左端から見れば全部右寄り Part-4
11.『多様性と言うキーワード』
昨今『多様性』と言うキーワードが目に付きます。
それは本来悪いイメージを持つ言葉ではないはずなのですが、私は最近、この言葉を目にすると虫唾が走ります。
茂木外相から外国人参政権を容認する発言があり、その際にも『多様性』と言うキーワードが発せられていました。
そもそも外国人に選挙権を与える必要などどこにあるのでしょう? 日本の選挙権が欲しければ帰化すれば良いだけの事、自ら日本人になろうと言う意志も示さずに選挙権だけくれ、と言うのは虫が良すぎる話です、それは差別でも何でもありません、日本人と外国人を区別しているだけの事です。
区別と差別は違う、それは日本の国内だけに置き換えて考えてみればわかりやすいと思います。
わが市町村の、わが都道府県の在り方を決める権利があるのはその市町村の、その都道府県の住人であり、戸籍や住民票を移してもいないのに権利だけを主張するのは身勝手、そうお思いになりませんか?
税金を払っていると言うのは理由になりません、日本の行政サービスを受ける以上税金を払うのは当然のことです、その町の、その都道府県の、その国の一員であろうとするならば帰属先を明確にしなければいけないのは当然のことです、少なくともその道を閉ざしていないのですからこれは差別ではありません、自分では変えようのないことを理由に排除したり酷く扱ったりするのが差別です、変えられるのに変えようとしないのですから差別には当たりません。
『多様性』と言うキーワードはそれ自体悪い意味を持つものではありません。
音楽の分野で『多様性』は新しい音楽を生み出します、例えばブルース。
アメリカ黒人の間で起こったブルースは、アフリカの音楽や労働歌を基盤に持ち、そこに西洋音楽の理論や楽器を取り入れることで生まれました、基盤がなければただ黒人が西洋音楽を演っているだけのことで、新しい音楽でも何でもありません。
国もそれと同じことです、『日本と言う国はこういう国だ』と言う基盤を無視したまま『多様性』と言うキーワード、敢えて言います、まやかしのキーワードで移民を無制限に受け入れ、多民族国家を目指すならば、日本と言う国はどこかへ消えて行ってしまいます、アフリカ音楽や労働歌をルーツに持たないブルースのようなものです。
『人の意見を良く聞きなさい』と小学校で教わりましたでしょう? 他者の意見に耳を傾けるのは大切なことです、ですが、それは確たる自分を持った上でのことだと思います。
『自分はこう考える、でも彼(彼女)の意見にも一理ある』と考えるならば、それは前進だと思います、ですが『彼(彼女)がこう言っているのだから、それで良いんだろう』と考えるならば、それは単なる優柔不断です。
もし私が小学校の教師であるならば『自分の考えをまず持ちなさい、その上で人の意見も良く聞きましょう』と教えます。
『多様性』を認め、取り入れることは、本来は悪いことではありません、ですが、日本と言う国の在り方をうやむやにしたまま多民族国家への道を歩もうとするならば、それは日本と言う国の消滅を意味します。
まして、帰属意識もその意思もないままに参政権を与えればどうなるか。
私には想像するだに恐ろしいことだと思えます。
作品名:左端から見れば全部右寄り Part-4 作家名:ST