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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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黄昏クラブ

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「ねえ、ここって何部なの?」
 向こうを向いたままの少女に私は訊いた。
 少女は声も立てずに笑ったようにも見えた。
「何部だと思う?」
「表には、何も書いてなかったし」
「そうね。名前だけあって何やってるのか分からないクラブもあるんだから、一つくらい名前のないクラブがあってもいいんじゃない?」
「からかってるの?」
「まさか」
 こちらは見ずに口調だけはさも意外そうだった。「言ってみただけよ」
「……」
「古典部よ」
「古典部?」
 そんなクラブあっただろうか。名前だけあって活動停止中の部活は幾つかあったはずだが、古典部の名はこれまで聞いたこともなかった。
「そう。私は部員じゃないけれど」
「部員じゃないのに、どうしてここにいるの?」
「いちゃ、いけない?」
「ダメってわけじゃ……」
「私は、お留守番」
 これはまた、奇妙なことをいうものだと私は思った。
 それを知ってか知らずか、彼女が補足する。「古典部は、休部中」
 道理でクラブ名の札がなかったはずだ。だが……
「休部中なのに、部員でもない私がいるのは変。普通はそう思うわよね」
 言いたいことを先取りされてしまって、私は口をつぐんだ。
「二年以上続けて部員が三人以下だと、自動的に休部になる。そして、古典部はもうずっと……」
「だから、お留守番なの?」
「そう。一人じゃ何もできないでしょ」
「じゃあ、元々は部員だったのね」
「違うわ。私は、ただのお留守番」
 彼女は窓枠に頬杖をついたまま言う。
「……」
「あなたは文芸部でしょう?」
「そ、そうだけど」
「だから、お隣同士なのよ」
 私は、彼女が何を言いたいのかさっぱり分からなかった。文芸と古典、同じ文学ということを指しているのだろうとしか。
「帰らないの? もう――」
 私は、また訊く。
「帰りたいなら、帰ったらいいじゃない。私はもう少し、ここにいる」
「帰りたい、わけじゃ……ないけど……」
「じゃあ、ゆっくりして行けば?」
「でも……」
「見回りは、一回きり。知ってるでしょ?」
 昨夜も今朝も弟と喧嘩して、弟の肩を持つ母親にも腹を立てていたので、今日は帰りたくない気分だった。まるでそれをお見通しとでもいうような彼女の言葉だった。
 私は鞄を置いて、椅子の一つに腰を下ろした。
 彼女の言うとおり、見回りは一回きりだ。そもそもそんな遅くまで残っているのは美術部か写真部くらいのもので、先生もそれ以外は適当に素通りしてしまうことが多い。音を立てるような吹奏楽部や軽音部は、見回り以前の問題だった。
 だから、ここへはもう見回りは来ない。日が暮れてからも電気が点いていたら別だが。
「あなた、ひとり?」
 私は訊く。
「そうよ。あなたと同じ」
「私は、一人じゃないわ」
「そう。なら、よかったじゃない」
「良くない!」
 思わず、私は立ち上がっていた。
 驚いた少女が、ようやく私の方を向く。
「って、あの……」
 自分で上げた声に自ら戸惑って、私は目を逸らせた。「その――えっと……」
 不必要に慌ててしまった私の姿を見て、少女は初めてクスリと笑った。
「座ったら?」
 落ち着いた彼女の声に促されて、私は椅子に座り直した。
「びっくりした? 誰もいないと思ってた部屋に私がいたから」
 私はまんじりともせずに彼女を見返すだけだった。
「吉井、のどか」
 彼女が自分の名を名乗ったのだということすら、上の空だった。
「あなたは?」
 問われてようやく、名前を聞かれていることに気づいた。
「え? あ、私……早乙女彩夏、です」
「あなたは?」
 先に名乗られたことなど忘れ去っていた。
「吉井のどか。言わなかった?」
「ごめんなさい、聞いてなかった」
 私は素直に謝った。「それで、吉井さん?」
「なあに?」
「ひょっとして、私のこと、前から?」
「そうね……」
 彼女はまた遠い目をした。
「吉井さんは、ただのお留守番って言ったけど、ここでは本は読まないの?」
 壁のスチールの棚には、なるほど古典の本が並んでいる。
「本? 読むわよ」
 意外そうに彼女は言った。
「でも、ただぼうっとしてるだけにしか――」
「そうね。ここにあるものを時々は。私は、部員じゃないけれど古典は好きよ」
 彼女が息をつく。「思いを馳せる。しみじみと感じる。書かれない何かを見る。文字にならないもの、文字を持たなかった大和が万葉仮名による筆記を成すまでの間に培われた心」
「えーっと……」
「つまり、書き言葉になる以前の言葉。世界で最も洗練された詩と言われている俳句は、書き言葉じゃなくて音。文字に記す以前の想いが詰まっているから、俳句は心に響くのよ。和歌は、書き記すものじゃなくて詠むもの、そうじゃない?」
「ん、……まあ……」
 いきなり古典についての蘊蓄垂れられても困るんだけど――
「文芸部のあなたでも持て余すようじゃ、古典部なんて存在してるだけで表彰されそうね」
 あんたが古典にならなければね、と思ってしまったのは辛うじて顔には出さずに済んだようだった。
「文芸部だって、似たようなものよ」
「そうなのかな」
 彼女が寂し気に微笑む。「文芸って言っても、どこからどこまでがそうなのかって区切りはないじゃない? でも、古典はあくまでも古典……」
「それは……」
「だって、そうでしょ? 官能小説でもお決まりの展開が約束された娯楽小説でも、文芸のひとくくりなのよ。たとえそれが何度も読み返せるような名作であっても、一回読んだらゴミ箱に捨てられるようなものでも」
「それは、違うと思うわ」
 私は、いま読んでいるものについて思った。「一回読んでおしまいなものって、誰の記憶にも残らないはず。いくら文芸を名乗っても、ずっと読み継がれてきたものが、後々にまでに残って古典になるんだわ」
「それは?」
 彼女は私が鞄から取り出した本を見て訊いた。
「私がいま読んでるやつ」
「みうら、あやこ……? 氷点の?」
「なんだ、知ってるじゃないの」
「うん」
 彼女は私から本を手に取って、ページをめくった。「懐かしいわ」
 意外なところで共通点を見出して、私は彼女に親近感を抱いた。
「ね? こういうのって、ずっと残ると思うでしょ?」
「ええ」
 彼女も請け合った。「紫式部とか小野小町とかにも通じるものがあるから」
「え? そうなの?」
「あなた、知らないの?」
「知らないって、何を?」
「ふふふ」
 彼女は意味ありげに含み笑いする。
「何よ、言ってよ」
「いと凄まじきもの、よ」
「は?」
 私は間の抜けた声を出す。
「だから、いと凄まじきもの」
「それって、凄いとか恐ろしいって意味……じゃないの?」
「答えは自分で調べて」
「ええー!?」
「私が言いたいのは、古典で人の悪口をいくら書いてもバレないということよ」
「なによそれ。訳わからない」
「特に女の古典は、分かったら面白過ぎるのよ。むしろ、どうしてそんなものがずっと残ってるのか不思議なくらいに」
「なんか、ますます古典が胡散臭く思えてきたわ」
 だいたい、私は芸能ニュースとかには全く興味がない。他人の痴話喧嘩に自分の時間を取られたくないという模範的受験生なんだから。……とでも言っておこうか。
作品名:黄昏クラブ 作家名:泉絵師 遙夏