幽体離脱
「いや、イスラムの戒律で飲酒は固く禁じられているから、酒ではないと思う。……でも本当に妙な味だな。なんだか胃がムカムカしてきたよ」
昼食が終わるとすぐにまたヨガのポーズを練習させられたが、さっきの変な飲み物のせいでだんだん気分が悪くなってきた。
「ハイ、ミナサン、アオムケニナッテクダサイ、ソノママ足ヲ少シ持チアゲテミマショウ」
俺はいよいよ吐き気に耐えられなくなり、トイレへ行くため身を起こそうとした。だが、なぜか体が持ち上がらない。全身が鉛のように重く、まったく身動きが取れなかった。
た、助けてくださいっ。
必死になって身に起きた異変を訴えようとしたが、声が出ない。なんとか首だけ動かして遠山さんのほうを見ると、彼も真っ青な顔であぶら汗を流していた。これはひょっとすると毒でも盛られたか……そう肝を冷やしていると、例のカダフィ大佐がパンと手を打った。
「ハイッ、ミナサン、ドウヤラ幽体離脱ニ成功シタヨウデスネー」
なにを言ってるんだ、こいつは。
ちょっと腹が立ったが、正直それどころではない。手足の感覚が完全に麻痺している。フローリングの硬い床に寝ているという感触すらない。室温をまったく感じないし、しゃべろうとしても口を認識できない。瞬きすらできない。これは、どういうことだ……。
ゆいいつ動かせる視線だけをさまよわせ、俺はギョッとなった。自分のすぐ横に、ジャージ姿の男が立っていた。それは明らかに俺だった。自分が二人いる? もうひとりの俺は、木偶のようのただ呆然とたたずんでいた。
驚いて周囲を見まわすと、遠山さん以下、全員がおなじ格好で佇立していた。みな無表情で、ニコニコと笑っているのはカダフィ大佐だけだ。
「デハ、コレカラ、ミナサンニハ、アメリカ大使館ヘ行ッテモライマス」
とつぜん部屋の奥から迷彩色のツナギを着た男たちが現れ、五人の体に爆弾を巻きつけ始めた。だれも逆らおうとはせず、されるがままになっている。
いったい、どうなっているんだ。
俺は泣きそうになりながら周囲をもう一度よく確認してみた。すると人間の頭部らしきものが転がっていることに気づいた。それはほとんど透けていたが、よく目を凝らして見ると遠山さんの頭だった。もしかしたら自分も彼とおなじ状態に……そうか、そうなのだ。床に転がっているのは肉体から分離された幽体に違いない。幽体離脱とは、そういうことだったのだ!
やがて爆弾を装着し終えた五人のぬけがらは、トレンチコートを着せられドアの向こうへと連れ出された。部屋には、幽体となった半透明の頭部だけが転がされている。カダフィ大佐はそんな俺たちを見下ろし、満足げな笑みを浮かべた。
「心配スルコトハアリマセン。肉体ガ滅ビレバ、必然的ニ幽体デアルアナタ達モ消滅シマス。聖戦ノ英雄トシテ、神ノ国ヘ行ケルノデス。素晴ラシイコトデハアリマセンカ。神ハ偉大ナリ!」
なにをバカなことを……。
しかし自分の肉体が遠ざかってゆくにつれ、しだいに眠気がさして、もうどうでもよくなってきた。
やがて部屋の明かりが消され、唯一の感覚器官であった視覚が遮断されると、俺の意識はいよいよ深い深い暗黒の淵へと沈んでゆくのだった。