黄昏クラブ
「正しかったとしたら?」
「あなたには、きちんと話さないといけないと思う。何故なら、もう会えなくなるかも知れないから」
「それって……」
「そうね……」
ふうっと、彼女は息を吐く。「私は消えてなくなるわけじゃない。でも、あなたにはそう見えてしまうかも知れない。それは、私には分からないし何の保証もできないから。でもね、全く心構えがないのと、そうでないのでは全然違うはず」
「それって、覚悟しろってこと?」
「そうね。そういうことになるわね」
「分かったわ。話してくれる?」
彼女は頷いた。
「あのね、薄々は感づいていたのよ。でも、あなたと出逢って、そうなんだって確信っていうのかな、改めて自分って何なのかが分かったような気がするの」
「うん」
「私はね……」
彼女はしばし逡巡するように言葉を切った。「私は……半分なの」
「半分?」
「そう。私は半分の私なの」
「えーっと、それって――」
「ね? 分からないでしょう?」
私の思いを見透かしたように、彼女が言う。「どうせ理解してもらえないのは先刻承知よ。だから、今まで言わなかっただけ」
「う…ん……」
「今、あなたの前にいる私は、吉井のどかの半分なのよ」
「ごめん、半分の意味が解らない」
「そうよね。もしかしたら、半分以下かも知れないし。私も上手く言えない。コピーというのでもないしね」
「……」
「とにかく、私は吉井のどかの一部分であって、全体ではないの」
「じゃあ、後の部分は?」
私は訊く。
「それは、あなたが見つけるわ。請け合ってもいい」
「何を請け合ってるのか、さっぱりなんだけど」
「今はね。でも、すぐに解るようになる。言葉だけでは伝わらないことだってある。そうでしょう?」
「ええ。――でも、どうして半分なの?」
「思いよ」
「思い?」
「私は、部活が好きだった。退屈ではあっても、そこには居場所があった。何かの拍子に手鞠唄に誘われて、それに興味を持った。何か面白いことがあるかも知れないと、孤独な私は興味を持った。そして――」
「そして?」
ごくりと、私は唾を飲み込む。
「その思いは、置き去りにされた」
「……」
「私は、私だった。それだけだった。でもね――」
彼女が私を見据える。「あなたが現れて、私の時間は動き出したの」
「あなたの、時間?」
「そう、私の時間。それまでの私は、ただここにいて無為に過ごすだけだった。ここにいる時間だけが全てだった。でも、あなたと出逢って、別の時間があることを知った。私は――」
彼女が息をつく。「置き去りにされた、吉井のどかの思い。私の半分なの」
「そんなことって――」
私は言う。「だって、あなたはここにいるじゃない? あなたは幽霊なんかじゃないでしょ?」
「もちろん、幽霊じゃない――。私はここにいる。でも、それだけ」
「信じられない……」
「だから言ったでしょう? どうせ信じてもらえないって」
私は口を結んだまま、彼女を見返す。
「いいのよ。どうせ信じてって言う方が無理なんだから」
「信じられないのは確かだけど……。続けて」
彼女が頷く。
「私は、もう半分の私――たぶん、そっちが本物なんだろうけど、その私がいま何をしているのかは知らない。このお留守番が終わって、私がどうなるのかも、私は知らない。でも、この私が消えても、もう半分の私がいるのなら、私が消えてしまうことにはならない。そうでしょ?」
「私に訊かれても、何とも言えないけど……。そうだって言った方が、慰めにはなるのかな……」
「そうよね。どんなに言葉を重ねたって、慰め以上のものにはならないかも。べつに慰めてもらおうなんて思ってないけれど」
「……」
「あなたは、鞠を探すのね」
私は頷く。
「たぶん、それが一番ね。それで、あなたが鞠を引き継ぐのね?」
「私が?」
「そうよ」
「私が、あなたの代わりにお留守番をするっていうこと?」
「違うわ。あなたは、終わらせるの。答えはきっと、あなたの中にある」
「私の……」
「そして、私は、元の私に還る」
「どっちにしても、これが解決したら、あなたには会えなくなってしまうのね」
「そういうことに、なるかしら」
「せっかく会えたのに?」
「別れなんて、いつだってあることじゃない?」
「そうだけど……」
「私だってね、寂しいわよ。でも、それを思い出させてくれたのも、あなただった」
「でも、本当のお別れってわけでもないんでしょ? 私が間違ってるかも知れないんだし」
彼女が静かに首を振る。
「私、もうすぐお留守番が終わるって言ったでしょ? ただ漠然としか思ってなかったけど、さっきのあなたの言葉で理解した」
「私の…せい……?」
「いいえ。あなたのおかげよ」
「……」
「あなたは、あなたのやるべきことをしたらいいの。私はそれに干渉しない。おそらくそれが、最善だと分かってるから」
「……ホントに……いいの?」
彼女が頷く。
「それで、あなたが消えてしまっても?」
「何度も言わせるつもり? 私は、消えやなんかしないわ」
「でも、ここからいなくなるんでしょう?」
「何が幸いなのかは、その本人にしか分からないものよ」
「だからって……」
「あなたは、私がいなくなったら寂しい?」
「そりゃあ……」
私は目を逸らす。「決まってるじゃない」
「ありがとう」
彼女が微笑む。「それだけでも、救いだわ」
「救いって……」
「言葉通りよ。私のことを大切に思ってくれる人がいる。それは救いだわ」
彼女が立ち上がる。「いい風ね」
窓から吹き込んでくる風に、彼女は目を細める。
私は座ったまま、風に揺れて煌めく彼女の髪を見つめた。ずっと、彼女とこうして時を過ごせたらと思う。だが、彼女は間もなくお留守番から解放されると言うし、私も来年には卒業してしまう。そう思うと、この何気ないひと時が、たまらなく貴重なもののように感じられた。