黄昏クラブ
14
学園祭が近づくにつれ、放課後の校内は活気づいてくる。それまで閑散としていた文化系部室にも、人の出入りが目立ち始めた。真剣であれ惰性であれ、学園祭はクラスや部活にとって一大イベントであることには変わりない。こうなってくると、よほど熱心な帰宅部員でもない限り、何かしら参加し出したりする。もっとも我が文芸部は相変わらず私がメインで、副部長の稲枝がちょくちょく顔を出す程度だったが。
かくして今、稲枝がパソコンに向かって冊子の編集をしている。たった一台のパソコンを使えないため、もっとも使う気すらないために、私は窓際の席に座って本を読んでいる。
机の上には飲み物のボトルと紙コップ。傍目には青春やってる二人に見えるのかも知れないが、どちらも相手は眼中にない。
稲枝は時折キーを叩いたりしているものの、いたって静かだ。
私は読んでいた本から顔を上げて、窓の外を見る。揃いのユニフォームを着た運動部員が掛け声をかけながら、下を通り過ぎる。団結は団結で鬱陶しいが、団結がなさすぎるのもいざという時には問題だ。私とて、なりたくて文芸部長になったわけではない。上下関係の甘さは、文化系特有で有難くもあるのだが、もう少し部長権限があってもいいのではないかと思ってしまう。
「よし! こんなもんか!」
稲枝が机を叩く。
「出来たの?」
「おう。見てみるか?」
私は椅子から腰を上げて、稲枝の傍に寄る。
「まず、1ページ目からな」
表示されたのは目次。著者名とページ数が綺麗に並んでいる。
上下二段の新書形式の書式で、きちんと表示されている。
「なかなか、いいじゃない」
「お、そうか?」
稲枝が嬉しそうな顔をする。
「稲枝に、そんな技があるとは思わなかった」
「お褒めにあずかり光栄です」
「何、気取ってるのよ」
私は、稲枝の頭を小突く。
「いってえな」
稲枝が頭を押さえる。「ま、あとは表紙なんだけどな。ヌシ、絵をかいてくれる奴とか心当たりないのか?」
「稲枝こそ、どうなのよ」
「あったら聞かねえよ」
「だね」
私は肩を竦める。「あったら、私に振らないよね」
「そういうこと」
稲枝はコップに残っていたお茶を呷る。「そう言えばヌシ、絵を描いてるんじゃなかったっけ?」
「え?」
「それ、洒落か?」
「違うってば! 私が絵を?」
「前に言ってただろ? 絵を描くのが好きとか」
「まあ、好きっちゃあ好きだけど」
「だったら、ヌシが描けよ」
「私!?」
私は顔の前で手を振り回す。「ダメってば! 好きと上手いのとは別なんだから!」
「べつに上手くなくたって、いいじゃん」
「――って……」
「上手いかどうかはともかく、雰囲気が合ってれば」
「それ、おだててる?」
「いや」
稲枝がお茶のボトルに手を伸ばす。「ヌシをおだてても何も出ない」
「私も、何も出す気がない」
「それだよ」
稲枝が私を指さす。
「はぁ?」
「つまりさ、ヌシをおだてることには意味がないんだよ。ヌシ自身がその気にならなければ」
「何気に貶されまくってる気がする」
「そうでもないさ」
稲枝がコップにお茶を注ぎながら言う。「ヌシは、おだてに乗らない。ちゃんと自分自身を持っているってことだよ」
「……それは、買いかぶりすぎだよ」
「そうか?」
「私に絵の素養があったら、絵画部とかに入ってたと思う」
「で、ヌシは今、文芸部長だと」
「私には、絵は描けない」
「そうかな?」
「描けないよ」
「それは、描いてから言うべきだと思うね」
「絵心があったら、文芸部になんかいない」
「そうか」
「私は、自分のことは分かってるつもり。私には絵の才能はない」
「ふうん」
稲枝が机の上に足を置く。「じゃあ、ヌシは才もないのに絵を描くんだ」
そう言って稲枝は大学ノートをひけらかす。
「そ、それは!」
それは、一年の時から書き溜めていたスケッチ――いや、言いたくはないが、落書帳のようなものだった。
それを、どうして稲枝が手にしているのか、私は頭の中が真っ白になってしまった。
「ヌシ、これって隠してたつもりなのか?」
「稲枝……」
私は、彼を睨んだ。
「ほら」
稲枝は私に向かってノートを投げる。でも、すぐさまそれに手を伸ばすのが悔しくて、私は突っ立ったまま敢えて興味のない風を装った。
「ヌシ、怒ったか?」
稲枝が訊く。
「べつに」
「お前のノート、勝手に読んだのは悪いと思う。でもな、普通の本にノートが混ざってたら、誰だって変に思うだろ」
「そう……よね」
それは全くもって稲枝の言う通りだった。普段は部室をプライベートルームのように使っていたために、他者の存在など考えも及ばなかった。
「やっぱり、謝るべきかな」
「いいよ。所詮、稲枝だもん」
「所詮、か……」
気まずい空気が流れる。
「まあ、読まれて困るものでもないしね」
私は机を叩く。
「文芸部、だな」
稲枝が言う。
「そう、文芸部だよ」
「マジで、お前はヌシだわ」
「何なら、譲ってあげるよ」
「いや、いらんわ」
稲枝が鷹揚に手を振る。
「逃げるのだけは上手いやつ」
「世渡り上手と言えよ」
「同じことだよ」
私は、稲枝を肘でついた。
「じゃ、俺は行くわ」
「うん」
「ヌシも、あんまり無理すんなよ」
「まあ、適当にやるわ」
稲枝を見送り、私はパソコンの前に座る。稲枝の編集は完璧と言えた。ただ、どこに挿絵を入れるかの指示があるものの、その挿絵やイラストがまだ足りないのが問題だった。
稲枝が言うように、私は絵にも興味があって自分でもイラストを描いたりしている。だがそれらは否応なしに描かされたものがほとんどで、自ら進んで寄稿したものではない。絵を描くのが好きか嫌いかと問われれば、好きだと言わざるを得ないが、所詮趣味の域を出ない。
改めて部室に一人になって、ため息をつく。
稲枝は気の置けない存在ではあが、男であることには変わりない。一年の時からの付き合いとは言え、いつもではないにしても時には異性を意識してしまうのは仕方ないだろう。
もっとも、稲枝に対して異性を意識したことがあったかといえば、彼には悪いがほとんどなかったのだが。
そんな男っ気のない私に浮ついた話が起こるはずもなく、稲枝と私の間のことは全くどこの話題にも上らなかった。稲枝はそこそこ女子に人気があったし、そのあおりでとばっちりが来るかと気構えていた私が馬鹿を見る結果になった。
稲枝は、あくまでも稲枝でしかない。
私が何をしたって、稲枝の得にはならない。悔しいけど、稲枝は自分が面白いと思うことにしか首を突っ込まない。私が何を思っていようとも、稲枝には関係ないのだ。
机の上に放り出されたままのノートを取り上げて、ページをめくる。使えそうなイラストがないか、調べるためだ。
そこそこ上手く描けているものもあれば、ただの走り書きの落書きも多い。見れば見るほど自分には絵心がないことを思い知らされる。下手の横好きとはよく言ったものだと、私は思う。
ノートの半分もいかないうちに、私はそれを閉じた。文集にふさわしそうな絵がないのは明らかだったから。
結局、描くしかないのか――