黄昏クラブ
私はその真っ直ぐな視線を受けて頷いた。
「もう夕方だから、あんまり時間はないけれれどね」
「私があなたと会っていたのは、いつもこんな時間だったわ」
「そうなのね。私は、あなたにどんなお話をしたのかしら」
私は、ふっと笑みを漏らす。
「あなたはいつも、肝心なことは何も言わない」
「そう?」
私は頷く。
「じゃあ、あなたは私に何を訊きたいわけ?」
「何をって言われたら、特に……」
常にはぐらかされては来たが、改めて何を訊きたいのかと問われたら、本当に訊ねたいことが何なのかがあやふやになってしまう。
「それなら、何でもないお話をしましょうか」
彼女が言う。
私は頷いた。
「私は三年年C組、あなたは?」
「三年H組」
「じゃあ、同い年ね」
「うん」
「あなたは、文芸部だっけ?」
「うん。一応は部長だった」
「おかしいわね」
「おかしい?」
「だって、部長は私なんだもの」
「……」
「私が二年の時に三年生が問題起こして退部になってから、ずっと部長よ」
「いったいどういうこと?」
「まあ、元々帰宅部のための部だし、いつもいるのは私だけ。おかげで私はヌシって呼ばれてるわ」
「ヌシ!?」
「ええ、そうよ。いつも部室にいるから」
「えーと……」
おずおずと、私は言う。「私も、ヌシって言われてた」
「本当? じゃあ、あなたも本当に部長なのね」
彼女は一瞬顔を輝かせたが、すぐに考える表情になる。「もしそうなら、どうしてここに文芸部長が二人もいるわけ?」
「そんなこと、私が知るわけないじゃない」
「まあ、それもそうね」
彼女が声もなく笑う。
「じゃあ……」
彼女が言う。「あなたは、どうして文芸部に入ろうと思ったの?」
「そりゃあ――本が好きだからよ」
「それだけ?」
「まあ……、そんなに活発な部活じゃなさそうだったし」
私は、正直なところを言った。
彼女は笑う。
「そうよね。私も同じよ。それ以外の理由なんて、無いわよね」
「……」
「で、あなたはどんなのが好きなの?」
「好きっていうか、ハマったのは三浦綾子の天北原野とか塩狩峠かな。いまは泉鏡花を読んでるけど」
「なあんだ……」
彼女が、くつくつと笑う。「私と同じじゃない」
「そうなの?」
「ひょっとしたら、夏目漱石の『それから』も?」
「どうして……」
「まるっきり、趣味同じじゃないの」
「……」
「さすが、文芸部員ね」
「私は、ただ本が好きなだけで……」
「それ以外に、理由が必要?」
確かに、文芸部に入部する動機としては、それだけで十分だ。
「あなたも、そんな理由で?」
「そうよ」
彼女が言う。「それに、誰も部室に来ないから、好きにできるしね」
ああ、この動機は全く同じだと、私は思った。
「うるさい先輩もいない。特に課題もない。時間つぶしには最適だわね」
「うん……」
「私は知らないけど、あなたも三年生よね」
「うん」
「進路とか、決めてるの?」
「一応、進学」
「偉いわね。まだ勉強するのね」
「べつに、偉くなんかないわ」
前に彼女に言われたことを思い出す。進学にせよ就職にせよ、勉強しなければならないことには変わりはないのだ。
「私は就職」
「高卒で?」
「おかしい?」
「いや……」
「勉強する気もないのに大学なんて行ったって、お金の無駄よ」
「そうなのかなあ……」
その辺りのことは、私にはよく分からない。私は親への反発心から大学へ行こうとしている。それがはたして正しいことなのかどうか。だからといって、親の言うとおりに就職するのが最善だとは決して思えない。
でも、その辺の事情は聞くべきではないと私は思った。
では、ほかに話すべきことは……。
そう考えている間に、彼女が口を開く。
「あなた、好きな人とかいるの?」
「す――」
唐突の質問に、私は戸惑った。「好きとか、どうとか、そうじゃないとか――」
彼女が笑う。
「いるのね」
「い、いないわよ!」
「無理しなくてもいいわ」
「無理なんて、してない!」
「そんなに、ムキになるのが何よりの証拠よ」
「私、ホントに……」
「好きな人が、いるのね」
「そんなの、いないわ」
私は言う。
「じゃあ、気になってる人は?」
「……」
「いるのね」
「い、いないわよ!」
即答する私を、彼女が笑う。
「本当に、いないんだから!」
「はいはい、そうなんでしょうね」
「あなたこそ、どうなのよ。人のことばっかり言って」
いい加減頭に来て、私は言った。
「私? それを聞いてどうするの?」
「どうもしないけど……」
自分だけが押されているようで、そのままでは我慢ならなかった。
「好きな人なら、いるわよ」
彼女が言う。
「え……?」
「好きっていうのか、気になる人だけど」
「そうなんだ……」
私は視線を伏せる。
「あなたには、そんな人はいないの?」
「うん……」
私は出来るだけ遠くに視線を逸らせる。「いたら、いいんだけどね」
「恋とか、したことはある?」
「……」
「そう。ないのね」
「そんなことない。そんなこと……」
「見栄を張らなくていいのよ。恋なんて、慌ててするものじゃないのだから」
「でも……」
高校三年間で結局彼氏が出来なかったというのは、どうしようもない事実だった。大学生ともなれば、もう大人の仲間入りだ。高校生のように甘ったるい恋など過去形で語られる夢物語になってしまう。
「よく言うでしょう。恋はするものじゃなく、落ちるもの」
諭すように、彼女は言った。
「私、落とされたこともないわ」
彼女が笑う。「恋に落とされる、か。そういう発想はなかなかできないわね。あなたはさすが文芸部員ね」
「おだてられたって、ちっとも嬉しくなんてないんだから」
「おだててなんか、いないわよ」
「じゃあ、何なのよ」
「さあ、何なのでしょうね」
彼女が含み笑いした。