涼子の探し物(6)
実家に帰る列車は、ビルが埋め尽くす灰色の街を抜けると、だんだんと緑が増え、そして胸に懐かしさを呼び起こしていく。私はこの感覚がけっこう好き。「ああ、うちに帰るんだな」と思うから。
そしてやがて、ほとんど人の居ない、大きいだけの駅のホームに着くと、チョコレート色のキャリーケースを引いて私は列車から降りる。スマホのメッセージでお母さんには連絡したから、さっき私のスマホに「駅前ロータリーに着いたよー」とメッセージが送られてきた。
青色の軽自動車に近づくと、運転席にお母さんの後ろ頭が見えたからドアを開け、「ただいま!」と声を掛ける。お母さんは「東京いちごは?」と返してきた。私は手に持った紙袋を得意げにちょっと持ち上げると、お母さんは嬉しそうに笑う。まったく、ゲンキンなんだから。
「それでね、お父さんは帰り今日遅くなるんですって。久しぶりだし、私たちは先に夕食食べながら、その後お茶でもしてお喋りしましょ?」
お喋り好きのお母さんがそう言いながら、どうやらお昼に自分が食べたらしい食事の食器をシンクで洗っている。私は、リビングダイニングで出しておきたい荷物だけをキャリーケースから引っ張り出しているところだった。
「はーい。じゃちょっと部屋行って荷物解くからー」
私は部屋で荷ほどきをしてから、久しぶりに帰った自室が何も変わっていないのを確かめて、それから、部屋のカーテンを開けた。
「ただいま」
そう声を掛けたのは、私の部屋の窓から見える、家の裏庭にあるザクロの木だ。小さい頃は毎年一つか二つ実を付ける小さな木だったけど、私が高校生になる頃には、園芸好きのお母さんの手によって、毎年たわわに実がなる木に成長した。
花が散って今はすくすくと実を育たせているザクロに微笑んで、またカーテンを閉める。
リビングに戻ると、お母さんは「カレーでいい?それとも、肉じゃがにしようかな?」と聞いてきた。どうやらにんじんとじゃがいも、玉ねぎと、お肉が少しあるらしい。私はもちろん、迷わず「カレー!」と言った。お母さんは安心したように微笑んだ。
「涼子、ごはんこのくらいでいいのよね?それとも、前よりは食べられるようになった?」
「なってませーん。うん。そのくらいで平気」
「あなたは少食ねえ。小さい頃からそうだったから、ちょっと心配だわよ」
「大丈夫だよ元気なんだし」
私たちはそんな会話をしながら食卓について、私は目の前に出されたカレーについつい頬が緩んでしまい、上機嫌で「いただきます」を言った。
ああ、お母さんのカレー、やっぱり美味しいなあ。ちゃんと丁寧に炒めてあるのが分かる。自分で一人暮らしを始めて、炒める手間を省いて煮込んだだけのカレーを食べた時は何か物足りなかった。うーん、満足!
ところが、カレーを食べているはずなのに、お母さんがどこか元気が無いように見えて、私は食事の途中で声を掛けてみた。
「お母さんどうしたの?元気なさそうじゃん」
お母さんは私を見てちょっとためらっていたようだったけど、一度ため息を吐いて、「ごはんが終わったら話すよ」と言ってくれた。
食器を洗って水切りに置くと、お母さんはハーブティーをポットに支度して、私は冷蔵庫を開けて、お母さんに頼んでおいた2リットルのスポーツドリンクを取り出して、食器棚にある中から一番大きいガラスのカップを選んで注ぐ。
二人でテーブルに就いて、ハーブティーが出おわるまで待つ間、私はちょっと空白になった時間に良一君の事を思い出した。
どうしてるかな。家に一人は寂しいよね。逃げちゃダメだったのに。そう思いながら私は、白くて丸い、一人用のティーポットからゆったりと湯気が立ち上るのを見ていた。
どこか張り詰めた空気をタイマーが乱して、お母さんがそれを止める。お母さんのお気に入りの、青い花の模様と金の細工が施されたカップにハーブティーが注がれて、温かい湯気がふうわりとその上を漂っていく。
「それでね…」
お母さんはそう言い掛けたけど、ちょっと気を取り直して、「そういえば、学校はどう?慣れられた?」と聞いてきた。
「うん。バイトもね」
そう返すと、「それはよかった」と言って、お母さんは一口ハーブティーを飲んだ。
「で、お母さん、何か悩んでるの…?」
多分、私に話すのは気兼ねする事なんだろうなと思ったから、私からそう聞いてみた。お母さんは下を向いて迷っていたけど、やがてぽつりぽつりと話し出した。
「私の小学校からの同級の友達でね…家族を亡くした人が居てね…それがねえ、「もう帰ってこないのを肯定するようでやりたくない」って言って、七回忌の法要も出来ずに…ほとんど家に閉じこもり切りでね…家族を亡くすっていうのは、本当に苦しいけど、見ている私だって辛いし…力になってあげたいのに、どうしようもないからねえ…何か月に一回か会ってるんだけど、もう昔とは違って…すっかり元気が無いのよ…」
そう言いながらお母さんも泣いてしまって、頬に流れる涙を堰き止めるように、口と頬を片手で押さえて横を向いた。
「そうなんだ…」
私はちょうど良一君の事を考えていたから、「七回忌」という言葉が引っかかった。
「何かのタイミングで見つかることもある」という自分の言葉を思い出して、「もしかしたらここかもしれない」という、縋るような思いが浮かぶ。でも、まさかそんな、こんな身近にあるはずはないし。
でも、まさかという事が、この世にはたくさんある。そう思って、私は遠慮がちに言葉を選んだ。
「亡くなったご家族って…もしかして、お子さん…?」
お母さんは大きくため息を吐きながら、「そう」とだけ答えた。
少しだけ近くなったけど、「違うだろうな」と思って、「これだけ聞いておこう」と、諦めるような気持ちでもう一度口を開く。
「七回忌って…いつのことだったの…?」
お母さんは私がなぜそんな事を聞くのか少し不思議そうだったけど、涙を拭ってもう一度息を吐く。
「えーと、あれは、一昨年よ…確か…八年前に亡くなったはずだから。どうしたの?何か気になる?」
「う、ううん、なんでもないの」
嘘。一致してる。でも、そんなはずないよね。こんな簡単に見つかるわけない。そう思いながらも、私はその希みを放せなかった。
お母さんの様子を窺ってお茶を一口飲むのを待ち、慎重に私はお母さんに聞いていく。
「その子って…どんな子だったんだろう」
「うーん、男の子でねえ、元気だったのにある日大きな病気に罹って、そのまま入院して…亡くなったみたいよ」
「そっか…自分の子ってやっぱりかわいいんだろうな…」
「そうね、それに、私も会ったことが一度だけあるけど、すごくかわいい男の子でねえ…あ、私のお友達は一度上京しててね、私が都内に出た時に、ちょっとその子も一緒に会ったのよ。…かわいい子だった…」
「どんな気持ちで死んじゃったんだろ…いくつくらいだったの?」
「そうね、14歳って言ってた…最後はねえ、「うちに帰りたい、お母さんのごはん食べたい」って言ったけどねえ…そのままだって…」