涼子の探し物(9)
「お姉ちゃん。僕、行っていい?」
「えっ…?」
服の袖で涙を拭い直して良一君を見ると、良一君は少し張り詰めて、真剣な眼差しをしていた。
それから良一君は床に正座をすると、前を向いて私を見つめる。
「僕、お母さんに会えるかは分からないけど、お母さんのところに行って、「僕もお母さんを忘れない」って言ってきたい。だから、行っていい?」
ああ、この子、本当に優しいんだ。胸が痛くなるほど。
私も良一君も、泣いていた。昼下がりの柔らかな光が、半開きのカーテンから差す部屋で。
雀のさえずりは、さっきまで遠かったのに、今は私たちを優しく慰める。
「ありがとう。お姉ちゃん。僕、お姉ちゃんのことも、ずっと忘れない」
さようならは言わないで、私たちは別れた。良一君が泣きながら笑っている姿は、陽の光に溶けるように、消えていった。
私はしばらくは、悲しいんだか嬉しいんだか分からない気持ちで泣いていた。
良一君は私を忘れないと言ってくれた。そのことが嬉しくて、良一君がお母さんのところに行けるのが嬉しくて。それから、やっぱり良一君は帰って来ることはないのが悲しくて。
良一君、私だって、ずっと忘れないよ。
そう言えば良かったかな…。
翌朝になって、お母さんから電話があった。
スマホの画面にめずらしく「お母さん」と出たから、何かあったのかとすぐに通話ボタンを押すと、お母さんはすごく興奮しているみたいだった。
「涼子!大変よ!大変なの!」
私もびっくりして、「どうしたのお母さん、落ち着いて」と何度か言い聞かせると、お母さんはやがて、電話の向こうで泣きながら話始める。
「あなたが帰ってきた時にした、私の友達の話、覚えてる…?」
ぐすぐすと鼻を詰まらせて、なんとか喋ろうとしているお母さんの声を聞いて、私は胸がずきんと痛んだ。
「う、うん…」
私は緊張して身構える。どうか悲しい話じゃありませんように。そう祈る。
「昨日ね、その友達の夢にお子さんが出てきて、自分を慰めてくれたんですって!それで、本当に助かったんだって言っていてねえ!…友達の元気な声が久しぶりに聞けて…もう、びっくりするやら嬉しいやらで…大変よ!」
お母さんは泣き笑いしながら終始興奮気味に話をしていた。私はもちろん良一君の事は知らない振りをしていたけど、すごく嬉しかった。
そっか。夢枕に立つって手があったのね。
ああ、良かった。
そう思って私はここ何日かで急にいろいろな事が過ぎていき、自分がその中を駆け抜けていたのを思い出す。
もし良一君を初めて見つけたあの時、すぐに回れ右をして翌日引っ越しなんかしてしまったら、良一君もお母さんも救われなかったかもしれない。
あの時話しかけてみて良かった。それから、この部屋を選んだのが私で。
どんなに恐ろしいことでも、逃げずに立ち向かえば、うまくいくことだってある。良一君は私に、それを教えてくれたのかもしれない。
それから、良一君の優しい顔、はしゃいだ笑顔、最後に見た、泣きながら笑っている顔を思い出す。
きっと、忘れないから。もし、また会えたら、あの時教えてくれてありがとうって言おう。
その時まで、私はそれを忘れずにいよう。それから、良一君が生きていたことを。
End.