況だ。噂好き、プライベートにずかずかと侵入する、指の股の膏薬・・
これからは庭や玄関先で話をする人と部屋に上がってもらう人との区別、今まではできなかったこともコロナの時代でそれが当たり前の時が来たのだ。
今自分が始めようとしているこの行為は、私の友達はこれまでずっとやってきたのだと思う。
ご近所さんはほとんど他人が入れない家構えなので、自治班の役目で自治会費を集めに行った時に裏の戸口から入り、上がり段で用を済ます。
伝えるだけのことならインターフォンで。
私の家の通りは横列のみ自分の班で、向い側は別の町名なので義務的な接触の機会は無い。従って転居してきて今までの数十年間会話さえしたことがない家の方が多い。
厳戒態勢という状態はコロナ禍以前からあったわけで、自分だけが今前述のような気持ちになったということだ。
或る近隣は、他人は家の中には入れない方が良いと言っていて、三年前に新築した家には玄関を作っておらず、自分たちは裏の入口に鍵を掛けて出入りしている。用事の時は電話してくれという。
これからこのコロナ時代がどのように変わって行くのかはわからないけれど、例え疫病の危険が無くなったとしてもこの閉鎖した状況は変わらない気がする。
老人は鬱が増えるだろう。
誰も来ない家では自分一人でも生きて行ける手段を身につけなければ生きて行けない時代が来るような気がする。
「隣は何をする人ぞ」とは昔から当たり前のことだったのかもしれない。
完
作品名:短編集 くらしの中で 作家名:笹峰霧子