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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Ivy

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 ザンバラは、またマルボロの空箱に触れて、中身がないということを取り出す前に思い出したタミーの後ろ姿を見ながら、思った。とどめを刺すような、あの死体。町全体の空気というか、ここ数日の動きは普通とは言えない。本来ならこれから『事務所』に戻って、赤谷に数を報告する。しかし、当の本人は、二日前に出かけたのが最後、行方が分からない。乗っていった愛車の黄色いカプリスは九六年型で、車高を下げすぎているから、地面と接触したマフラーがひび割れを起こして、酷い排気音を鳴らしている。おまけにフルスモークで外が良く見えないから、赤谷はたまに人を撥ね飛ばす。相手が売人仲間やタミーだから許されているが、それをついに堅気の人間にもやったのかもしれない。タミーは、『赤谷がいないなら、おれの仕切りで回す』と言って、町に出るのをやめなかった。仲間内では一目置かれているが、実際にはタミーは小物だ。
 あっさりと捕まる日も、近いのかもしれない。
      
      
二〇二〇年 八月
      
 大学では、ジャーナリズムを専攻。卒業するのと同時に大手の出版社に就職し、二十代の終わりに結婚して家庭を持った。文字に起こせばそれまでだが、フリージャーナリストの身は浮き沈みが激しい。頭に『フリー』とつくだけで、浮き草の一員として扱われる。四十一歳になった新田淳史は、業務用エアコンの送風口の下で乗換の電車が来るのを待ちながら、十年前にフリーになった自分の選択が正しかったのか、今さらのように思い返していた。出版社という大きな看板の後ろに埋もれた自分の名前に苛ついていた、その感情が一番強く記憶に残っている。出版社名の次には、雑誌名の壁がある。そんな風に、自分の名前が出るまでには、いくつもハードルがあった。おまけに、配置換えがあれば、どんな分野であろうと強制的に就かされる。社員時代の最低地点は、復興した観光地の取材。やりたかったことの真逆だった。人が幸せそうに笑っている様子を記事にしたところで、何にもならない。ジャーナリストなら事件を追うべきだというのが、新田の中で、学生時代から固定された考えだった。記事になる価値があるのは、いつだって人の泣き顔だ。
 電車に乗り込むと、新田はがらりとした車内を見渡した。ラッシュ時とは無縁だ。自分の本当に好きなことができる。フリーになって、それを二重の意味で痛いほど実感した。家にいてもいい、カフェにいてもいい。ホテルのロビーでも構わないし、車の中でも。しかし、名前を売り続ける手を緩めると、それは途端に、自分の首を絞める凶器に変わる。フリーになって二年で、子供が生まれた。妻の利子と、自分の名前から一文字ずつ取って、利史と名付けた。出歩きたいときに出歩けなくなったタイミングで、ジャーナリストとしての足は一気に鈍った。三年前に映画雑誌に寄稿したのが、フリーになってからの最低地点だった。そう思いたかったが、マスクを着けないとどこにも行けない今になって、その地点をさらに下回る可能性が生まれている。去年、利子はかつて働いていた役所の住民課に復帰して、朝食を作る役割と、学校から帰ってきた利史を出迎えるのが、利子から新田に移った。利子がスーツを買い直し、利史が目まぐるしく成長して八歳になる今も、新田だけは何も変わっていない。
 しばらく電車に揺られ、新田は電光表示板に流れる駅名を目に留めた。乗換の面倒な駅だった。それだけは記憶に残っている。同じ市に住んでいながら、ここまで交通の便が違うとは、不思議なものだ。小さな改札を抜けて、ほとんど店舗の残っていないアーケードを通り、駅の反対側に出る。トラックの搬入口が並ぶ倉庫や、パレット置き場。夜になると真っ暗になるが、住宅街から駅に向かうなら、この道が一番近い。そこは昔から変わらないらしく、まばらながら、主婦や学生の行き来があった。新田は、スマートフォンで時間を確認した。変則的に八月まで食い込む形で小学校の授業が続いているから、利史の帰ってくる時間帯は夕方だった。今は朝の十時。昼の三時までは、自分の足で動き回れる。勝手に決めた予定に抗議するように、時折スマートフォンを震わせるメールの通知。内容は見なくても、あらかた分かる。サラリーマン編集者の頃によく組んだ奥村からで、フリーになることには、最後まで反対していた。ほとんど口癖のような『水槽の中で泳いだほうが楽よ〜、海は怖いぜ』という、癖のない標準語の言い回し。結果的に、一番反対していた奥村との付き合いが一番長く続き、今でも仕事を回してくれたりする。それができる立場になったというのもあるだろう。十年前肩を並べていた奥村は、今は同じ部の編集長になっている。ただ、メールの鳴る間隔は、親に小言を言われるようなタイミングとよく似ていて、大抵が何か他のことに目が向いた瞬間だから、すぐに見る気にはなれない。内容は、二日前に途中まで読んでやめた、新しい案件。ラーメン屋のもやしの量に地域差があるかを、食べ歩いて検証する。今や、あちこちで『食べ歩く』ということ自体が、禁じられた遊びのようなものだ。誰もやりたがらなかったのだろうと、そこまで想像したところで、読むのをやめた。今来たメールはタイミング的に、返事の催促だろう。新田は、スマートフォンを抜き出して、ロック画面に表示される件名だけを読んだ。『ラーメンの件』と見えて、またポケットへ戻した。付き合いの続いているもうひとりは、永井。編集者時代は、同じく肩を並べていた。こちらは今でも一記者だが、自分の得意分野を一ミリも曲げることなく、凶悪事件を専門に扱っている。現役時代に整理した膨大な『新田/永井ノート』は、ノートとは呼べないような厚さで、時系列順にキングファイルに綴じてあった。ほとんどがボツで、記事として飛び立てないような断片の集まりだったが、コピーを取ることを考えもせずに編集室に残してきたことは、後悔している。今手元にあれば、役に立ったかもしれない。
 もう大昔だが、大学に入って二年目。社会学科に籍を置いていた新田は、ジャーナリズムに興味を持ち始めた。事件が起きたときの、一変した空気。一時停止ボタンを押されて中途半端なポーズで固定されたように、それに触れた人々は宙づりになる。今までに雑誌や新聞で読んでいた何気ない記事が、そんな瞬間を元に生まれたのだと思うと、目が離せなくなるのと同時に、自分も関わりたいと思うようになった。新田は、雑草が茂る広場の隅に設置されたベンチへと歩いていき、腰を下ろした。
作品名:Ivy 作家名:オオサカタロウ