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寵愛〜隻眼の王の華嫁は二度、恋をする〜

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  謀〜はかりごと〜

「おのれ、そなたは私に毒を盛ったか!」
 腹の底から湧き上がるような悔しげな声を上げる若者を冷めた眼で宦官が見つめる。
「今頃になって気づいたか、愚かなヤツめが」
「私は、そなたをどこまても信じていたのだ。さりながら、そなたはこの国一番の忠臣面をしながら、その裏では恐ろしい陰謀を巡らせていた。偉大な国王であられる父上を兄上と図って誅殺し、今また、私までを殺めようとしている。その罪は到底許されるものではないぞ」
 と、宦官が能面のようなのっぺりとした顔に嘲笑を刻んだ。
「ハ、何とでも言うが良い。貴様に呑ませたのは清国渡りの猛毒だ。どうせあと半刻も経たぬ中に死ぬる運命だ。貴様が幾ら何を言おうが、所詮は負け犬の遠吠え、死人に口なし。憐れな世子邸下(セジャチョハ)はあろうことか、夜な夜な王宮を抜け出し、色町の妓房でご乱行の挙げ句、泥酔のあまり川に落ちて亡くなられた。そういうことになる」
 そこで、張り詰めた沈黙を破るかのように、ジャアーンと銅鑼の音がしじまを震わせた。
 固唾を呑んで仮面劇のなりゆきを見守る観衆たちの中、最前列にいる世鈴(セリョン)も思わず握り合わせた両の拳に力を込める。
「お、おのれ、忠臣を装った宦官にみすみす騙され、ここであえなく生命を落とすとは口惜しや」
 世子が声を震わせ、動かなくなる。
 また銅鑼が今度は何度も鳴り響き、芝居は幕となった。
 一座の親方らしき小柄な中年男が舞台裏から登場し、観客に向かって深々と頭を下げる。
 親方の捧げ持つ器は、見る間に観客から投げ入れられた金で一杯になった。
 セリョンが溜息をつけば、すぐ隣にいた三十ほどの女が洟を盛大に啜った。
「何ともお労しい話じゃないか。光の世子さまがあんなに呆気なく亡くなられるなんて」
 その日暮らしの庶民らしい女は美人ではないが、丸顔にそばかすの散った愛嬌がある女だ。まったく見知らぬ女ではあるが、それはそこ、仮面劇を共に見て薄幸な世子の最期に涙を振り絞った間柄である。
 セリョンもまた袖から取り出した手巾で涙を拭った。
「そうですね。でも、私は世子さまが死んでしまうなんて想像もしていませんでした」
「あんた、?王宮の陰謀?を見るのは初めてかい?」
 問われ、素直に頷く。
「ええ。都で評判なのは知っていましたけど。うちの商売が忙しくて、おっかさんになかなか許して貰えなかったんですよ」
「あたしャ、?王宮の陰謀?を見るのはもうこれで三度目さ」
「三度も見たのですか?」
「何度見ても、世子さまの痛ましいご最期には涙を振り絞るねぇ」
 女とは、そこで別れ、セリョンは一人、帰路を辿った。そろそろ漢陽(ハニャン)の町に夜の帳が降りる刻限である。冬の陽が落ちるのは早い。
 この仮面劇は今、都で大流行の演目で、朝鮮の主立った町を巡る有名な旅芝居の一座が上演している。一座は半月前に都に入り、初日から仮面劇は大入りとなった。天幕などはなく、四つ辻で上演される仮面劇を立って眺めるのだ。
 幾つか演し物はあったが、殊に人気を博したのが「王宮の陰謀」であった。ある国王の御世、「光の世子」と呼ばれるほど見目麗しい王太子がいた。その姿は光り輝くほどで、眩しくて見られないほどの美男ゆえに、そのように呼ばれるようになったという。
