黄昏クラブ
「なんだか、妬けるわね」
「え? どうして?」
私は問い返す。
「だって、今日のあなた、心ここにあらずだから」
「そんなに私、ぼんやりしてた?」
「ええ。何があったのかは知らないけれど」
「そう……」
私は力なく、元のように座り直した。
「私でよかったら」
「ええ、うん……」
彼女を正視することも敵わずに、視線を宙に浮かせたまま私は言った。「実はね……。あの――。あのね……、実は――告白されちゃったの……」
「なるほどね」
彼女は頷いた。「だから、そんなに浮ついていたのね」
「べつに、浮ついてなんか、いないわ」
「そうかしら」
「だって……」
「それで、あなたは、その人のことをどう思ってるの?」
「……」
「そうなのね。だから、そんななのね」
「だって、馬鹿にしてると思わない?」
訳知り顔の彼女に、私は言った。「そりゃね、一年の時は少しは好きになりかけたわよ。でも、彼ったら――」
「他の子に、お熱だったのね」
「う、うん。そう」
言葉に詰まりながら、私は言う。「今さら好きって言われても、どう反応していいのか分からないし」
「何とも間の悪いことね。でも、あなたはその人が嫌いなの?」
「嫌いってわけじゃないけど、なんだかやりきれない感じ」
「なるほどね」
「っていうか、腹が立ってきた」
「ふうん」
「何よ」
いい加減な返事に私は返した。
「気にはかかっているんだって、思ったから」
「そりゃあ、気にはなるわよ。どんなだっても、好きとか言われたら」
「ほら、赤くなってる」
「からかわないで」
「べつに、からかってるわけじゃないわ。でもね、もうちょっと素直になってもいいんじゃいかしら?」
「素直って何よ」
「今さらとも言えるけど、二年越しとも言えるってことよ」
「物は言いようね。でも私、付き合う気はないわ」
「そうなの? もったいない」
「だって、そうじゃない? 誰かに振られたからって今さら私のところに来られても迷惑じゃないの」
「迷惑か……。確かに、そうかも知れないわね」
「でしょ?」
「あなたが後悔しないのなら、私があれこれ言う筋合いはないけれど」
「後悔なんか、しないわよ。どうせ大学行ったら、もっといい男なんているはずだし」
「妥協したくないってことね」
「そ……そうよ!」
私は声を上げた。その通りだと思いながら、何がそうなのかしばし言いあぐねてしまった。「そうなのよ。――あいつが高三のこの時期に妥協して私に告っただけなのよ。だから、私は妥協なんかしてやらない」
うふふと、彼女が笑う。
「気持ちは分からないでもないけれど、恋って、妥協なのかしら」
「そんなの、関係ない」
「そうよね、関係ないわよね。ましてや、私の出る幕はないのだから」
「……」
「あなたは、彼が軽率だって怒っているのよね。それは仕方がないわ。好き嫌い以前の問題に帰結してしまっているのもね」
「よく分かんないけど、私、非難されてる?」
「どうして?」
「何となく」
「気の迷いは、私たちの特権みたいなものよ」
「気の迷い、ね……」
「彼が妥協してるのなら、あなたは気の迷いに陥っている。嫌なら嫌と、はっきりした方がいいわね」
「でも……」
「無理にとは言わないわ。あなたがそれでいいなら、敢えて返事をする必要もない」
「うん……」
私は、武田を受け入れられるだろうかと、考えてみる。
今はもう、好きという前提すらない。嫌いかといえば、そうでもない。でも、彼は私に不必要にわだかまりを感じさせる。ただそれだけで、彼の告白を受け入れない理由には充分だと感じられた。
嫌悪感も敵意もないが、次に声を掛けられたら、はっきり断ろうと心に決めた。
そう、それが妥当なんだ。冷静に考えて、私が彼と付き合うなんてことは想像もつかない。妥協であれ何であれ、先の見えないことに踏み込むだけの価値がない。
結局のところ、武田の告白は、不用意な一陣の風を私にもたらしただけなのだ。ほんの少しばかり同情はしても、彼の告白を受け入れるだけの心の余裕は、私にはなかった。
「それで、あなたがいいのならね」
意味ありげな視線を、彼女は私に送った。
「で、お母さんは、その武田って人に返事したの?」
真紀理の問いに、私は首を振った。
「そっか。そうそう易々と返事は出来ないもんね」
「分かったようなことを」
甘酸っぱい思い出。それを娘に冷やかされて、ソーダ水の中の氷を噛んだような微かな痛みを感じた。