黄昏クラブ
私は、さっきまでマイペースの定義に考えを巡らせていた自分が馬鹿らしくなった。
「少しは悪いと思ってるよ」
稲枝は机の上に飲み物の缶を置いて、私の方へ滑らせた。「かくまってもらうんだから」
二つ並べた長机の継ぎ目の高低差で無様に転げてきたそれは、私の好きなロイヤルミルクティーだった。
「あ……ありがと」
「べーつに」
無言の時が流れる。
プルトップを開ける音が、やけに大きく感じられた。
口にしたときの温度から察するに、稲枝は五限目からサボっているのだろうことがうかがえた。
「ねえ、稲枝」
「あ?」
気怠げな返事。
「大学、行くんだよね」
「ああ」
「やっぱ、文芸サークル?」
「さあ」
「……」
「大学って、部活強制じゃないし」
「そっか」
私は、ふっと息を漏らした。「堂々と帰宅部できるんだ」
「ま、そもそも帰宅部なんて言葉もないだろうさ」
「……だね」
私は読みかけの本を鞄から出した。
「よくそんな分厚い本なんか読めるな。辞書か?」
「まさか」
私は少し笑った。「分厚ければ何でも辞書? いちおう文芸部のくせに」
「本もいいけど、ちっとはヌシも勉強しろよ」
「稲枝に言われたくない」
互いに肩を竦め合った。
稲枝はそれから一時間ほどして帰って行った。冗談のつもりで言ったのだが、本当に補講をサボっていたのかも知れない。読書中の私に気を遣ってか、席を立った彼に気づいて顔を上げた私に、「じゃあな」と言って手をかざしただけだった。
「え? えー!? それって、お母さんの初恋? うわ、マジで!? それ、ヤバいやつじゃん!」
「バーカ!」
私は真紀理のおでこを思いっきり小突いてやる。
「だって、そうじゃん? 気があったんでしょ?」
「そんな訳ないでしょ」
「でも、その稲枝って奴、絶対にお母さんに気があったんだよ。でなきゃ、わざわざお母さんの好きなもの知ってるわけないじゃん」
「さあね。男って、変なことにだけ器用だったりするから」
「へーえ。なんかロマンスの欠片もなくて、つまんない」
真紀理が唇を尖らせる。
「そういうこと言ってるうちが華よ」
「うへ。オバンくさい」
「誰がオバンよ!」
私はこぶしを振り上げて見せた。