端数報告
学者の常識は非常識
前回のログに「《生物兵器は扱いが難しすぎて使えない》というのがミリオタの常識」と書きました。映画で見たことあるでしょう。エボラウイルスとかいったのが地下ウン階のものすげー施設の中に保管されてて、宇宙服みたいなものを着た学者がそーっと、そーっと扱っている。イザとなったら自分は火に焼かれてでも、バイオハザードを止める覚悟で。
それが上坂すみれ並みにヤバイ○○ウイルスですよね。間違っても飛行機なんかに積んじゃいけないものなんです。その飛行機が墜ちてしまって上坂ダイナミックになるとヘタすりゃ人類滅亡なわけ。だから生物兵器というのは、核以上にあぶなっかしくてとても使えたもんじゃないというのがミリタリーオタクの常識なのです。
が、オーケンの『のほほん人間革命』に、こないだここに引用した《軽い詐欺事件みたいの》の後、こんなことが書いてある。
引用しましょう。
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遠藤「……ですね。それは言えます。だから、道徳的に見て、どうかと思われる面はありましたね。だから、百パーセント素晴らしい人格の持ち主でなかったことは確かです」
大槻「ほおー。それでも、なおかつ遠藤さんは平沢さんは白だと確信したんですね」
遠藤「ええ。犯罪学の常識なんですが、詐欺ってのは知能犯ですよね。それから、強盗殺人ってのはいわゆる強力犯ですよ。詐欺ができる奴は、強殺は性格的にできないと。それから、強殺ができる奴は、直線的に行動する性格ですから、詐欺などという頭を使う犯罪はできない、ってことが常識になってるんですよ」
大槻「そして、また何か、調書の指紋が、実は検事側が……」
遠藤「偽造」
大槻「……偽造したインチキ指紋だったわけですね」
遠藤「そう」
大槻「それは、もう、科学的にも……」
遠藤「証明されてんの」
大槻「証明されてるのに、検事側は認めようとしてないわけでしょ」
遠藤「そのとおり、そのとおり」
大槻「いや、これ読んでちょっとゾーッとしましたよ」
遠藤「そうなんですよぉー。ほんっとに、そうなんだもん。で、警視庁は、真犯人まで突き止めておった」
アフェリエイト:のほほん人間革命
とあって、これに遠藤誠みずからのことこまかな解説として、
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【証明されてんの】死刑判決の決め手とされた平沢貞通氏の自白調書三通が、実は白紙に、平沢氏の取調べをしていない出射義夫検事によって、平沢氏の左の人差し指の指紋が捺させられたものであるという、大阪市立大学法医学教室の大村得三博士による一九五九年一月の鑑定書がある。
*
というのがついている。けれども、
ハア?
犯罪学の常識だあ? 聞いたことがねえなあ、そんなの。伺いますけど、その常識だと、ほら、あいつはどうなるんだ。
いたじゃん。『凶悪』って本に書かれて映画になって、ピエール瀧が演じた〈後藤良次〉ってやつ。とんでもねえ凶暴性を持ちながらに知能犯。しかもなんだかあの話では、あいつの上に〈先生〉と呼ばれるもっとすげえのがいるっつったな。
アフェリエイト:凶悪(本)
それから、2004年に〈振り込め詐欺団殺人事件〉というのがある。ウン億円を稼いでいた振り込め詐欺グループの中に、分け前に不満を持ってカッパごうとする者達が四人出た。団のリーダーがその四人を他への見せしめも込めて、それはそれは残虐なやり方で殺した事件だ。遠藤誠の犯罪学の常識では、あの事件はどう説明されるんだ。
――と、このふたつはこの『のほほん』の本が出た後で起きた事件だが、対談している1995年と言えば、〈大阪愛犬家連続殺人〉〈埼玉愛犬家連続殺人〉と、どっちがどっちかわからなくなるような事件が世を騒がせたばかりじゃないか。オーケンの頭はほんとにのほほんとしてんじゃねーのか?
探せば他にいくらでも挙げることができるだろうが、遠藤の言葉が嘘と知るにはもう充分だろう。〈帝銀事件〉の犯人なんてこの四例に比べたら、知能性でも暴力性でも足元にも及ばない。一度に殺した人数がただ多いだけだ。
本当のワルがやった強殺じゃない。8万円で売れる絵を描くのに10万円が必要な男がやった《軽い詐欺みたいな》もので12人が死んでしまった――そのように見る方が、しっくりとくる事件ではなかろうか。
学者が勝手に言う常識が現実と違うのならばその学者が非常識な人なのです。オーケンもこんな野郎に騙されてんじゃねーよっつーの。
で、なんだ。調書の指紋が偽造だって? ふうん。しかし、「科学的に証明されてる」と言っても、それは科学者でない弁護士が「科学的に証明されてる」と言ってるだけなんだろう。
その大村得三博士というのが、「帝銀事件は〈七三一〉の元隊員の犯行でGHQの実験なのに違いない。絶対そうに違いない」という考えの人間ならば、どんなインチキ鑑定でもやるだろう。〈N線〉を見た学者も、〈ポリウォータ―〉を見た学者も、〈常温核融合〉を見た学者もみんながみんな、「実験により科学的に証明された」とそれらを言った。毒が青酸カリでなく青酸パリダカラリーというのがまったくのイカサマ鑑定なのは、セーチョーの『日本の黒い霧』をよく読めばわかる。〈N線〉を見た話と同じなことが。
アフェリエイト:日本の黒い霧
その鑑定をした学者は清家新一と何も変わらないのがわかる。〈清家新一〉と言っても普通の人は「誰だそれ?」と思うでしょうが、『のほほん人間革命』の別の章に名を書かれる人物だ。「逆重力エンジンを開発した」と主張して、〈と学会〉の山本弘会長などからモーレツな批判をされてるとかいう。
アフェリエイト:トンデモ本の世界(中古本)
『のほほん人間革命』自体はとてもおもしろい本ですので、興味をお持ちになられた方はどうぞ読んでみてください。だから大村博士というのも、清家新一と何も変わらないかもしれない。平沢が死ぬのを待ってたようにして発行された本なんか、書いてあるのがどこまでほんとか知れたもんじゃないというのを、オーケンともあろうものがなんで気がつかんのか。「大村博士の鑑定で科学的に証明された」というのは、それだけでは「消防署の方から来た」というのと何も変わらないのだよ。
その【証明されてんの】だが、遠藤誠のことこまかな解説を見ると首を傾げてしまうことがふたつある。第一に鑑定したのが《大阪市立大学》の博士とあるが、なんだそれ? いや決してお茶の水博士じゃなければダメだと言うつもりもないが、なんで大阪市立大学? その博士がその鑑定を出すまでに、他に何十人もの学者に首を振られてるんじゃねえのか?
だがそれ以上に疑わしいのが、その鑑定が為されたのが《1959年1月》となっていることだ。後出しジャンケンじゃん。ほんとに白紙に拇印を捺させられたのならば、公判のときに言っていいじゃん。
なんでそんな鑑定を、10年も経ってやってるんだ? 一審・二審で言わずにおいてきたことを、三度目くらいの再審請求でいきなり言い出したのか。10年経ったある日に急に平沢が、
「自白調書に拇印を捺したことはない。あ、そう言えば調べの前に、白紙に指を捺させられた」
と言い出したとでも言うのか。