川の流れの果て(1)
三郎は、始めは孤児であった。父は生まれる前に死に、その埋め合わせに身重の体で働いていた苦労から三郎の母親は倒れて、三郎を産み落とすと、日の暮れない内に亡くなった。彼は少しの間両親を葬った寺へ預けられたが、しばらくして三郎の母の姉がその寺へ訪ねてきた。
三郎は間もなく伯母夫婦に引き取られて、子供がなかった伯母のふみと伯父良助は、三郎を大層可愛がって育てた。三郎が苦労することのないようにと良助は読み書きを教えて、ふみは昔庄屋で下働きなどした縁で教わった礼儀などをたまに三郎に話した。十五になって独り立ちしたいと言った三郎に伯母夫婦は餞別を渡してくれて、二人の元を離れて三郎は仕事を探し、訪ね歩いて弥一郎の元へ来た。
手にする給金の半分を伯母夫婦への仕送りとして、もう半分で三郎も好きな本を貸本屋から借りたり、酒を飲んだりしていたが、住み込みの身では里帰りも叶わず、その内に三郎が弥一郎の店へ来た翌年、伯母夫婦も相次いで流行り病で亡くなってしまった。
育ての親も亡くした三郎はただ心の中で、「これでもう思い残すものはない。残りの時は人のために生きよう」と思ったのだった。
三郎が塞ぎ込みがちながらも黙々と熱心に本を読む姿を見て、職人の中で年嵩の与助が、「そんなんじゃカビが生えらあ」と吉原へ誘い、あまり気乗りしていなかった三郎だが断りはせず、たまに与助の付き合いで女郎屋へ上がり込むようになった。
あまり花魁に口を開かなかった三郎だが、ちょっと頼りなさそうに見えてもいい男だとその店では評判で、ある晩わりあいに無口な女に当たり、二人とも喋らないというのも通夜のようだし、少し身の上話などしてみたらそれらしくなるだろうかと三郎が話してみたところ、花魁は黙って聞いていたが、三郎が喋り終わるとこちらを向いて、「お前さん、寂しくないんでありんすか」と一言だけ言われた。
それから、その言葉が気掛かりとなって、三郎は一人ででも花魁の居る小店へ顔を出しては長話をして、一言二言花魁が独り言のようなことを言い、二人で眠るという晩を過ごした。その内に、いつからか花魁は店へ出なくなり、最後にその店へ訪ねた時には「花魁は病で亡くなった」と店の若い者に聞かされて、三郎は最後の花代と、それから香典として、その日の有り金をその場で渡し、ふらふらと弥一郎の店へ帰ってきた。
それからの三郎はなんとなく浮世離れしたようで、ますます本ばかり読むようになった。
三郎を吉原へ誘った与助であるが、与助は元々は江戸に屋敷を持つさるお殿様の妾の子であった。与助がまだ物心つかない内よりずっと前にその家は乱れていて、そのうちにその主の乱行目に余るとお上に目されたのか無役となり、ふてくされた主はますます市中で乱暴狼藉を働くようになった。
ある晩酔っ払いから売られた喧嘩でその男を斬り殺してしまい、隠しはしたが奉行所に申し出る者があって、お家はお取り潰しとなってしまった。与助の母であった妾のお露は江戸市中の飯屋で働くことにしたが、与助が八つの時にお露はいい仲となっていた男と、文字通り露のように消えてしまったのである。
与助は飯屋で肩身の狭い思いをしながら育てられて時には飯屋の主にぶたれたりして、そんな場所に長く居たくないと、わずか十の時に家出をして、数々の店の前で門前払いをされ、弥一郎の店まで来ると、そこで迎え入れられたのである。
本ばかり読む三郎を留五郎が見つけて、三郎の心配をしていた与助のことも一緒に「柳屋」へ誘うようになった。これが「柳屋」に入り浸る三人の職人達の事の起こりである。
作品名:川の流れの果て(1) 作家名:桐生甘太郎