 世子は兄である病弱な国王を助け、実質的に政務を執っていた。そんな世子に仕えていた内官長は、ひたすら王や王室に尽くす無二の忠臣―であるはずだった。
 ところが、内官長は表では忠臣を装い、裏では弟を目障りに思う国王と共謀して前王を毒殺、更には世子暗殺を企み、自分の言うなりになる気弱な王を傀儡の王に祭り上げようとしていた。そのためにまずは先に前の国王を病死に見せかけて毒殺し、次に彼を信ずる世子を騙して毒を飲ませた。
 内官長の世にも恐ろしい素顔を知らない世子は、ついに毒を潜ませた酒を飲み、死んでしまう。
 話だけなら、どこにでもありそうな王宮を舞台にした王座を巡る血生臭い陰謀劇である。しかし、巷で人気が出た理由は他にあった。というのも―。
 この「王宮の陰謀」が実は、実際に今、当代の国王さまがお住まいになる宮殿で起こりつつある出来事だという噂がどこからともなく流れたからである。当代の国王といえば、賢君と讃えられた聡宗の長男であり、世子は前王の次男、つまり、今の王と世子は異母兄弟になる。
 とはいえ、仮面劇の内容がそっくりそのまま真実だというのは、あくまでも噂、憶測の域を出ず、いつ誰がそんな不敬なことを言い出したのかは杳として知れない。
 いつの時代も、庶民にとって王宮は雲の上の自分たちには手の及ばない場所である。人は自分が足を踏み入れられない場所には、途方もない憧れと好奇心を抱くものだ。ゆえに、王座を巡る血で血を洗う殺戮劇が現実に王室で起こっているなどと馬鹿げた噂が流れ出したのだ―と、少しはまともに知恵の働く者ならば芝居と現実を切り離して考えられる。
 セリョンももちろん、そんな分別のある者の一人であると自認しているのではあるが。
 やはり、隣で涙を振り絞っていた女と同様、?お労しい光の世子さま?のあの壮絶な最期には涙が止まらない。
 一座が漢陽で上演を始め、噂は噂を呼び、「王宮の陰謀」の人気はうなぎ登りであった。最初は朝と昼と二度の上演だったのを、更に夕刻に三度目を行うこととした。それでも、まだ人が集まりすぎて仮面劇を見られない人がたくさんいるらしい。
 セリョンはやっと母の許しを得て、評判の仮面劇を見にくることができたというわけである。いつしか芝居を見に集まっていた幾重もの人垣もなくなり、セリョンは我に返った。
―いけない。早く帰らなきゃ。
 また、母の月香(ウォルヒャン)に叱られてしまう。セリョンの母ウォルヒャンは、妓房の女将である。セリョンはウォルヒャンの実子ではなく、養女だ。しかし、真実を知らない者は誰でも二人が実の母娘だと信じて疑わない。それほどウォルヒャンはセリョンを実の娘のように慈しんでいた。
 ただし、口は滅法悪い母は、セリョンを見ると小言しか言わないけれど。それでも、セリョンは母が大好きだ。ウォルヒャンは思ったことを遠慮会釈なしに口にするが、けして間違ったことは言わないし、常に相手のことを心底から思いやるからこそ言うのだ。ただの毒舌で、相手を傷つけるのとは違う。
 妓房はこれから深夜にかけてが稼ぎ時である。早く戻って手伝わなければ、また母にこっぴどく叱られ、あまつさえ二度と仮面劇を見にいかせて貰えなくなる。隣にいた女の言ではないが、セリョンも是非、あの芝居はもう一度見たいものだと思っていた。一座はあと半月は都に滞在するというから、あと一回くらいは機会があるだろう。
 家路を辿る脚をいっそう早めた。ふと冷たいものが頬に触れ、セリョンは顔を仰のける。
 漆黒に覆われた空から白い花びらがひらひらと舞い降りていた。
「降ってきやがったぜ」
「道理で寒いはずだな」
 仕事帰りらしい職人風の二人連れが口々に言いながら、すれ違っていった。