小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

端数報告

INDEX|62ページ/78ページ|

次のページ前のページ
 

本を見て本の森を見ず


 
コロナの危機に乗じて書架の本をすべて焼き捨て、今後はベストセラー本のネット予約だけでいこうと企んでいた図書館の陰謀は、どうやら失敗に終わったようだ。やっと本が借りられるようになったのでおれが訪ねていってみると、図書館員どもはみんなショゲた顔をして、
 
「どうして書架を見て歩こうとするんですか。あなた以外にそんな人、いくらもいないじゃないですか。書架の本は恐ろしいウイルスや病原菌の温床だと言う人がたくさんいるのを知らないんですか」
 
「だから何年か前に紫外線消毒機とかいうのを置いて誰でも使えるようにしたんだよね」とおれが応えると、
 
「はい。おかげで利用者がずいぶん増えてくれましたが、ネット予約で借りる人はやはり書架には立ち入りません。なぜかわかりますか?」
 
「目当ての本を借りたらもうここに用がないからでしょう。そいつらは〈図書館のネット予約システムの利用者〉であって〈図書館の利用者〉ではないんだよ。書架を歩かない人間は図書館の利用者じゃない。そういうやつらが増えたことを『利用者が増えた』とは言わないんだが、あんたらはそれがわかっていない」
 
「違います。書架の本はほんとうに、コロナウイルス、エイズウイルス、エボラ、天然痘、T細胞白血病と、ABCDEFG型の肝炎ウイルスの温床であり、ペストにコレラにボツリヌスや梅毒や淋病なんかの菌もウジャウジャといて、カビの胞子や寄生虫の卵までたくさんついているものなんです。書架に置かれて一年もすれば、紫外線への耐性を持ってしまって殺せなくなるし致死性もハネ上がる……これはもう、科学的にも証明されているんですよ」
 
「証明されてんの?」
 
「されてるんです。大阪市立大学の大村得三三世(さんせい)博士の論文があります」
 
「ふうん、聞いたことがないが……」
 
「ああ! ああ! ああ! それはですね、その論文が認められてないからですよ。証明されているのに学会は認めようとしてないわけです。あなた、これ聞いて、ちょっとゾーッとしませんか?」
 
「別に。いいからこの本貸してよ」
 
「なぜです! なぜ書架の本なんか借りようとするんですか。そんなのもうあなた以外にロクにいないのに! あなたみたいな人がいるから、ベストセラーをもっとたくさん買って予約の人が待たずに読めるようにできないんだ。それがわからないのか!」
 
……とか言われたというのは嘘だが、彼らの眼がそんなことをおれに語っている気がしたのでここに書いてあげたのである。世の中は陰謀論に満ちている。根も葉もない話を作っておもしろおかしくブログなんかに書くやつがいて、読んで真に受けるバカがいるから始末に負えない。
 
で、とにかく、
 
画像:5冊の本
 
この通り、まずは5冊借りてきたのでこれをネタに帝銀事件の犯人は平沢だなんて信じるバカをこれからウジャウジャ増やしてやれるというわけです。けど、さて、どっから話しましょう。まずは前回のおさらいですかね。
 
オーケンは事件を詳しく知ったうえで平沢を無実と判断したわけじゃない。〈松井名刺〉がどこで使われたものかさえちゃんとわかっているわけじゃない。なんていうような話をしたんだ。
 
木を見て森を見ず。今どきの図書館利用者みたいなもんですな。ネットで予約した最新ベストセラーを借りたらもう用はないから、書架は歩かずサッサと立ち去る。オーケンは同じだ。〈帝銀事件〉の森に踏み入り、生えてる木の一本一本を自分でよく見て枝の重なり具合を確かめ、その結果、平沢は無実と考えるようになったのじゃない。遠藤誠に「犯罪学の常識では」とか「科学的な証明が」といった話をされて鵜呑みにしているだけ。
 
それは図書館で言うならば、まだ書架には置かれていない新しい本。話題のネタに飛びつく人向けの新しい本。『それでもボクは』の「実験してみるものねえ」みたいなネタが満載で、バカが読むからいっときだけよく売れる。
 
ベストセラーになる本は、まあだいたいがそういう本です。それを読む者が図書館の書架を決して歩かぬように、大槻ケンヂは帝銀事件の森に自分で踏み入ってない。森のまわりに後から植えた木を遠藤に見せられただけだ。
 
事件は1948年に起きて、1955年に死刑確定。が、1959年の第三次再審請求(というのを遠藤の『帝銀事件と平沢貞通氏』を読んで初めておれは知ったわけだけれども)で「調書の指紋が偽造と鑑定された」というのを受けて、
 
「いや、これ読んでちょっとゾーッとしましたよ」
 
と言ったり、遠藤が弁護団に加わって行った1981年の第十七次再審請求(というのも以下同文)で、遠藤が、
 
《僕会ってないからわからないんですが、諏訪中佐は当時の捜査主任の成智英雄という警部が書き残した手記によると、帝銀事件の生き残り証人の言う犯人の人相、風体、骨格にピタリ一致した男だそうです。諏訪中佐が原因不明で死んだのは、ずばり、GHQの秘密警察の部分だと思いますね。口封じ》
 
と書いて出したのに認められなかったというのを受けて、
 
「ほぉー、いや、でもしかし、恐ろしい話ですよね。それだけ冤罪だという証拠がありながら……」
 
と言ったりしてるだけ。事件そのものは見ていない。自分の足で森の中を歩いてないのだ。森のまわりに弁護士達が後から植えた17本(1987年当時)の再審の木のうち、〈3本目〉と〈17本目〉の二本の木だけを遠藤が見せてくれる角度からだけ見てGHQの実験と思い、GHQの実験だから平沢は無実なのだと思い込んだ。ただそれだけ。
 
というのを『帝銀事件と平沢貞通氏』を読んであらためてよく知ることができました。が、そんなこと言うおれも、オーケンのことをそんなに言えるわけではなかったりする。
 
おれはこのブログのずいぶん前、〈帝銀事件〉の4回目、『裏を取らずに信じるな』に、
 
   *
 
(略)《再鑑定で警察は、毒が青酸カリでなく青酸○○○○と掴んでいた。にもかかわらずGHQ……》というのを読んで、
 
「なるほど、だったら犯人は、〈七三一〉の元隊員なんだろうな」
 
と思
 
   *
 
ったと書きました。誰が書いたなんて本かは今となってはわからないが、おれがまだ若い時分に図書館で借りて返した本に確かに書いてあったのである。《疑惑の鑑定》うんぬんといって、
 
《採取された毒は東大に持ち込まれ、そこで青酸カリという鑑定を受けたが事件をGHQの実験だと考えた刑事が別の大学に再鑑定を頼んだところ、「青酸○○○○に間違いなし」との判定が出た。これは七三一部隊が開発したもので、そのKO大学だかバカ田大学だかクロマティ大学だかにはサンプルがあったが東大になかった。だから東大の学者にはハッキリとした特定ができず、「たぶん青酸カリだろう」と言っていたのだ……》
 
なんてなことが。それを読み、24くらいの若いおれはつい納得しちゃったのだ。で、
 
 
「なるほど、だったら犯人は、〈七三一〉の元隊員なんだろうな」
 
 
と、思ってしまった。おれが! おれともあろう者が! 『のほほん人間革命』を読むまでずっと疑いすら持たなかった。
 
作品名:端数報告 作家名:島田信之