黄昏クラブ
私の強がりなど先刻お見通しなのだ。そもそも私は、感情を隠すのが絶望的に下手なのだ。
「嘘、じゃないけど」
「あなたを尊重して、そうだと言った方がいい?」
「やめてよ、そんなの」
私は慌てて否定した。
「諒解」
彼女が言う。「で? どうして今日は、そんなに慌ててたの?」
「べつに、慌ててたわけじゃないけど……」
「そんな風には、見えなかったけれど?」
「……」
私は、彼女を睨む。
「そんなに怖い顔をしないで」
彼女が言う。
「私、そんなに怖い顔、してる?」
「してるわよ。今にも突っかかってきそうなくらい」
「まさか……」
私は言う。「気が滅入るじゃない」
「学園祭のこと、上手くいってないのね」
「それも、あるけど。それだけじゃなくて――」
「そんな所に立ってないで、掛けたら?」
そう、私は後ろ手に扉を閉めたまま、そこにもたれかかっていたのだった。少しはずみをつけて背を離すと、扉が意外なほどに大きな音を立てて、ギクリとした。
「ほら、そんなに緊張してる」
「緊張なんか、してないわ」
私は単に、廊下にいる誰かに気づかれやしないかと思っただけなのだ。
でも、どうしてそんなことに気を遣わないといけないの――?
そもそも学園祭前のこの時期、どこかの部室に誰かがいるのは当然ではないか。それをわざわざ確かめようとするのは見回りの先生くらいで、その見回りもすでに終わっている。わけもなく後ろめたいような気持ちは残るものの、私は安堵の息をついていつものように彼女前の席に座った。
彼女は私に座るように促してから、窓の外を向いたまま黙りこくってしまっている。
私も何を言っていいのか分からずに、彼女の横顔を見つめた。
まるで時が止まってしまったかのような沈黙が流れる。風さえないようなのに、彼女の髪が微かに揺れる。
あれ――?
私は、何かがおかしいことに気づく。
開け放たれた窓、黄金色の夕景。
それだけなら、いつものことだ。
だが、今日は違う。
「雨……」
雨が、降っていないのだ。窓からは眩しいほどの金色の光が差し込んで、室内をくっきりと明暗に分けている。
「雨?」
彼女が私の方を見る。「雨が、どうかした?」
「ここに入る前は、雨が降ってた」
「そうなの? 気づかなかったけれど」
そんなはずはない。すぐ隣の文芸部室にいた時、雨は本降りで、閉め切った窓ガラスを雨滴が叩いていたほどだったのだ。
たった今止んだというのでもない。空には千切れ雲が幾つか浮かんでいるだけで、校舎脇の木立は濡れた形跡もない。
「雨、降らなかったの?」
私は訊いてみる。
「降ったのかも知れないけれど、気がつかなかったわ」
「ずっと、外を見てたのに?」
「ぼんやりしていたからかな」
私は、彼女の表情を窺う。嘘を言っているようには見えない。
「どうしたの? 私、何か変?」
あんまり長い間見つめていたため、彼女が訊いてくる。
「う、ううん」
そう応えて、私は外の光景をもう一度見直す。
やはり、おかしい。木々だけでなく、路面もそこに停めてある車の屋根も乾いている。たとえ雨が止んでいたとしても、こんなに早く乾くはずがない。
信じられないことだが、ここでは彼女の言う通り雨は降っていないのだ。
私は、夢を見ているのだろうか――
冊子の表紙絵について考えていた。そことさえも、夢なのだろうか。
いや、そんなことはあり得ない――。
「もうすぐよね、学園祭」
彼女が、ぽつりと言う。
「うん……」
「その後、あなたはどうするの?」
「どうするも何も、お役御免ね」
「そう」
彼女の表情が翳る。「三年生だものね」
「私、帰るわ」
なんだかいたたまれないような気がして、私は立ち上がる。
彼女が瞳だけで頷く。
それを背に古典部室を出ると、体中から力が抜けたように大きなため息が出て、知らぬ間に緊張を強いられていたことを覚った。
顔を上げる。薄暗い廊下に所々蛍光灯が灯っている。もう誰もいないのか、人の気配もなく、リノリウム張りの床が冷たく明かりを反射しているばかりだ。
廊下を数歩進み、ふと窓の方に目をやって、思わず立ち止まる。
「え……?」
外には、夕暮れの輝きなど微塵もなかった。
暗く沈んだ空の下、中庭の木立が雨に濡れそぼっている。
急いで古典部室に取って返し、扉に手をかける。
だが、たった今出て来たばかりなのに鍵が掛っていて開かなかった。
「そんな……」
私は茫然と立ち尽くした。
音が響くのも構わず、扉を叩く。
しかし、内側からは何の反応もなかった。
「こんなことって……」
雨の音がひと際激しく無人の廊下にざわめきを伝える。
どこかで人の声がしたような気がして、私はようやく我に返って歩き出したのだった。