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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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川の流れの果て(5)

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それは又吉だった。あのいつも礼儀正しく遠慮がちに俯いていた又吉が、侍を睨んでお花との間に立ち塞がっている。だが、その顔はみるみるうちに正気を取り戻して、だんだん泣きそうになっていった。
「あ、おら、そんなつもりじゃ…お侍様!ごめんなせえ!ごめんなせえ!」
急に又吉はぺこぺこと侍へ頭を下げて、何度も詫びた。それを見て侍は「こんな弱気な者に尻餅をつかされたのか」と、一気に頭に血を昇らせ、がばと立ち上がり、今度は又吉に向かっていく。
「許さぬ!」
侍はそう叫んだが、すでに後ろに忍び寄っていたもう一人の影から二本の手が伸びて、侍を羽交い絞めにしてしまった。
「放せ!誰だ!」
それは三郎だった。羽交い絞めにした手で侍の胸元の辺りをとんとん叩き、侍が自分を睨みつけようと首を捩じっている隙に、お花と又吉に「とにかく離れろ」と目配せをして、店の奥の方へと顎をしゃくった。又吉はお花の肩を抱いて、店の奥のへっついの前まで連れていった。

三郎はだんだん大人しくなる侍をやんわりと放してやってから、二人で対面になって、いくらか前屈みに話し出した。
「まあまあお侍様、お腹立ちでしょうが、ここはお屋敷のようにはゆきません。それに、あの男も詫びをした後の事。あたくしもお詫びを申しますんで、二人をどうぞ許してやってくだせえ」
そう言って三郎が頭を下げると、侍は決まり悪そうにまた顔を赤くしたが、もうここまで来ればこれ以上暴れるわけにはいかないと観念したのか、「ふん!」と一度鼻を鳴らして店の中の者全員を睨みつけ、席へ戻って行った。

「又吉さん、大丈夫ですか…?」
お花は又吉と店の奥まったへっついの横にずっと居たので、怖がっていた気持ちもだいぶ治まってきたようであった。
だが、そうして又吉を見てみると、又吉がぶるぶる震えて泣きそうな顔をしていることに気付いたのだった。

又吉はお花に大丈夫かと聞かれたので答えようとしたが、うまく喋ることも出来ないのか、唇を震わせながらなんとか笑って、自分の肩を片腕で抱える。
「大丈夫だぁお花さん。おら、もう大丈夫だ」

お花は、又吉の普段の控えめな振る舞いや、人の目を気にするような遠慮がちな微笑みを思い出した。自分は女の身であり、侍に刃向かえはしないとしても、自分と似たように内気で怖がりな又吉に、侍を突き飛ばすなどということをさせてしまった弱い自分が情けないと思い、一粒ぽろりと涙を流した。すると、それを見て又吉は急に慌てる。

「どうしただお花さん、やっぱり怖かっただか、もう大丈夫だでぇ、泣くでねぇ、泣くでねぇ」
又吉は必死にお花を慰めようとしたが、お花は涙を覆うために顔を隠して首を振るばかりで、しばらく泣いていた。

「ありがとうございます、又吉さん…」
そう言って顔を上げたお花の頬は涙で濡れていたが、目に迷いはなく、又吉のしてくれた事に精一杯報いる感謝をしようと、真っ直ぐに又吉を見つめた。

お花の唇は素直に微笑み、眉は臆することなくなだらかに寝かされて、黒い瞳の輝きは、一番美しく又吉に向けられた。

又吉はその様子を見て息を呑んだが、すぐにお花を見つめ返した。でも、気弱に俯いてはぐらかしそうになってしまいそうになるのを我慢しているように、顎を震わせ、言葉を探すために一文字に結んだ唇をむずむず動かしては、また強く結び直した。
そして、ぱちぱちと瞬きをしていたのをやめると、小さく息を吸って一瞬待ってから、「おら、いつでもああするだ」、とだけ言った。