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しかし、だからと言ってどうして、非常に暑い夏の昼間にズッシリと重い財布をスられて気づかなかった話を信用できることになるのか。
 
さらに言えば途中で旧友に会って五百円やったというのが事実ならその裏付け捜査もされて、「ハイ、確かにその日お金をもらいました」と言う人間が出てこなければおかしいはずだが、セーチョーの『小説』を読む限りではそういう話はないようだ。会って今の五万円簡単に渡すほどの仲ならば名前が言えないはずがないし、その相手ももちろん証言するはずなのに話がない。ならばほんとかどうなのかわかりゃしないと言うしかなかろう。全部が嘘に決まってると言うしかなかろう。これでどうして、平沢の言葉を信用できることになるのか。
 
まあそもそもセーチョーはそこに思い至ってないわけだけど、思い至ってしまったおれにはとても信じられないのだ。平沢はその日はじめから、「アッ、スられた」とやるつもりでくそ暑いのに上着を着てたとしか思えません。松井名刺は盗られていないことになるから帝銀事件の犯人なことも疑問の余地がなくなります。よって有罪・死刑。
 
というのが結論だが、それはさておき平沢と佐藤夫妻の間のカネのやり取りはこの一度だけでないらしい。『小説』には《捜査本部が推定した平沢の足どり》というものが書かれており、佐藤が関わる部分だけを抜き出してみると、
 
   *
 
(1947年)五月十八日――西巣鴨時代の古い知人、荒川区町屋××番地佐藤健雄方に来ている。
六月末――同氏から一万円借用。
八月十二日――同家に来て一万円を返すと言い、懐中に手を入れて掏摸られたと騒ぎ、逆に千円を借りて被害届を荒川署に出す。
九月二十三日――この日には同額を佐藤から借りている。
十月二十日――佐藤健雄に自作画を三千円で売る。
十二月二十七日――三菱銀行の変造通帳で大森の高田方で詐欺未遂。同日佐藤に一万一千円返済。旭日に松の画を置いてゆく。
(1948年)一月二十八日――三菱銀行中野支店に妻マサの名義で三万五千円預入。同日林誠一名義で八万円を日本橋東京銀行本店に預入。このころ、四回、下落合一丁目の油絵具店に現われ千円余の買物をする。風間方にも来ている。また、佐藤方にも来て小樽に帰ると言った。
 
   *
 
一万一千借りては返し借りては返し。12月の末に詐欺に失敗した日にも一万千円返してるのか。この頃、他の知り合いに、平沢と妻のマサとで同じ日に五百円、千円と借りてるはずなのに――と言うより、佐藤にカネを返すため人から借りねばならなかったのだろうか。
 
だが何より、おや、と思うのは1947年10月20日。安田銀行荏原支店事件の6日後だ。3千円で佐藤に絵を売っている? ひと月前に借りたカネを返さぬままに?
 
ほんとにどういう関係なんだ? ってゆーか、この頃、平沢の絵は5万から8万円の値がついてんじゃなかったのか。その絵はなんで3千なんだ。ハガキみたいにちっちゃな絵なのか。
 
もしや、と思う。佐藤という男はやはり、平沢のパトロンだったのではないか。しかしパトロンはパトロンでも、
 
「ワタシの絵を買いませんか、3万円で」
 
「絵なんか買ってもしょうがない。3千円なら」
 
「3万円」
 
「画商に売りゃあいいでしょうが」
 
「いや、連中も3万の絵を3万で買ってくれるわけじゃないんですよ」
 
「そりゃそうでしょうね。3千円」
 
と言って3千円で買い、3万円で転売する。2万7千円儲かるのだから、平沢が1万1千円貸してと言えば喜んで貸してやる。
 
そういう関係だったのじゃないか。事件前までそれでうまくいっていたけど、平沢が帝銀の犯人として捕まった後で転売客に、
 
「これ返すからカネ返してくれ」
 
「そんな。一度買ったものを……」
 
「何言ってやがる。あんな野郎の絵をよくも。あんた、この絵は持ってれば5万6万になるつったよな」
 
「ええまあ……」
 
「1円にもなるもんか。返すからカネ返してくれよ」
 
「じゃあ、1万円で」
 
「ふざけんな。3万円だよ。5万もらってもいいくらいだ」
 
「でも、こういう場合だと……」
 
「ああ? こーゆーばーいだとお? こういう場合ってのは絵ー描いたやつが12人、ひと殺してる場合なのか。それだとてめーは2万儲けていい決まりになってんのか! エンピツ会社の社長さんよおっ!!」
 
「いやしかし、無実を訴えてるんですよ。潔白が証明されるかも……」
 
「だったらなおさら、買い戻せばいいだろう。無罪になれば6万どころか、60万で売れんじゃないのか?」
 
ハッ、とそこで佐藤氏の顔色が変わるわけだった。そうだ。平沢が無罪になれば――GHQの実験だと明らかになれば、絵の値打ちがハネ上がる。3千円で買った絵が、60どころか300万になるかもしれない!
 
299万7000円の儲けじゃないか! というのでその絵を3万で買い戻し、裁判ではそれまで言ってたことと証言の内容が変わった。
 
てことは考えられませんかね。だがセーチョーはGHQの実験だGHQの実験だGHQの実験なのだ実験なのだ実験なのだという考えで頭が一杯なものだからそのカラクリに気づかない、と。
 
だがそれだって当時の額だ。その時代の3千円は単純に百倍として今の30万。300万は3億円。
 
令和の今に平沢貞道が無罪になれば、3万の絵が3億円。その値で売れるようになるのはカタいと言っていいんじゃないかな。8万の絵は8億円――いやひょっとして、80億になっちゃうかも。
 
〈無罪になれば〉の話ですがね。そんなわけで佐藤夫妻の今日の話を気に入っていただけましたなら次の話もぜひよろしく。今は80円ですが、これもいずれ値上げするかもしれませんよ。
 
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作品名:端数報告 作家名:島田信之