黄昏クラブ
25
ひと度どちらかが黙ってしまうと、途端に沈黙が訪れる。
夕陽の差し込む窓辺で向かい合わせに座るのも、いつものことだった。だが、いま目の前にいる吉井のどかはいつもの彼女ではない。一緒に考えようと言われたものの何を考えてよいのか、何を言い出してよいのかも分からないまま、私はただ座っていた。
部室の下を、運動部が掛け声をかけながら通り過ぎるのが聞こえる。私は見るともなく、窓の外へ視線を投げた。
そのときに気づいた。
やっぱり、何かが変だ――
いつも見ているはずの当り前の光景が、どこか違って見える。それが何なのか確かめようと目を凝らす。だが違和感の原因を突き止めようとすればするほど、どこがどう違うのかが不分明になってしまう。
「何か、分かった?」
しばらくして彼女が訊く。
私は首を振った。
「でも――」
今しがたの思いを打ち消すように、私は言う。
「でも?」
「もしかしたらね、あの女の子は幻だったけど、私たちを結びつけるための存在だったのかなって――」
「何のために?」
「それは、分からないけど」
「結局、分からないのよね」
「……分からなくたって、いいんじゃない?」
「え?」
「無理に、分かろうとしなくたって、いいんじゃないかなって」
私は、膝の上で指を弄ぶ。
「ということは、お留守番の意味もないってことになるわね……」
「意味がないとまでは、言わないけど」
「もっとも、私もそんなに必死で突き止めたいわけでもなかったんだけれどね」
ふうっと、彼女は天井を仰いで息を吐く。「そうか。謎は、謎のままにってことか……」
「気持ち悪くは、あるわね」
「そうでしょう? あなたも、そう思うでしょう?」
「ええ」
「それにね、私たちが出逢うことに、何か意味があるのかしら」
「さあ……」
「まさか、一緒に鞠つきをしろということでもないでしょうし」
私は笑った。「自分と遊んで欲しいというんなら、ともかくね」
「ね? 誰かと誰かを一緒に遊ばせるために出てくる幽霊なんて、聞いたこともないわ」
「やっぱり、幽霊なのかなあ」
「私は、そんな七不思議とかは知らないけれど、あなたは?」
「私も知らないわ。そんな、幽霊が出るだなんて知ってたら、ひとりで部室になんていられない」
「そう? 私なら面白いと思うけれど」
「なるほどね……。だから、ひとりでお留守番なのね」
「何か伝説があったのか調べてみようとしても、古典部には部員も顧問もいないから聞きようもないし。オカルト研究会の子に訊いても古典部にまつわるいわくなんて知らないって言われたわ」
「そこまで調べたんだ」
私は素直に驚いた。
彼女が頷く。
「だからね、自分で張り込みすることにしたの。でも、張り込みって言ったら何だか物騒じゃない? だから、お留守番って言うことにしたのよ」
なるほど、だから彼女はあくまでもお留守番と言い張り、自分がそうしたいからここにいるのだと言っていたのだ。
「で、現れたのが私だった。女の子ではなくね」
「あなたにとっては、私」
「そうね……」
会話が途切れた間に、彼女が缶コーヒーを飲み干す。
「結局、堂々巡りか……」
「……」
私は何か引っかかるものを感じた。「堂々巡り……」
「それが、どうかした?」
「うん。手鞠遊びも、繰り返しだなあって」
「それが?」
彼女が訊く。
「それだけ。ヒントがありそうな気が、一瞬だけしたんだけど」
「子どもの遊びなんて、繰り返しが基本じゃない? だったら、それに意味があるのかどうかは疑わしいわ」
「やっぱり?」
「何でも考えてみるのは悪いことではないけれど」
私は俯く。せっかく何かを思いついても、何が重要でそうでないのかの関連が続けられない。これじゃ、文芸部員として失格だと苦笑せざるを得ない。もっとも、もう部員ではないのだけど。
だが、さっきの思いつきは、あながち間違いではないような気がする。
では、何が――
鞠つき遊びは、どちらかがやめない限りは延々と続く。鞠は丸く、跳ねる。やはり、『鞠と殿様』か。否、もっと基本的なことだ。
そうだ――!
「ねえ、その鞠はどうしたの? あなたのものなの?」
私は、床に転がったままの鞠を指さす。
「これ?」
彼女がそれを拾い上げる。「この鞠は、最初からここにあったものよ。私のものじゃないわ」
「最初から?」
「ええ。私が初めてここに入った時に見つけたの」
「それは、どこで?」
直感でしかないが、それはただ床に転がっていたわけではないだろうという感じがした。
「あそこよ」
彼女が示したと部屋の一隅には、段ボール箱が幾つか積み上げられていた。
「あの中に?」
「いいえ、上に」
「上に?」
「そう。箱の上に置いてあったの」
それは意外だった。てっきり大事に箱の中にしまわれていたのではと思っていたからだ。
「綺麗よね」
彼女が、両手の上で軽く転がして見せる。「こんなの、どこに売ってるのかしら」
「さあ。私も実際に売ってるのは見たことないかも」
「そうよね」
「ねえ、もう一度、鞠つきしない?」
彼女が言う。
「もういいわ。私、運動は苦手なの」
「それは、私だってそうよ」
彼女が笑顔を見せる。「今度は『鞠と殿様』で。私たちが楽しんでるのを見たら、あの子も出てくるかも知れないわ」
「お化けを呼び出すの?」
私は尻込みする。「コックリさんみたいに?」
「あなたも、あの女の子を見たんでしょう? そんな怖いものだった?」
「怖いっていうより……」
そう感じるよりも先に、吉井のどかがそこにいた。ただそれだけだった。
「じゃあ、行くわよ」
すでに立ち上がった彼女が鞠を両手で捧げ持っている。「技とかなしで、普通につきましょう」
そこまで言われては、私も断れなかった。元来私は、押しに弱いのだ。
「私、歌詞全部知らないんだけど」
「大丈夫」
そう言うと、彼女は鞠を床に落とした。
「てんてん、てんまり、てん、手鞠――♪」
私に鞠が回ってくる。
「てんてん、手鞠の手が逸れて――♪」
そこまで歌って彼女へ鞠を返す。
「どこからどこまで飛んでった――♪」
「垣根を越えて屋根越えて――♪」
「表の通りへ、飛んでった、飛んでった――♪」
その後の歌詞を私は覚えていなかった。
「表の行列、なんじゃいな、紀州の殿さまお国入り――♪」
彼女が続きを歌う。
節に合わせて鞠のやり取りを続けたが、例の女の子はついぞ現れなかった。
「やっぱり、来なかったわね」
鞠を受け止めて、彼女は言った。
私はため息をついて椅子に座る。いい年して、何を子供じみた遊びをしていたのかと、馬鹿々々しくなる。
「こんなことで来るくらいなら、とっくに出て来てたはずよ」
私は言う。
「あなたと一緒ならと思ったんだけれどね」
「無理よ、そんなの」
「どうして言い切れるの?」
「おそらく、あの子の役割はもう終わったからよ」
「私たちを引き合わせたから?」
私は頷く。
「そう」
彼女が鞠を机の上に置いて、肩の力を抜く。「あなたがそこまで言うのなら、そうなのかも知れない」
私の前の椅子に掛けながら、彼女は続ける。「じゃあ、二人でお話ししましょうか」