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短編集 『蜘蛛』

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7:フォビア≒フィリア



 実は、クモが大っ嫌いだ。

 「馴れ初め」は私とクモのであいそのまんまで、クモ嫌いになったきっかけの話だし、「アラクネ」は、体調が悪いときに見る、体中を蜘蛛が這い回るという悪夢からヒントを得たものだったりする。

 そんなクモ嫌いの私が、子供の頃のクモに関するエピソードを少し書いてみようと思う。

 友人と野球をしていたときのことだった。外野の私は大きめのフライが取れず、ボールが草むらの奥へと入ってしまった。当然、それを取りに行ったのだが、遠目でボールを見つけた瞬間、私はぎょっとする。ボールの真上に、大きなクモが巣を張っていたからだ。私は怖くなり、泣きながら戻って友人にそのことを伝えた。友人は私についてきて、その大きなクモを確認する。
 次の瞬間、彼は大きな石を手に取り、その空間の主に投げつけた。巣はその石に押しつぶされ、瞬時に姿を消す。クモ自体も石に押しつぶされたのだろう。
 しかし、それでも私はボールを取りにいけなかった。クモがまだ生きていて、その辺に忍んでいたら嫌だったのだ。泣き止まない私に、友人は舌打ちしつつボールを回収する。私はもう野球はやりたくないと駄々をこね、結局それが原因でその日は解散した。この話は瞬く間に広まり、クラスに私のクモ嫌いを知らぬものはいなくなってしまった。

 クラスメイトに、Kさんという女の子がいた。活発な子で、美人だったので人気があった。私も幼いなりに彼女に好意を寄せており、席が近いこともあって頻繁に話をする仲だった。
 ある日の掃除中。ほうきで床を掃いていたKさんは、どこからか迷い込んできたクモを見つけた。クモということで、彼女は早速私を呼び寄せる。何も知らない私は鼻の下を伸ばして彼女の元へと駆けつけたが、クモにびっくりして逃げ出してしまった。小さいから大丈夫だよという彼女のからかうような声と、その時の満面の笑みは今でも忘れられない。
 大人になった今ならそんな彼女の行状に、無邪気さやサディスティックな魅力を見いだすこともできたかもしれない。だが、当時の私には嫌なやつだとしか思えなかった。その瞬間から抱いていた好意は消えうせ、私の初恋〈?〉は淡雪のごとく溶けてしまった。

 かと思えば、クモに触れた話もある。
 ガキ大将格の友人〈最初のエピソードの石を投げつけた彼だ〉が、クモの巣に顔を突っ込んでしまった。聞いただけでも卒倒しそうな話だが、彼は恐ろしいことに、そのクモを逆に生け捕りにした。
 黄色と黒のあのおぞましいやつ、それを両の手のひらに入れて自慢する彼。私はおびえて遠巻きに見ていたのだが、友人は私のクモ嫌いを目ざとく覚えていた。
「おまえ、触ってみろよ」
私は全身から汗が吹き出るのを感じた。冗談じゃない。ちっこいやつならまだしも、こんなでかいやつ。よっぽど断ろうかと思ったが、この場にいる友人たちも私のクモ嫌いを知っている。断る理由は明白だ。
 それに、当時の私には断りづらい事情があった。ガキ大将の彼と私が仲がいいのは、私が勉強ができて物知りだからだ。だが私は、けんかのほうはからっきしと言っていい。グループ内の友人は、そんな私がガキ大将の側近として、重用されているのが気に食わないのだ。
 ここで男を見せねば、グループから追い出される可能性もある。そう思った私は、彼からその大きいクモを受け取った。手の中央に感じるふわっとした感じ。毒々しい体色の割に、柔らかいんだなという第一印象。直後、ゆるい動きでクモは指先へと動いていく。歩いて逃げ出そうとしているようだが、その動きは鈍重だった。
 私は勇気を出して、もう一方の指先で毒々しい腹部を突っついてみる。ふにゅんというやはり柔らかい感触。カブトムシなどの甲虫に慣れている自分には、体験したことがない奇妙な感覚。
 大嫌いなクモを手にのせたという思い出は、私自身が拒否反応を示しているのか、今でも夢だったとしか思えない。でも、あの不必要に柔らかい感触は、夢のぼんやり感と相まって強く記憶に残っている。


 大人になって、クモ嫌いも少しは落ち着いたかのように思えたが、全くそんなことはない。いまだに、軒先付近でなにか動くものを見つけるとビクッとするし、普段、特に秋は彼女たちが産卵のために大きくなるので、外を歩くたびにキョロキョロと、巣を張っていないかどうか確認する日々だ。そして、でかいやつが巣を張っているのを見つけるたび、顔をしかめながら、できるだけ離れてその場をやり過ごしている。
 いわゆる造網性のクモだけではない。歩き回るクモも天敵だ。代表格といえば、やはり軍曹と名高い強面のアシダカグモだろう。今の住まいでは二度ほどお目にかかっているが、一度目は情けないことに、実家の親に電話をして、来てもらおうと思ったほどだった。
 このできごとが、あまりにも情けなかったので、このままでは駄目だと一念発起した。自分がクモ嫌いなのは、クモについてあまりにも無知だからではないか。敵を知り、己を知れば百戦危うからずだ。そう思い、ネットでクモについて調べることにした。
 最初はそれも苦痛だった。なぜなら、クモに詳しいサイトはたいてい画像も載っている。おぞましいクモの画像を横目に見ながら、知識がつくわけがない。だが、最近はそれすらも慣れ、もともとは益虫だが、最近は不快害虫にされているということや、体を消化液で洗っていて以外に清潔なことなど、有用な知識を得ることができた。さらにその知識を利用して、この短編集も書き上げたというわけだ。


 だが、最近疑問に思うことがある。
 これだけ、クモについてのエピソードを持ち、ネットでクモについて調べ、まるでクモを探すかのようにキョロキョロしながら歩き、クモの短編集を書いて、揚げ句の果てには実際にクモを手にのせた……。

 もしかして傍目には、私はクモが好きだと思われているんじゃないだろうか。
 そんなはずはない。触るどころか見るのも嫌なのだ。あんなのに近くにいられたら、失神しかねないほどゾッとする。断じて好きなはずはない。


 ……でも、好きと嫌いは紙一重ってよく言うんだよなぁ。
作品名:短編集 『蜘蛛』 作家名:六色塔