黄昏クラブ
19
「あなたは、学園祭の間中、ここにいるの?」
私は訊く。
「だって、私には関係ないもの」
「退屈しないの?」
「退屈?」
彼女が私を見る。「それは、することがないってこと? もしそうなら、違うわ」
「でも、あなたはここで、ずっと一人なんでしょう?」
「一人だからって退屈なんて、誰が決めたの?」
「……」
「ねえ、私はここにいるのが好きなのよ。それのどこがおかしいの?」
「おかしいなんて、言ってないけど。でも、せっかくの学園祭なのに」
「そのせっかくの学園祭なのに、どうしてあなたはここにいるの?」
「それは……」
「学園祭って言ったって、所詮はお祭り。その騒ぎについていけない者もいて当然なのよ」
「うん、そうかもね」
「私は、あんまり賑やかなのは苦手」
「うん。私も」
「そうよね。でなきゃ、ここに来ないものね」
「あなたも、賑やかなのは苦手なのよね」
「ええ。みんなと同じように騒げたらいいんだけれど」
「あなたも、やっぱりみんなと同じように騒ぎたい?」
「それは、どうかな」
彼女が言う。「それはそれで楽しいかも知れないけれど、それだけじゃないような気もするし」
「うん。そうね。私もそう思う」
「でしょう?」
そこで、私は気がつく。「ああ、何か差し入れ持ってきたらよかった」
「いいわよ。気を遣わなくたって」
彼女が笑う。
「私、何か買ってくるわ」
「私は何もいらないわよ」
その言葉を背に、古典部室を出る。
適当に屋台を回り、フランクフルトとたこ焼き、それに綿あめを買って古典部室に戻った。
「えらく買い込んだものね」
「あなたのせいよ」
私は、彼女を睨む。
「どうして?」
「だって、あなたはここから出る気がないでしょ?」
彼女がふっと笑う。「出る気か……」
「せっかく色んなものあるんだしさ、あなたも出たらいいじゃない」
「ごめんなさいね。あなたがそう言ってくれるのは嬉しいけど、私はここから出られないのよ」
「やっぱり、お留守番だから?」
彼女が頷く。
「そんなの、すっぽかしちゃえばいいじゃない。古典部なんて、休部なんでしょ? あなたがここにいなければいけない理由なんて、何もないじゃない」
「ごめんなさいね」
彼女が言う。「私は、ここにいたいだけの。それだけなのよ」
「うん……」
彼女の気持ちは分かるような気がする。私もこの学園祭で唯一の居場所を奪われたような気持を味わっているのだから。
「たこ焼き、美味しいね」
彼女が微笑む。
「やっぱ、屋台って言ったらたこ焼きよね」
「そうなの?」
「焼いてる所で、タコの大きさを見るのよ」
「へえ、そうなんだ」
彼女が感心している。
「あなたも場数を踏むことよ」
「うん、分かった」
こちらが拍子抜けするくらいに、彼女は素直に言った。
「でさあ、あなたはずっとここにいるわけ?」
私は問う。
「ええ。だって、仕方ないもの」
「仕方ないって、どういうことよ」
「ごめんなさい」
「べつに、謝らなくたっていいけど」
「そう言ってくれると有難いわ」
「有難がられることでもないと思うけど」
開け放たれた窓からは時折歓声が聞こえてくる。
「何をやってんだかね」
私は苦笑する。「あ……」
「どうしたの?」
「一時から、友達の演奏会があるんだった」
「じゃあ、早く行かないと」
「うん。ごめんね、また後で!」
私は急いで古典部室を後にした。会場の体育館には辛うじて開演に間に合ったものの、観客は少なかった。でも好きな人はいるもので、保護者や生徒が広い構内のあちこちにグループになって座っている。
初日は体育館での催しはほとんどない。二日目、三日目になれば演劇やバンド演奏などが繰り広げられてもっと賑やかになるのだが、今はまだそのような熱気はない。
アナウンスが流れ、幕が上がる。まばらな拍手が起こる。
照明に照らされた舞台上に美奈の姿を探すと、小柄な彼女は他の奏者に押しやられたような格好で隅の方にいた。まあ、木琴なのだから、それも仕方がない。手を振って見せると、彼女は微笑み返してきた。
司会もなく、指揮者がタクトを振ると同時に曲が始まった。
何という曲なのだろう、聴いたことがあるような気がするが、思い出せない。幾つかの楽章が立て続けに奏され、指揮者がタクトを下ろしたのは二十分余りも経ってからだった。
一気に場の空気がほぐれたものになる。壇上の奏者がそれぞれに汗を拭いたりストレッチをしたりしている中、幕が下りる。
「ただ今の曲は、サン・サーンス作曲、動物たちの謝肉祭でした。もう一曲ありますので、そのまましばらくお待ちください」
アナウンスが流れ、席を立とうとしていた人たちが座り直す。私もその一人だった。
五分ほどの後、再び幕が上がった。今度は手前に楽器を持たない生徒が二十人ほどが並んで立っている。その姿勢から、合唱部だということが分かった。
曲が始まる。先ほどとは違って静かな出だしだ。
ああ、この曲なら知ってる――
合唱でもよく歌われる『モルダウ』だ。
吹奏楽部と合唱部のコラボなんて、なかなか考えたものだ。文芸部もどこかと組んでやったら面白かったかもと考えるが、今となってはもう遅い。
楽屋出口のところで待ち伏せて、神崎美奈にねぎらいの声をかけた。
「すごく良かったよ!」
彼女は照れ笑いしながら言う。
「練習、頑張ったもんね。そう言ってもらえたら嬉しい」
「今日は、まだやるの?」
「ううん」
美奈は首を振る。「今日はもうおしまい。明日またやるけどね」
「今から時間ある? 一緒に――」
見て回ろうと言いかけて、腕時計を見て驚く。「いっけなーい! 当番だった! ごめん、また後でね」
部室まで早歩きで戻る。その間にトイレを済ませ、飲み物を仕入れた。自販機の前で少し考えて、もう一本余分に買う。今の時間は一年生が番をしているはずだったからだ。少しくらい太っ腹なところを見せてやってもいいだろう。
部室では三人の一年生が談笑していた。
「あ、ヌシ先輩だ」
そのうちの一人が私を見つけて言う。
「お疲れ。交代するわ」
「まだ十分以上ありますよ」
「いいのよ。次の交代は――」
三人を見回す。
「私です」
「ああ、井上さんね。ギリギリでもいいけど、遅れないようにね」
「はーい」
彼女らが出てゆく。交代の子に渡そうと思っていたジュースは渡しそびれてしまった。自分の分も入れて二本しかない。一人だけに渡さないというのも何とも気が悪い。
椅子に座り、テーブルの上の冊子を数える。
「あれ?」
二冊足りない。「まさか――」
テーブル下の台に置いてある箱を引っ張り出す。確かに、二冊分の代金が入っている。初日のこの時間で既に二冊も売れるなどとは思ってもみなかった。
この調子で行けば――
いや、そんなことはあり得ない! 完売なんて前代未聞だし、半日以上かかってやっと二冊なのだから。それでも売れたことには変わりがない。これはこれで快挙と言わざるを得ないだろう。
次に稲枝が顔を出したら、自慢してやろう――
だが、私が番をしている間には誰一人文芸部を訪れることはなく、冊子も当然売れなかった。