黄昏クラブ
「じゃ、私は練習があるから」
美奈は他の部員と共に去って行った。
学園祭当日になってまで練習なんて大変だなと思う一方、充実した表情の彼女が羨ましくもあった。
まだ正午にもなっていない。とりあえずクラスの方に顔を出してみたが、相変わらず閑散としていた。これなら手伝う必要もないと文芸室に足を向ける。普段はほとんど人と出くわすことのない文化系部室エリアにも、メイン会場からはぐれてしまったような人通りがある。
何がしかやっている部室は解放されている。いつもとは逆の道順で来た私は、古典部室の前で一旦足を止めた。だが、向こうから数人が連れ立って歩いてきたため、文芸部室へと入った。
「あれ? えらく早いじゃないか」
「稲枝、行儀が悪い」
机の上に足を投げ出して雑誌を読んでいる稲枝をたしなめる。
「足が長いからな」
「変な自慢するな。そんな恰好じゃ、誰も入って来られないじゃない」
「そうか? こんなイケメンがいてもか?」
「自分で言ってりゃ世話ないわ」
「ってか、ヌシ、何て格好してんだよ」
「あ、これ……?」
クラスの出し物の衣装のままだったのに気付く。「これ、うちのクラスの甘味処の女給さん」
「ふうん、なかなか似合ってるじゃないか。見直したぜ」
「そ、そう?」
「写真、撮らせてくれよ」
稲枝が鞄をまさぐる。
「お前もか!」
「いいじゃないか。可愛い子を見たら撮りたくなるのは仕方ないだろ」
「か、可愛い?」
「おう、衣装がな」
「絶対撮らせてやらない!」
「嘘だよ、そうムキになるなよ」
「べつにムキになってるわけじゃないけど」
「じゃあ、いいよな」
という間もなく、写真を撮られてしまう。
「この! 不意打ちなんてずるい!」
「いいじゃんか。減るもんでもなし」
「ホントにもう!」
腕組みしてそっぽを向いたところを、また撮られてしまう。
「フィルム引っ張り出すぞ!」
「それだけは勘弁してくれ」
稲枝がカメラをかばう。
「私なんか、撮っても意味ないでしょうに」
「お前のファンに売りつけるんだよ」
「バーカ。そんなの、いやしないんだから」
「そうとは限らないぜ」
カメラをいじりながら、稲枝が言う。
「いたら、天然記念物ものだわ」
「そうか。じゃあ、俺は天然記念物なんだな」
「え……?」
「気にするな、ただのうわ言だ」
「稲枝?」
「ん?」
「あんた……」
「そんなに見つめるなよ。気持ち悪い」
「気持ち悪いって何よ!」
「ヌシの眼力の攻撃力だよ」
「私はモンスターか?」
「モンスター」
言いながら、稲枝が笑う。
「笑うな」
「ごめんごめん。例えが面白かったからさ」
「失礼にもほどがあるわ」
「だから、ごめんって」
「せっかく差し入れ持ってきたのに、損したわ」
私はポケットから缶コーヒーを出して机に音を立てて置く。
「お、サンキュ。ちょうど喉が渇いてたんだ」
「感謝しなさいよ」
「ヌシさまさまだぜ」
さっそくプルトップを開けて、稲枝がコーヒーを飲む。「ああ、うめえ」
「それは、良かったね」
「ところでヌシ、まだ時間があるのに何でここに?」
「あっと、それは……」
「まあ、分かるよ。ヌシは静かなのが好きだしね」
稲枝が笑みを見せる。
敢えて人混みが苦手だと言わなかった稲枝の心遣いに少しばかり胸の裡で感謝する。
「せっかくの学園祭なんだから、楽しめばいいんだよ。何なら俺がエスコートしてあげてもいいんだけど、あいにく当番だしね」
「うるさい。稲枝にエスコートしてもらわなくたって、充分に楽しんでるわよ」
私は部室を後にした。
とは言え、どこに行くというあてもない。みんなが楽しんでいるのに、自分だけが仲間外れになったような気分になる。仮装した姿で校内をうろつく生徒もいるが、私とてその一人にすぎない。変に浮ついた気分の持ってゆき場がなくて、ただぶらぶらと歩きまわるしかなかった。
そのうち、我知らず元の文化系部室エリアに戻ってきてしまっていた。
閉ざされた古典部の扉に手をかける。廊下には誰もいない。この時間に古典部室に入ろうと思ったことは初めてだったが、扉は難なく開いた。
「あら、珍しいわね。こんな時間に」
吉井のどかが言う。
「あなたこそ、こんな時間にいるなんて、思わなかった」
「私は、いつもいるって言ってなかった?」
「うん、たぶん」
実際、夕方以外で彼女に会うのは初めてだった。彼女はあたかもそれを見透かしたかのように言う。
「意外?」
「うん。だって、いつもは帰り際にしか会えなかったし」
「帰り際、ね」
「だって、まだお昼前だよ」
「だから、何だって言うの?」
彼女は私を見据えて言った。