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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Unspeakable

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 華代はその口調にひとしきり笑った後、ようやくうなずいた。
「お言葉に甘えようかしら」
 和幸はそれを約束させるのが目的だったらしく、紗代と一緒に遊具の集まる場所へ戻っていった。美代子が言った。
「かなり、酷い火事だったの?」
「まだ、警察の人がつきっきりで調べてるわ。消防の人が言ってたんだけど、プロパンに引火したって」
「ガス漏れ?」
「それは、警察が調べてるわ。あの業者も、加賀谷さんの遠い親戚なのよね」
「うちと下松さん家だけ、やけに高かったね」
 美代子が言い、その横顔を見た華代は、子供の頃に窓の外を眺めていた姿を思い出した。何でも人一倍高くて、人一倍不便だった。
「学校で友達と遊んだり、普通のことをさせてあげられなくて、ごめんね」
 華代が言うと、美代子は口を結んだまま笑顔を作り、首を横に振った。
「テレビっ子だったし。あんな奴らと遊ぶなんて、考えただけで嫌だ」
「ちょっと、電話貸してくれない? 家に戻ってもいいか、聞きたいの」
「さっき、泊まるって言ったのに」
「今日は甘えるけど、どうなったかぐらいは、聞いておかないと」
 美代子が携帯電話を手渡し、華代は消防署に電話をかけた。美代子はその様子をしばらく見ていたが、子供用の遊具をくぐろうとする和幸の元に行き、言った。
「なんでパパが挑戦してんの」
「紗代がお手本見せたから、次はパパの番」
 紗代が言い、先生のように腰に手を当てて、ほとんど地面に這いつくばっている和幸に発破をかけた。
「もっと、腰を低く」
「そう、もっと低く。でも会社では、堂々としててね」
 美代子が言うと、和幸は不自由な姿勢のまま顔だけ上げて、笑った。
「なんだよ二人とも」
     
 華代は、携帯電話の通話を切って、慣れない操作でロック画面に戻した後、少し震える手でハンドバッグの紐を握りしめた。加賀谷家は全焼した。加賀谷友彦と、久実。長男の久也と、長女の歩美。久也の妻の麻衣と、孫の順也の六人全員が、焼死体となって発見された。そして、敷地内だが家の外で、二人分の焼死体が見つかった。下松健也と、下松武司。そこまで言った後、隊員は、声を落とした。そこが火元らしいと。
「なんてこと……」
 その後に続く言葉は、頭にまだ浮かんでこなかった。華代は公園の木々が囲うような、青い空を眺めた。なんてことをしたの。その言葉を、昔に一度、使ったことがあった。貴弘に対して。二日前、公民館で血相を変えていた健也の顔を見て、自分の顔からも血の気が引いたことを思い出す。すぐに健也が立ち去っていなかったら、気づかれただろうか。
 槙尾家は井戸を埋めて、湧き水には一切手を触れなかった。あの、山の中に放られたトラクター。加賀谷家がそこに捨てたのは間違いなかったが、貴弘はそれを目ざとく見つけていた。まだ錆びておらず、車体は半分以上浮き上がっていた。ある日の夜、華代は『武司くんもあのままだと大変ね』と言った。直斗が生まれたばかりで、この集落でどんな風に育つのか、不安に駆られて口をついた言葉だった。貴弘の返事は、不意打ちだった。
『あのままだろ。あの水を飲んでたら、パーになるからな』
 明星鉱山の鉱床からは、鉛が採れる。あのトラクターを掘り起こせば分かること。下に、潰れた小さな塗料缶が沈んでいる。湧き水には、その塗料缶から流れ出した鉛が混ざっている。
『お前、下松に越されたら、それより下はないぞ。三人と一匹になりゃ、あいつらはずっと半端なままだ』
 貴弘は、見栄と強がりだけで生きていた。その大元を辿れば、そこにはちゃんと愛情があったのだろうか。華代は、空を見上げた。それからずっと、槙尾家の一員として、公平に呪われてきたつもりだ。
 華代は、ハンドバッグを引き寄せた。直斗を失った日。とりあえず恩を売るつもりなのか、ついてきた下松夫婦。二人とも足は遅く、役に立ったのは懐中電灯だけで、背中を蹴って両方とも川に落としてやりたかった。石が一段低くなったところに手袋が落ちているのが見えたとき、悟った。直斗はあの手袋を取ろうとして、川に落ちたのだと。普通なら、下りようと思わないような地形だった。揺るがない証拠を突き付けられて思ったのは、これは嘘なのではないかということだった。健也と武司が三時に帰ってきたなんてことは出まかせで、うちの直斗が手袋を取るために石から石へ飛び降りるなんてことが、あるはずがないと。そうやって片割れの手袋は、咄嗟に隠されたハンドバッグの中に居場所を見つけた。 
 直斗が、どうして思い切って、飛び降りることを選んだのか。その理由に気づいたのは、それから一年ぐらいして、武司が、庭に置かれた農機具の上からジャンプしているのを見たときだった。あれが三人の『遊び』だったのだ。家で棚から飛んでいたのも、その練習だった。
「失くさないでなんて言って、ごめんね」
 ハンドバッグのファスナーを開けて、華代は直斗の位牌に語りかけた。一緒に入っている片方の手袋は鮮やかな青色のままで、川で拾った時から全く色あせていなかった。私が、『なくしてもいいのよ』と言っていれば。そんなこと、どう頑張っても言えなかったに違いないのに、取り返しがつかなくなってからなら、何とでも言い換えることができる。
 美代子が戻って来て、華代は携帯電話を返した。
「ありがと」
「大丈夫?」
「大丈夫よ。もしかしたら、事件になるかもね。健也くん、覚えてるでしょ?」
「あー、いたね。下松家の人でしょ」
 美代子の言葉の冷たさに、華代は体の温度が心地よい冷たさまで一気に凍えるのを感じた。それでこそ、槙尾家の人間だ。だからといって、親と同じように呪われる必要はない。子供はありとあらゆることの、良いとこ取りでいい。
「そう、同じ火事で亡くなったのよ。兄弟とも」
「ついに、加賀谷にやり返したってこと? でも、それって殺人じゃん」
 美代子は、公園の景色や日差しが邪魔なように顔を逸らせた。華代は言った。
「私は、短気は損気だって、ずっと言ってたんだけどね」
「それ、口癖だね。お母さんは気が長いと思う」
 美代子は笑った。華代も、自分に呆れたように笑った。本当に、気の長くなる話だった。加賀谷家が集まり始めた前日の夕方。加賀谷家の裏手に回って、プロパンのタンクの配管を緩めたときは、すでに頭の中は澄み渡っていた。これから何が起きるか、手に取るように分かった。問題は、プロパンが少しずつ漏れ出している庭に赤い布を見つけるのは、どちらが先か。もし武司があれを見つけたら。火を点けたくてたまらなくなるだろうか。そればかりは運で、何とも言えなかった。
『もっと、自信を持てよ』
 風に乗って、懐かしい声が通り抜けた気がした華代は空を見上げて、微笑んだ。そりゃ不安にもなるよ、貴弘。だって私たちには、人間の気持ちしか分からないんだから。でも、いつか。
 同じ地獄に落ちることができれば、その時、二人で笑ってやりましょう。
作品名:Unspeakable 作家名:オオサカタロウ