黄昏クラブ
18
学園祭当日。私はいつもの時間に登校した。始まるのは九時だが、早めに来て最後の確認をしたかったからだ。大げさなゲートをくぐると、校内はもう学園祭ムード一色だった。土壇場まで準備に追われている生徒たちの姿を横目に、部室へと向かう。あちらこちらの壁面に、催しの案内の手書きポスターが貼られている。その中に文芸部誌好評発売中と書かれたものを見つけて、思わず微笑む。私が指示したわけではないが、おそらく稲枝がやったのだろう。
部室に入ると、思いがけず稲枝が先に来ていた。
「おう、ヌシ。おはよう」
「お、おはよう」
不意打ちで、私は間抜けな顔をしていたに違いない。稲枝が言った。
「まだ、寝足りないのか? まさか、緊張して寝られなかったとか」
「そんなんじゃない。稲枝に先を越されるなんて思ってなかったから」
「おいおい、甘く見られちゃ困るぜ。俺は文芸部副部長にして学園祭初日一番手の当番なんだから」
「あ、ああ。そうだったわね」
「ま、一番手はのんびりしていられるし、他はまだ準備してたりだしな。寝てても務まるってもんだよ」
「おい、寝てたら務まらないじゃん?」
「俺は繊細な神経の持ち主だから、人が来たら起きられる自信がある」
「無駄な特技を自慢するな」
私は、稲枝を睨む。
「じゃあ、もう少し時間があるから、俺はちょっとぶらついてくるわ」
「うん。でも、時間には戻ってきてよね」
「ああ、分かってるって」
稲枝が出てゆく。扉はもう閉める必要はない。間もなく学園祭が始まるのだから。
だが、彼はそれほどの時間を置かずに戻ってきた。
「ほら、ヌシ!」
稲枝が戸口で手を振りかざして何かを投げる。
受け止めたそれは、ミルクティのペットボトルだった。
「あんた、わざわざこれを買いに?」
「約束だからな。それに、二時間も番をしないといけないんだし、自分の分も調達しとかないと」
「たこ焼きくらいなら、差し入れしてやるよ」
「期待してるぜ」
言いながら、稲枝は冊子を一冊取り上げる。「それにしても、よくこんなタイトルつけたな。ヌシがこんなに自己顕示欲が強かったなんて知らなかった」
「私、そんなに自己顕示欲強くないよ」
「でも、自分の名前をタイトルにするなんてさ、常人では思いつかない」
「そう? 読み方は違うけど」
「ヌシの名前が彩夏じゃなけりゃ、洒落たタイトルだと思う」
「悪かったわね」
「誰も、悪いなんて言ってない。その度胸に感服したってだけ」
「度胸、か……」
「さすがはヌシって呼ばれるだけはあるな」
「名前を残すほど、ちゃんと出来てるかどうかは自信ないけど」
「まあ、いいんじゃないか。センスは悪くないんだし」
「だったら、いいんだけどね」
「そろそろ始まるな」
稲枝が腕時計を見る。
「私、もうちょっとここにいようかな」
「ヌシ、ホントにここが好きだな。でも、せっかくだから見て来いよ。今年が最後なんだから」
「うん、そうね」
私は立ち上がる。「占いの予約でもしてこようかな」
「ああ、あの先生のな。でも、恋愛専門じゃなかったっけ? 俺とヌシの恋愛運でも見てもらうのか?」
「ばーか。あんたとの運を見てもらってどうすんのよ」
「ま、それもそうか」
稲枝は笑った。
校内放送で、学園祭開始が告げられる。どこかから歓声が届く。だが文化部室エリアは静かなままだ。廊下には飾り付けや各クラブへの案内が満ちているが、人通りはない。
ふと、隣の古典部室が気になる。でも部室には稲枝がおり、廊下には最後の飾り付けを点検している生徒もいて、そこへ赴く勇気が持てなかった。
「じゃ、私は適当にぶらついてくるわ」
稲枝に声をかける。稲枝は右手を上げて返した。
文化部室エリアにいては分からないが、中庭を中心としたメイン会場は既に賑わっていた。
「あ、彩夏じゃん!」
声のした方を見ると、小夜里だった。
「あ、小夜里。おはよう」
「おはようじゃないわよ。彩夏、クラスの方には全然顔出さないんだもん」
「いや、私は部活の方で……」
「問答無用よ。こっちへ来なさい」
「ちょ、ちょっと! 占いの予約しないと!!」
「どうせ恋占いでしょ?」
「どうせって何よ。超人気なの知ってるでしょ」
手を引かれながら、私は抵抗する。
「もう!」
小夜里が力を緩める。「彼氏もいないくせに」
「いないからよ」
「はいはい。じゃあ、そっちを先に回りましょ」
「サンキュ」
今度は私が手を引いて占いコーナーへ向かう。すでに行列が出来ていて番号札を配っていた。
「げ! もう九十九番まで!」
もらった札を見て、二人して驚く。
さすがに当たりすぎると評判なだけある。
「まあ、百番以内だってことで、良しとしなよ」
肩を落とす私を、小夜里が励ます。番号は逐一校内放送で報せてくれるシステムだ。一人五分としても、今日中に順番が回ってくるのか怪しいものだ。明日もあるのだが、二日目は番号札無しの行列のみになる。もちろん、今日午前中に配られた分の順番が終わってからだが。
「じゃあ、行くよ」
小夜里が言う。
「もう、仕方ないなあ……」
私はしぶしぶ彼女に従った。
教室はすでに準備が終わって、来客を待つばかりだった。私のクラスは甘味コーナーだった。コスプレ喫茶なので女子の数人が和服の女給さんスタイルで待機し、男子は男子でウェイタースタイルを決め込んでいる。だが、まだ始まって間無しのためか、お客は一人もいない。
「全然忙しそうじゃないじゃない」
私は言う。
「これから、忙しくするのよ」
「これからって――」
「まずは、着替えよ。着替え」
「え、えー!?」
と言うわけで、私も大正モダン女給さんスタイルにされてしまった。
「彩夏って、黙ってるとそれなりに映えるのよね。喋らせるとダメだけど」
「なんか、微妙に悪いこと言われてる?」
「気にしない気にしない。なかなか様になってるよ」
「そ、そう?」
「写真、撮ってあげるよ」
「いや、いいよ」
「遠慮しないの! 高校生活最後の学園祭なんだから」
なんだか無理やりに写真を撮られた感じだけど、私としてはまんざらでもなかった。だって女給さんスタイルは可愛かったし、小夜里の言うように高校最後の学園際なのだから、少しくらい弾けたっていいはずだ。
一時間ほどクラスの甘味コーナーにいたが、お客の入りは少なくて、暇をもてあましていた。解放された私は衣装のまま校内をぶらつく。元気にやってるところもあるが、仕方なしに番をしているのが見え見えのところもある。若手の先生数人が中庭でフォークギターをかき鳴らして熱唱しているのも、毎年のこと。
ふと思い立って、吹奏楽部の部屋を覗いてみたが数人の部員がいるだけで、閑散としていた。訊いてみると、この時間は視聴覚室で小演奏をしているとのことだった。
聞くところによると、今回の学園祭では一応プログラムの了承は得てはいるが半ばゲリラ的にあちこちで演奏をするのだそうだ。それはそれで面白そうだということで、私は視聴覚室に向かった。
だが、間が悪いことに、ちょうど演奏が終わったばかりの美奈と出くわしてしまった。
「なんだ、もう終わったのか」
「次は、一時から体育館だから、時間があったら聴きに来てよ」
「うん」