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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Unspeakable

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【現在】  
      
 誰も助からない。夜空を黒煙が塗りつぶしている様を見た消防隊員のひとりは、その心の声を押し殺して、ハンドルを握る別の隊員に言った。
「見たことがない火です」
 緊急走行をしている消防車のサイレンを聞いているのは、農道の両脇に整然と並んだ田んぼの中を跳ねまわる蛙ぐらいで、赤色灯が一定間隔で切り取る景色に人影はない。『加賀山』という集落名を示す傾いた看板は、昭和三十年代に建てられたもので、一度支柱が折れている。その看板から数十メートル先の舗装の途切れた地点から、すでに先行した別の消防車二台と救急車のタイヤの跡がまっすぐに伸び、くねる川を上流に向けてなぞるように数軒の住宅が並ぶ加賀山集落へと、続いていた。空気が明らかに熱を帯び始めた辺りで、路肩に停まったパトカーの横に立つ巡査が、消防車を手招きした。
 最初に駆け付けた消防車二台は、最も激しく燃えている上流側の加賀谷家から消火作業を始めており、隊員たちのよく通る声が響いていた。救急車は一台が待機していたが、火災の規模からすると飾りのようなもので、後から到着した消防隊員たちは、無意識に燃えている家の前に停められた車の数を読み、胃が鎖を付けられたように沈むのを感じた。元々停まっていた加賀谷家のワンボックスだけではなく、県外ナンバーの二台が停まっている。火の勢いは弱まりつつあるが、中に相当な数の人間がいるはずだった。その家と田んぼをひとつ挟んだ位置にある家にまで飛び火しており、そちらの消火作業を任されていたから、隊員たちは敢えて目を逸らせることで視界から最悪の火災現場を振り払い、二階部に飛び火した火種が大きくなりつつある目の前の家に集中した。槙尾という手書きの表札は傾いている上に、炎に巻かれなくても自然倒壊しそうな出で立ちの家で、斧を持った消防隊員が先頭に立ち、引き戸に力をかけると、鍵は閉まっておらず、拍子抜けするような軽さで開いた。放水が開始され、隊員二人が足を踏み入れたところで、二階から下りてくる足音が聞こえてきて、隊員のひとりが言った。
「槙尾さん、槙尾さんですか?」
「そうです!」
 槙尾華代は六十二歳で、子供が独立してからは、この家にひとりで住み続けていた。小柄で、銀縁の眼鏡は辛うじてかける時間があったが、右の耳にしっかりと引っかかっていなかった。空いている方の手で眼鏡の位置を調節していると、隊員が言った。
「他に人は?」
「私だけです」
 階段を下り切った華代は、隊員に言った。財布とハンドバッグを握りしめる手は、震えていた。
「煙の匂いがして……、起きたらこんなことに」
「出ましょう」
 隊員が半分抱え上げるようにして華代を外に連れ出すと、救急隊員が待ちかねたように視線を寄越した。今の内にほぼ無傷で出てきた方を『怪我人』扱いしてしまったほうが、酷い大火傷を負った本当の『怪我人』を見なくて済むからだろう。隊員は、華代に言った。
「大丈夫ですか? お怪我は?」
「怪我はないです、私しか住んでませんし……。ああ、加賀谷さんの家が」
 火だるまになっている一軒家を見上げるように眺めて、華代は足の力を失くしたように、その場に座り込んだ。加賀谷家は、集落の地名である『加賀山』の名付け元で、谷よりも山の方が縁起がいいと考えた当時の加賀谷の人間が、敢えてそう名付けた。公民館には代々の家長の写真が並ぶ。
「大変なことだわ……」
 華代はハンドバッグを胸の前に引き寄せて、二階を中心に強い炎が残り続ける自分の家を見上げた。旧姓は柿本と言い、四十年前に加賀山集落に住む槙尾貴弘と結婚して以来、住人のひとりとなった。貴弘が口癖のように言っていた『上流は土砂崩れが怖い』という言葉。最も大きな力を持つ加賀谷家の後ろには山がそびえていて、所々伐採されて地肌の覗く山肌は、みすぼらしい。大雨が降れば、地盤が一気に崩壊して、加賀谷家もただでは済まない。まるでそれを望んでいるかのように、若かった貴弘はそう言い続けていた。車で三十分ほど離れた所に事業所を構える明星鉱山の作業員で、農家が並ぶこの界隈では、異色の経歴だった。仕事人間で、知り合ったきっかけも鉱山だった。華代は当時、鉱山事務所に弁当を運ぶ仕事をしており、ある日先輩が数を読み違えて、華代が配達先で余った弁当をどうしようかと困っていた時、『食べるわ。払うからご心配なく』と手を挙げたひときわ体格のいい男が、貴弘だった。大食いは周りも周知の事実らしく、貴弘が二つ頼んだことになって、華代の先輩の読み違えはなかったことになった。
 それから配達のたびに立ち話をする機会が増えて、鉱山公認の『アベック』となった。豪快な性格で友人も多く、結婚式に訪れた新郎側の友人は皆、人一倍体格が良かったから、用意した席に座らせていくと、最後のひとりの座る場所が足りなくなったぐらいだった。貴弘は年齢からすれば高給取りで、代々続く家業だった『農業』を忌み嫌っており、『あんな田んぼ埋めて、駐車場にしたらいい』とよく言っていた。両親はすでに亡くなっていたから、文句を言う者もいなかった。最も力を持つ加賀谷家のことすら、『百姓成金』と呼んで馬鹿にしていて、子供が二人生まれても、その勢いは全く落ちなかった。
 貴弘の言葉は強く、事あるごとに刃を刺し込もうとする集落の人間から守ってくれていたが、その言葉がなければそもそも起こり得なかったこともあった。自分から『部外者』を選び、そんな一家に向けられる目を跳ね返してきた貴弘。それに一家が『巻き込まれた』と言ってしまうのは、あまりにも身勝手なのかもしれない。流れてきた煙から顔を背けて、華代はハンカチを口元に当てながら思った。自分も、楽しんでいたのだ。その日までは。貴弘が作業中の事故で死んだのは、三十年前。コンベヤーの点検中に、動き出した機械に巻きこまれた。長女の美代子は四歳、長男の直斗は二歳だった。
 華代は、隊員に言った。
「下松さんのところは、声をかけたんですか?」
「今、確認に行ってます」
 槙尾家から、さらに田んぼをひとつ挟んだ下松家。茶色よりも少し明るく、煤けたオレンジ色の屋根が目立つ。電気は点いていない。
「槙尾さん、ご家族に連絡されますか?」
 携帯電話を持っているようには見えなかったらしく、救急隊員のひとりがスマートフォンを差し出した。
「大丈夫です。こんな時間に、迷惑だから」
 美代子は、大学に進学するのと同時に家を出た。今は、町の人間だ。結婚したのは十年前で、ちょうど同じころに再開発が始まり、町は見違えるように綺麗になった。今でも交流は続いているし、夫の和幸は美代子と大学で知り合い、八歳になる孫の紗代は、華代が時折顔を出した時に作る薄味の味噌汁が好きだ。美代子が『もっと味噌使ってもいいと思うけど、これが槙尾家の塩梅なんだよねー』と言って、和幸は明らかに味が薄いと思っているに違いないが、美代子に合わせて『塩分は控えた方がいいですよね』と言ってくれる。集落から出向くことはあるが、呼んだことはない。
「こんな田舎……」
作品名:Unspeakable 作家名:オオサカタロウ