短編集73(過去作品)
無表情イコール穏やかな顔と思い込んでいた私には、まるでこの世のものとは思えない表情に見える。
この世のものではない?
そうだ。以前私は同じような表情を見た覚えがある。
私に対し断末魔の表情を見せ、最後はただ私を凝視したまま無表情で息絶えていった。
失われた記憶の扉が開かれようとしている瞬間である。
その時の私はそれほど相手の表情が恐ろしいと感じなかった。
なぜだろう?
そう考えるとよみがえってくる記憶。
私はその時自らの手で、自分の命を絶とうとしていた。しかもそれはここでであった。その時に目の前に現れた女性、彼女も同じように自らの命を絶とうとしていたのだ。
二人にその時まで面識はない。偶然自殺を考えた二人が選んだ場所がここだったというだけのことだった。ここに来る時も、彼女に会って顔を見た時も私の気持ちが揺らいだという覚えはない。命を絶つことに恐怖を感じなかった。たぶん他の場所だったら躊躇うこともあったかも知れない。しかしなぜかここだと素直に命を立てる気がしたのだ。
彼女の顔を見ると同じ事を訴えていた。その顔を見ると自分の表情を彼女に写して見ているような気がして仕方がなかった。
この滝は恐怖を麻痺させてくれる。だがその時感じることのなかった思いが今私に襲い掛かる。
死にきれなかったら、どうなるんだろう?
さっきまでの私のように、記憶の中で完全に封印されてしまうのかも知れない。
ではなぜあの時私は死のうと考えたのだろう?
付き合っていた女性が行方不明だと今まで思っていたが、今目の前に現れた光景で思い出した。私の手が彼女の首にかかり、次第に力が入ってくる。必要以上に力が入り、顔面からは玉のような汗が滲み出ている。
理由は些細なことだったような気がする。いやこの際、理由などどうでもいいことだった。とにかく私は自分の犯した罪を思い出したのだ。そしてここを自殺の場所に選んだ。
私がここに来るのは三回目?
そう、自殺しに来たのは取材で訪れてからそのすぐ後のことだった。それをさっきまですっかり忘れていた。露天風呂で出会った女性、その時の女性とたぶんこの滝で会っているのだ。
「あなたは私の理想の人だわ、洋二」
そう言って一緒に薬を飲んだのを思い出した。あの時の再現である。
でもどうして私は生き残ったのだろう?
あの時の女性は死んだのだろうか?
私が探しに来たのは、何なのだろう?
私は滝を見ていた。今にも吸い込まれそうな滝つぼである。
そのまましゃがみこむと池になっている水面を覗き込んだ。そこには勢いからか幾重にもなった波に揺れながら私の顔が写っている。
「あ……」
そこに写っているのは今目の前で見た女性の表情を彷彿させるもので、カッと見開いた断末魔の自分が写っている。しかも次第になくなってくる表情。いかにもこの世のものではない。
水面に写ったその顔、本当に私の顔なのだろうか?
たまにしか見ない自分の顔だが、どうにも違う人の顔である気がして仕方がない。
三年前に死んだ私はどこに行ったのだろう? 子宝としてどこかで行き続けているのかも知れない。
それとも一人で来ていた泊まり客が私となって帰っていくのかも知れない。
そういえば、ここの滝には曰くがあったのを思い出した。
理想の人に出会えるところとして有名で、
――自殺死体がよく見つかる場所だが、そのほとんどが身元不明者であるらしい……。
( 完 )
作品名:短編集73(過去作品) 作家名:森本晃次