黄昏クラブ
10
二学期になった。
運動系の部活は、三年生はもう引退している。文化系クラブのみが学園祭まで部活があるが、二学期からは任意となる。任意とはいってもやはり学園祭は参加してこそ意義がある。よほどの難関校を受験するのでもない限りギリギリまで活動するのが通例だった。
さりとて文芸部のように幽霊部員ばかりのクラブもある。任意ともいかず、半ば強制的に私は参加せざるを得ない。というか私しか采配を振る者がおらず、放置していては唯一の活動報告である文集の伝統が途絶えてしまいかねない。副部長以下に声をかけてもかけもちの部員も多く、参加者もなかなか集まらない始末だった。このままでは時期部長への、あるか無きかの引継ぎさえ覚束ない。
部員名簿から寄稿してくれそうな人をピックアップして一人一人にアタックするのは本当に骨が折れることだった。さすがに一人では荷が重すぎるので副部長の稲枝も強引に巻き込んだ。顧問は元々文芸部には熱心じゃない。前任の顧問が定年退職して、仕方なく兼任しているだけなのだ。
要するに、部長である私が動くしかないというわけだ。
稲枝も三年だし最後の学園祭だということもあって、少しは乗り気になってくれたのは助かった。そのために多少以上に私がおだて上げたということもあるのだが。
とは言うものの、放課後の部室に私一人だけということには、ほとんど変わりはなかった。ささやかな変化といえば、部長である私自身が何を書くかと考えあぐねているくらいのものだった。
毎年テーマを決めてやって来たが、私は敢えてそれをしなかった。自分の好きなものの宣伝でもいいし文学論でもいい、要するに文芸部員として思うことを自由に書こうというのが私の考えだった。
そこまでやってから、私はそれが失敗だったかもしれないと思った。何を書いてもいいと言われたら、却って何を書いたらいいのか分からなくなるのではないのかと。かく言う私自身がそんな陥穽に陥ってしまったからなのだが、それなら最初からテーマを決めた方がよかったのではないのかと思い悩んだ。
まあ、いずれにせよ形にしないといけないわけで、目下の懸案は私が何を書くかということだった。部長である私がいい加減なことをしていては、後輩に示しもつかない。
九月も半ば、私は相も変わらず部室に一人でいた。
他の部員に寄稿を呼び掛けている手前、私自身が何も書かないと言うわけにもいかない。かと言ってすぐさま書けるものではない。部長であるからには、ありきたりな読書感想文でごまかしたくはない。高校生活最後の作品になるのだから、しっかりとしたものを書きたいと気負えば気負うほど、何を書いていいのか分からなくなるのだった。
そして今日も、原稿用紙を広げたまま受験勉強に逃げ、さらには読みかけの小説を読みふけるだけになってしまった。
当然のごとく、未だ誰からも原稿は届いていない。去年もそこそこ集まったのは製本に回すギリギリのリミットだったから、それは致し方のないことだった。
学園祭まではまだ日があるとはいえ、部長である私が下校時間を多少回っても何も言われないのだけは助かる。この時期には生徒会も結構遅くまで残っているし、その他の部活でも気合の入っている所は下校が遅い。中には生徒よりも顧問の方が張り切っている部もあるというから、羨ましい限りだ。
今日も今日とて教師が見回りに来たが、学園祭の準備をしていると装うことで、うるさく言われることもなかった。
帰らなければいけないことは分かっている。でも、帰りたくない事情もある。もちろん見回りの先生とて、生徒たちを早く返して自分たちも帰途に就きたいのだろうが、当時の私としてはそこまで気の回る由もなかった。ただ、可能な限り学校に残っていたいだけだった。だからこそ、私は吉井のどかと出会えたのだともいえた。
私は部室の鍵を閉めると、隣の部屋の扉に手をかけた。半ば期待を寄せて。
音を立てて扉は開いた。
窓際には、いつもと同じ姿勢の吉井のどかがいた。
「こんにちは」
「あら、ごきげんよう」
彼女が私の方へ顔を向ける。もう何度も会っているはずなのに、いつもどきっとさせられる。哀愁をたたえたような目の色か、傾いた陽射しに半ば翳った顔のせいなのか、その翳りに私はつい、はっとさせられてしまうのだった。
「あなたは、今日もお留守番?」
「そうよ」
「古典部は、何もしないの?」
「……?」
彼女が小首を傾げる。
「古典部は、学園祭に参加しないの?」
私は言い直した。
「だって、私は部員じゃないもの」
「ああ、そうだったわね」
そう、古典部は休部状態なのだ。彼女はどういう理由でか、休部中の古典部の部室で留守番をしているだけなのだった。
「あなたの部では、何かやるの?」
彼女が訊いてくるのに、私は鞄を音を立てて傍にあった机の上に投げ出した。
「どうせね、毎年同じことやってるわよ。原稿集めて冊子作るのよ」
「ふうん、面白そうじゃない」
「それが、そうじゃないから困るのよ」
「あなたは、面白くないの?」
「私? 私は読むの専門だしね。あんまり書く方は得意じゃない。そりゃ、書けって言われたら書けるけれど」
「じゃあ、いいじゃないの」
「問題は、他の部員よ」
「ああ」
彼女は理解したというような目で私を見た。
「そもそもね、テーマすら決まってないし、決めようったって部員は来ないし」
私はため息をつく。「それで、決めたら決めたで文句出るだろうし」
「辛いところね」
「それで、吉井さんは本当は何部なの?」
「私はべつに……」
彼女が言葉を濁す。
「とりあえず、どこかに入ってないといけないでしょ?」
そう。この学校では部活動も単位に入る。だから形だけでもどこかに入部していなければおかしいのだ。
「私は、どこにも入っていないわ」
しばし、私はその言葉の真意をはかりかねた。問題を起こして強制退部にでもならない限り、この学校ではいずれかのクラブに入っていて当然だからだ。
そんな私の思いを知ってか、彼女は言った。
「私は、ただこうしているだけ。それだけで、いいのよ」
私は、彼女に対して所属部を問うことを放棄した。それは無駄なことだし、無意味だと感じたからだ。彼女はただここにいるだけで、他のどの部とも無関係であることの方がふさわしいとさえ思えた。
「あなたは、何年生なの?」
「さあ、何年なのかな……」
まさか、三年生にもなってのんびりと休部になった部室の番をしていられるとも思えない。そう言えば、この部屋には彼女の私物らしいものは鞄なども含めて一切なかった。強いてまで勉強などする必要がないとすれば、二年生なのだろうか。それでもやはり、下校時間を過ぎても身の回りに全く私物がないのは不自然だった。そのことについて、私は訊いた。
「ねえ、あなたの荷物は?」
「荷物?」
「そうよ。教室に置きっ放しなの?」
「そんなもの、何もないわ」
「何もないって……」
「そのままの意味よ。私は、私のままなのよ」
「……」
それは、見ての通り何も持ち合わせていないという意味なのだろうかと、私は彼女を窺い見た。
「ねえ吉井さん。あなた、本当にウチの生徒?」
「ここにいるってことは、そうなるわよね」