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さらに、
 
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 短くもあり長くもあった一五分の面会時間が過ぎると、右隣でメモをとっていた看守が「もうソロソロ」とうながす。やむをえない。撮影チャンスはついになかった。これ以上話をすることもできない。私は平沢に、懐に隠したカメラをそれとなく見せた。
 怒鳴り声が聞こえるのではないかと内心ビビったが、平沢は大きくうなずいてくれた。「撮影OK」のサインである。よし、やってやろう。大バクチである。
 
アフェリエイト:写真のワナ(中古本)
 
と書いてある。この先は興味を持たれた方がいたら買って読んでやってほしい。この本にはそのとき撮影に成功した写真も掲載されているが、それは今なら「帝銀事件はGHQの実験だ」と唱えるサイトで見れるんじゃないかな。
 
まあともかく、さらにその後、
 
   *
 
 戦後の混乱期(一九四八年)に発生した帝銀事件は数多くの謎を秘めている。敗戦と同時に米軍に占領された日本では、次々とおかしな事件が発生していった。
 一九四九年(昭和二十四年)七月、三鷹事件、下山事件。同八月、松川事件。一九五○年(昭和二十五年)一月、白鳥事件。同四月、もく星号事件。同五月、メーデー事件。同七月、大須事件。
 これら一連の不思議な事件について、松本清張氏は『日本の黒い霧』の中でこう述べている。〈(略)〉と一連の事件の背後には、米国の朝鮮政策と米国占領軍(GHQ)の謀略があったと結論づけている。
 一九五五年最高裁で上告棄却、死刑が確定した平沢がいまだ刑を執行されていない。歴代の法務大臣が、なぜか「死刑執行」の書面に印鑑を押さない理由は何か。戦後の混乱期、日米両政府間にどのような取り引きがあったのか、わからない。関係者が口をつぐみ、その秘密を墓場までもっていってしまう昭和史の“影”の部分とは何か。その謎解きの一助として私は平沢に会い、その姿を記録しておきたかったのである。
 
   *
 
だって。「わからない」と言いながら、
「全部が全部GHQの謀略だとわかっているぞ!」
との怒鳴り声がページから聞こえてくるが、こんなやつがフォトジャーナリストか。
 
三鷹・下山・松川・白鳥・もく星・メーデー・大須と名だけズラズラと列挙して「不思議な事件」と言われても困るよな。おかしなのはこいつの頭の方じゃないかとしかおれには思えんが、しかしそれより、絵についてだ。
 
平沢が〈獄中の画家〉としてよく知られていたという話は、よく知られている話だ。死刑囚の中でも特別待遇で、アトリエを与えられ個展まで開かれていたとかなんとか。
 
そんな話もよく知られるが、『刑事一代』で八兵衛の聞き取りがされたのはこの隠し撮りから6年後の1975年。そこには、
 
   *
 
 まあ平沢のシロの根拠ってのは、第一にテンペラ画の大家で、あれだけの人格者が大量毒殺をするはずねえってんだ。あれだけの犯行をしたからにはその後もあんな素晴らしい絵を描けるはずがねえ。ホシなら絵にもっとにごりがあるはずだと、「平沢を救う会」の連中も、哲学者みてえなことをいっているのさ。命がけでやってきた捜査をそんなことで簡単に決められちゃあ、話にもならねえ。
 
アフェリエイト:刑事一代
 
と書いてある。〈命がけ〉とは大げさな気もするけど、《あれだけの人格者》?
 
平沢のことを知っている人みんながみんな、平沢を悪く言ってんじゃなかったのか。セーチョーが『小説』を書いた時点ではそうだったんじゃないのか。それがそれから16年で、《あれだけの人格者》に変わるのか。
 
が、『写真のワナ』の文は、確かにそんな感じである。大画家だから人格者、人格者だから冤罪という扱いだ。写真を撮らせてくれたから、無実の人という扱い。
 
としか読めない。新藤の本では平沢はまるで仙人のようである。『写真のワナ』は報道写真を信用するな、マスコミの報道を鵜呑みにするな、という本でもあるのだが、しかしこいつが書いてることこそあまり信用できない感じ。
 
明らかに、こいつ自身がセーチョーが書いてることを自分が信じたいことだから信じてる。自分の気に入らないことは、すべて嘘だと決めつける人間なのが明白だ。この新藤という男の眼に平沢は、大変な人格者と写っている。
 
この新藤なる人間は1943年生まれとあるから、帝銀事件のとき四歳だ。だから当時のことは知らず、大人になってセーチョーの書く
 
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お芝居ではこうはできないから、掏られたのはほんとうだと思った。
 
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という部分だけ読み取って、松井名刺がそこに入っていたことにしてしまう。そのうえで、〈読者が誤解をしてしまってはいけないから〉という理由をつけて、その財布は鞄に入れてあったものを置き引きされたことにする。この男にはそれが正しいジャーナリズム。
 
だったりするんじゃねえのか? 消防署の方から来た文でうまくごまかしているけれど、こいつは明らかに平沢に対し、自分は三歳くらいで会った親戚とでも偽って手紙を書き送っていた。隠し撮りが目的でだ。
 
   *
 
私の職業は自動車のセールスマンになっている。平沢への手紙にもそう書いてある。もちろん手紙の内容は、すべて検閲されている。だから、こちらの本心を彼に伝えることはできない。これは何も平沢をだますためのことでなく、職業が報道関係者であることがわかっただけで、手紙が平沢の手元に届かないからであった。
 
   *
 
と。もう一度この部分をよく読み直してもらいたい。理屈をつけて正当化してるが、やってることはパパラッチだろう。ハイエナの眼にはハイエナが美しく見えるんじゃあねえのか? そんなことさえ思いたくなる。
 
で、なんでもこの人は、〈新しい正義派〉だとか呼ばれたらしい。〈世界が揺れた〉1968年くらいからこっち、帝銀事件について書くジャーナリスト先生様らのみんながみんなが平沢を、《あれだけの人格者》に仕立てようとしているようだしこの新しい正義派さんも完全にそうだが、違う。《あんなやつ》だった。誰もがナメクジかゴキブリか、アニキサス原虫みたいに語る人間が平沢だった。
 
はずなんだけどどういうわけか、1975年に《あれだけの人格者》となっている。1969年にもうなっている。その彼らは哲学者?
 
いーや、違うな。おれが思うに、その者達は平沢の絵で大儲けを企む者達なんじゃないか。69年に25歳の新藤健一という若造は、その者達に利用されてただけなんじゃないか。
 
ゴッホの絵に一億円の値がついたのはいつのことだったろう。知らないけれど、1975年くらいじゃないか。そしてその絵は令和の今にいくらくらいするのだろう。知らないけれど、100億円くらいじゃないか。
 
ゴッホの絵がそうなるのなら、平沢の絵で8万のものが75年に8千万、令和の今に80億になっておかしいことはあるまい。ただし、無罪になればだけど。
 
〈平沢を救う会〉の中心にいるのは、その莫大な利益を狙う者達じゃないのか。だから弁護士にカネを出し、矢継ぎ早の再審請求で刑を執行できないようにしてきた。 
 
作品名:端数報告 作家名:島田信之