このコーヒーを飲み終えたら
「そうですか、じゃ、ご一緒していいですか」
「お願いします。下村さんは何町ですか?」
「四手町です」
「あ、じゃ、私はその手前の諏訪町です」
二人は歩き始めた。
「なら、四手通りを真っ直ぐ行けば・・・」
「いえ、その通りの踏切は通りたくないんです」
「どうしてですか?」
「あの踏切って、事故が多いじゃないですか」
「ですかね。松井さんも脱線事故に辛い記憶があるんですか?」
「いいえ、私、脱線事故とは無関係です。でもあの踏切で何度も飛び込み自殺があって・・・」
何やら話しづらそうにしている。
「私目撃したんです。その脱線事故の犯人の子が飛び込む瞬間」
「え?」
達也はあまりの告白に言葉が出なかった。少し背筋に寒気が走るのを感じた。
(小さな町だから、あの事故の影響を受けてる人って、結構いるんだな)
「それは、ひどい経験ですね。じゃ、普段どこを通ってるんですか?」
「北側の地下道が便利なんですけど、でもこんな時間じゃ怖いんで、ちょっと大回りなんですが、いつも南の跨線橋まで迂回してるんです」
「そうですか、じゃ、今日は私も地下道を通って帰りますよ。そんなに遠回りにはならないんで」
「ありがとうございます」
二人は会話が弾むわけではなかったが、お互いに悩みを打ち明け合った仲というのは安心感が生まれるのか、緊張することなく、並んで歩くのだった。
「下村さんは、どんなお仕事されてるんですか?」
「仕事は電気技師です。今ちょうどスマホの通信アンテナ工事で忙しいんですよ」
「あら、電話アンテナの? 私は高宮駅近くの電話局員です。意外に共通点ありましたね」
二人は線路下の地下道に差し掛かった。まだ新しい地下道で、照明は蛍光灯で1か所切れているものの結構明るい。中に入るとカビ臭いじめじめした空気が漂っていた。
「夜の人通りは少ないのかな。でも長い地下道って、それだけで不安ですよね」
達也は、松井かなみの気持ちを察して言った。
「でしょう。本当はここを通ると、うちの家まで一番の近道なんです」
「そうでしたか」
夜は確かに暗く、女性一人だと不安に思うだろうが、昼間だとそれほど危険な感じはしない。地下道を抜けてまっすぐ進むと、二人は古い住宅街の薄暗い丁字路に差し掛かった。
「私、この坂の上なので、ここで曲がります」
「あ、じゃ私はここのまま真っ直ぐ行きますから、ここまでということで」
「付き添っていただいてありがとうございました。来週もカウンセリング来られますよね」
「ええ、ぜひ出席したいと思っています」
「じゃ、また来週」
松井かなみは、そう言うと軽く会釈して、コツコツと坂道を登り始めた。
達也は少し名残惜しい気がしながら、その後姿を見送って、すぐに家に向かって歩き出した。
作品名:このコーヒーを飲み終えたら 作家名:亨利(ヘンリー)