涼子の探し物(8)
久雀さんがそう言った時、私は一瞬背中がひやりとした。
え?私、何も言ってないよね?もしかしてあの白袴の人が言ったのかな?
私がびっくりして何も言えずに居ると、久雀さんはうんうんと少し俯きがちに頷いた。
「うむ、うむ。お前さんの後ろに影が見える。おお、そんなに驚かなくともよい。儂もちいっとばかり修行はしたでな。そのくらいはわかるし、見えるんじゃよ」
…ねえ。“ちいっと”の修行で、幽霊って見えるの…?
っていうか!良一君、私についてきてたの!?
私はびっくりしすぎて少し体を硬直させた後、はっと気を取り直して後ろをこわごわ見たけど、やっぱりなんにも居ない。
「おお、今のお前さんには見えぬものじゃ。気にせん方がよい」
久雀さんは私を手招きして、話に引き戻した。私はちょっと恥ずかしくて、ぺこぺこと小さく頭を何回か下げる。
すると、久雀さんは急にふっと悲しそうな顔をし、すぐに一度瞼を閉じてから、薄目を開ける。
「…その子は迷うてお前さんの家におる。じゃから、今は影だけじゃ。…母親が恋しいのじゃろ、呼ぶ声が聴こえておるでな。よほどその思いが強いもので、お前さんにも見ることができたんじゃろ」
久雀さんの言う事は、現実と寸分違わなかった。私はもうすっかり、「この人は全部知ってる」と思って、驚くのをやめた。
「はい…そうです!…そうです!」
私は座布団の上から身を乗り出して畳に手を突き、勢い込んで話し出した。良一君とのこと、悲しい思いが胸から溢れて、止まらなくなる。
「私はどうしたらいいか分からなくなってしまって、気軽にお母さんを探してあげるなんて、軽はずみなことを言ってしまいました…」
私は今更に自分の浅はかさが恥ずかしくなって、少し俯く。でもすぐに顔を上げた。
「一旦実家に戻り、考え直そうかと思って、こちらのお寺が近くの、両親の家へ帰りました…。そうしたら、私の母の旧友の方がお子さんを亡くされて悲しんでいらっしゃると聞いて、話を聞いたところ、その子に間違いなかったんです…!」
久雀さんはまるで前もって私の話を知っていて、それを吸い込むような、切ない微笑みを浮かべていた。
「それで、うちもお世話になっていますこちらのお寺へ、その子が埋葬されていると聞いたので、…こうして、ご相談に来ました…!」
私は深々と頭を下げてからおそるおそる顔を上げ、必死の思いで久雀さんの目を見つめる。久雀さんは、にっこりと私に向かって微笑んだ。私はそれが、怖かった。
この人は全部事情を理解してくれたけど、もしかしたらそれを知った上で、「その子のことは諦めなさい」と、私を説き伏せにかかるかもしれない。そう思ってしまったからだ。
久雀さんは一瞬、顔の表情を引き締めて私を見つめた。私は息を呑む。
「案ずることはない。その子は迷うておるから、お前さんの家から離れられないだけじゃ。母親が待っていること、今も自分を忘れず暮らしていることを知れば、必ずや安堵し、浄土の道へと発つじゃろう」
久雀さんの声は、低いお経が地面を鳴らすような音に聴こえた。でも、私は拍子抜けした。
…そんなもので、本当に大丈夫なのかしら?
目の前の久雀さんは、もう安心したように微笑んで、少し長く息を吐く。
「…大丈夫、でしょうか…?それで…」
私は信じたかったけど、不安になってやっぱり聞き返してしまった。久雀さんは、私のその不安も織り込み済みというように、また何度か頷く。
「ちょうど盆が近いじゃろう。その子は苦労苦労の長い旅をして、ようやくお前さんの家までたどり着いたところなんじゃ。母親が自分を今も想っていると知れば、必ずやそこへ戻り、そして心おきなく安らかになる。お前さんはすぐに家に帰って、その話をしてやりなさい」
私は、久雀さんに重ね重ね何度も礼をして、小坊主さんに見送られ、寺を後にした。
電車に乗ってからも、お寺で久雀さんと話した事を思い返してみると、まるで夢のようだった。
考え直してみると当たり前のような気もするけど、ここまで来るのに大変だったなあなんて思って今までのことを振り返り、私は久しぶりに深く息を吸い、吐く。
がらがらの電車のボックス席を独り占めして、しばらくはスマホをいじる気にもなれず、まだあの澄み切った空気をまとっているように感じていた。
かたんかたんと、レールの上の電車が、私を優しく揺さぶる。
帰ったら、良一君にすぐに話をしなくちゃ。ああ、気持ちいい揺れだなあ。
良一君のお母さんも、うちのお母さんも、お父さんも、良一君も、みんな元気になるかなあ。明日、バイト無くて良かった…。ああ、眠い…。
私は、瞼の裏で曖昧に混ざり合う、いろんな事やいろんな人に取り囲まれ、揺られながら終点までたっぷりと眠った。
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