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人魚姫の憂鬱

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**** 1 プレゼント ****


「……、今日はここまで! ちゃんとシャワー浴びて身体冷やさないように。以上!」
 物思いにふけりながら、ダラダラと締まりのない泳ぎを続けていたら、いつの間にか今日の部活は終わっていたようだった。
 
 金にモノを言わせ、施設だけは整った私立高校の弱小水泳部。屋内温水プールに奇麗なシャワールーム。それでも、なぜかうちの高校は弱い。この僕が二年も部活を続けられているのだから間違いない。スクールに通っていた頃なんて、一度だって大会メンバーに選出されたことなどないのだから。

「名前負けもいいところだよな」
「あれが先輩だからなー。うちが弱いのも納得」

 後ろを歩いていた1年生の会話が耳に入る。というよりも、僕に聞かせるように話しているんだろう。夏で3年生が引退し、2年が中核を、1年にもやっと出番が回ってくるこの時期。大会前のピリピリした空気と、馬鹿にした視線から逃れるようにシャワールームへと逃げ込んだ。敢えて聞こえるように、でも直接かけられたわけではない言葉に硬くなった体をシャワーで温かくほぐしていく。
 水中と陸上の重力の差だと頭で理解していても、それでもこの体の重さを感じる度、僕は水に生まれるべき生き物だったんじゃないか、と思ってしまう。Gの圧力に耐えかねて、空気でさえ楽に吸えなくて。
 
 ――ミズキは正しく水生の生物で、だからこそ水生(ミズキ)だなんて名前をもらったんじゃないか。
 羨ましいと、笑顔で言われたそのときから。名前負けと笑われようが、僕はこの名前が好きになった。……海底に住まう人魚姫が、人間のガラクタを宝物にしているみたいに。僕にとっての宝物が、彼の言葉や、あの頃の楽しい思い出だった。
 
 その温かいプレゼントをくれたのは、5コースの神様に愛された人だった。色褪せた思い出ではいつだって仲良く並んで泳いでいたというのに、いつの間にか僕なんかが追いつけない遠いところまで行ってしまったけれど。
 自分に自信がなくて、緊張しいのあがり症。そんなわけで、僕の大会成績はすこぶる悪い。学校のプールでのんびり平泳ぎをしている時など、コーチもびっくりのタイムが出ることもあるのに。いざというときにそれができなきゃ意味がない。大会で足が攣って溺れかけるなんて、我ながら下級生に馬鹿にされても仕方がないと思う。
 彼と同じスクールに通っていたあの頃から、この性格は変わらない。その上、小さくて、細くて、いくら頑張ってもひょろひょろのフォームで。それをネタにいじめられようが、それでも水が、泳ぐのが好きなんだと、そう言ったとき。お前らしいと笑ってくれた彼のことが好きだった。
 
 大会は来月、その前に合同練習と称して、彼の通う強豪高校との強化試合がある。天と地ほども成績に開きがある高校同士で強化もクソもない。施設の良さで押し切って試合を組んでもらったのだろうか。
 中学を卒業するとともにスクールを辞めてしまった僕が、性懲りもなくこんなところで水泳を続けていることを、彼は知らないだろう。大会で成績を残したこともなく、強豪校に所属しているわけでもないのだから。
 
 それでも、雑誌の記事でも、遠くからこっそり眺めるのでもない、久しぶりに近くで彼の泳ぎを見られるかもしれないと思うと、浮き足だつ心を抑えられない。
 もし彼が、スクールの方を優先してしまったら、そちらの方が可能性としては高いけど、そうしたらうちとの合同練習になんて来るはずもない……。
 無性に騒ぐ気持ちを宥めるように冷たい水で顔を洗い、シャワールームを後にした。


作品名:人魚姫の憂鬱 作家名:リョーコ