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そうしなければならなかった。このスリの一件は、自白以上に重要な平沢が犯人である証拠だからだ。
 
そうだろう。平沢貞道という男は明らかに、他人から数百から千円くらいのカネを借りてはポケットに手を突っ込んで「アッ、スられた」とやることで返済を踏み倒すのを日常的にやっていた。自分は大画家であるがゆえにそれが許されると思っていた。しかし1947年8月12日、その日は金額が大き過ぎた。
 
なんと言っても一万円、今の百万にもなる額だ。怒った佐藤に、
 
「何をヘラヘラ笑ってる。『スられた』で済ますつもりなのか」
 
「ハハハ、なんだよ一万くらいで」
 
「『くらいで』? 今なんつった。あんたにとっちゃ『一万くらい』かもしれないが、ウチの社員何人分の月給だと思ってるんだ。『スられた』で済ますつもりなのか!」
 
「いや、それは」
 
みるみる顔が蒼くなった。お芝居ではこうはできないから、この人非人でもまずいことをやったのにやっと気づいたらしいなと佐藤は思った。そこで追い打ちをかけた。
 
「スられたのがほんとなら、警察に届を出してきたらどうだ」
 
「いや、そんな一万くらいで」
 
「ああ? 『一万くらいで』?」
 
言われて本当に届を出した。しかしそこでは「近所で買い物をするときに気がついた」という話に変えた。
 
で、帝銀事件の後で、警察が訪ねてきたときに思い出し、その財布に松井名刺が入っていたことにした。しかし刑事には、「三河島駅の待合室で、手提鞄に入れておいた財布ごと盗られ」たと応える。常にその場しのぎだが、そのときそのときでちゃんと計算は働かせている。
 
『自分は偉い画家なのだから、こう言えば相手は信用して疑わないだろう』という計算だ。事実その通りにもなったわけだが、居木井と八兵衛には通じなかった。
 
と、どう見てもそうなるだろう。だが佐藤夫妻は法廷で、八兵衛への供述と違い、平沢がスリに遭ったのはほんとうだと思ったと述べた。
 
しかしもちろん、彼らにはそうする以外なかったのだ。また『小説』をスキャンしたものを見せよう。捜査本部が推定した平沢の足どり、というものの一部だが、
 
画像:小説帝銀事件144-145ページ
 
注目すべきは(5)の一点、10月20日のところだ。佐藤は平沢から3千円で絵を買っている。
 
鉛筆会社の社長さんが、帝銀事件の3ヵ月前に。ならば当然、社員から、
 
「ウチの社長があの人殺し野郎の絵を買っててさあ。そもそもなんでそんなのと付き合ってたって話だよな」
 
などと言われているはずである。その陰口が聞こえていないはずもない。
 
そして会社の信用問題でもある。当然、商売敵に「あそこの社長が……」とやられるだろうし、「転売目的だったんだろう」とか「税金対策だったのか」などと噂も立てられる。それが事実かどうかなどは関係ない。人はそういう生き物だから必ずそういうことになる。
 
そして実際、絵を本当に転売などしてる見込みは高いだろう。もし売ってたら相手から突き返されている上に、「あの野郎は平沢の絵をオレに売りつけやがった」と言いふらされているのもまた疑いない。
 
ゆえに、佐藤夫妻にとって、平沢は無実でなければならぬ人間となることになる。たとえ犯人であろうとも無罪にせねばならぬ人間ということになる。帝銀事件はGHQの実験でなければ困る話となる。
 
なければ困る話だから、GHQの実験でなければ困る話なのだ。しかし彼らとセーチョーの都合でそうだというだけだから、この証言を信頼できるとしてはならない。
 
そうではないか? そもそもこんな話のどこが信頼できる証言なのか。そのうえなんで松井名刺がそこに入っていたという考えも妥当だという話になるのか。
 
いいや、妥当じゃないだろう。妥当性などただのひとつもないだろう。さらに、加えてもうひとつ、「途中で旧友に500円」というのがある。この話が事実なら弁護団はその裏付けをやっていて、「ハイ、確かにその日500円を」という人物を証言台に立たせていなければならないしそれができないはずがないが、セーチョーの『小説』を読む限りではそういうことになっていない。
 
なら大嘘確定じゃんかよ。松井名刺はスられていないわけだから平沢が帝銀事件の犯人なのもまた確定。
 
よって有罪・死刑と。これは完璧な証拠と言っていいはずである。判事もそう言って死刑の判決を出したのではないかと思えるほどだがそれで何がいけないのか。
 
いけない理由がおれにはまったく見当たりません。この論理は完璧だとしかおれには思えません。ひょっとするとセーチョーは、検察と弁護士の論は読んでも判決文は読んでないのとちゃうのんか。
 
そんな気さえしてくるほどだが、おれは変なこと言ってるか?
 
だが、何よりもその財布だ。現金1万2千円。百円札が120枚。
 
その厚みは2センチ以上、3センチ近くあるだろう。その重さは200グラム以上、300グラム近くあるだろう。
 
そんなものをスられて佐藤の下に行くまで、歩きながら気づかなかった。非常に暑かった8月の真っ昼間に。
 
そんなことがあってたまるか。だからその日に平沢は、最初から「アッ、スられた」とやるつもりで上着なんか着てたに違いないのだから帝銀事件の犯人に間違いないのだとおれは断言します。遠藤誠がオーケンに「ハイハイハイハイ」と言ったのは、実は平沢が無実とはカケラも思ってなかった証拠だと断言します。八兵衛ならばここを突いて平沢から〈重い自白〉を取れたであろうとも考えます。
 
というわけで事件について書けることはまだまだあるけどとりあえず、アメリカの陪審員裁判で12人一致の評決を取るにはこれで充分じゃないかな。そう思うのでこの話はひとまず終わりとします。これまで読んでくださった方々、どうもありがとうございました。
 
あと、よければこちらもよろしく。
 
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作品名:端数報告 作家名:島田信之