小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

十九年目の鯉のぼり(『バレンタインの戦友へ』スピンオフ)

INDEX|2ページ/2ページ|

前のページ
 

 俺が店の包装紙でくるみ、花のリボンをかけた箱を手渡すと、シズカはそれを丁寧に開けて……。
「きゃはは! もう! 笑わせないでよ、まだお腹痛いんだから」
「気に入らない?」
「そんなわけないじゃない……ありがとう、あの時のことを思い出すわね」
「まあね」
「あはっ!」
 俺が絆創膏を張った指を見せると、シズカはお腹を押さえて笑いをこらえた。
「なに? なに?」
 シズエが箱を覗き込もうとすると、シズカはそれを差し出して見せてやった。
「チョコ?」
「そうよ、お父さんが作ってくれたみたいね」
「そうなの? おとうさんもおかしつくれるの?」
「まあ、お母さんほど上手には出来ないけどな」
「ほんとだ、まんまるじゃない」
「まあ、でも味は悪くないはずだぞ」
「いっこいい?」
「もちろんよ、おあがりなさい」
「うん……あ、おいしいよ、これ」
 シズエがチョコを頬張るのを見て、シズカも一つつまんで口に運んだ。
「美味しいわ」
「あの時よりは上手くなってるだろう?」
「どうかしら、あの時は泣いてて口の中がしょっぱくなってたから良くわからなかったわ」
「俺は憶えてるよ、あの時のシズカのチョコよりはいい出来だと思うぞ」
「ふふふ……それはそうかも……ありがとう、力が付きそう」
「ああ」
「ねぇねぇ、なんのおはなし?」
 俺たちのやり取りはシズエにはチンプンカンプンらしい、それはそうだろうが。
「あのね、お父さんとお母さんのナイショのお話」
「え~? おしえてくれないの?」
「お家に戻ったらゆっくりお話ししてあげる」
「うん……」
 シズエは曖昧に頷いた。

 シズカと俺のなれそめ……その時は『なれそめ』になるなんて想像もしていなかったが……。
 十八年前、当時小学四年生だったシズカは担任の先生に恋をして、バレンタインデーに手作りチョコを渡そうとしたが、教師がそんなものを受け取るわけにはいかない、心を込めたチョコを受け取ってもらえず、失恋したと思い込んだシズカは丘の上の公園……長い階段を登らないと辿り着けないのであまり人が来ないからそこを選んだのだろうが……で一人泣こうと思っていたら、あいにく先客がいた、それが当時高校二年だった俺だったわけだ。
 シズカが今にも泣きだしそうな顔でごみ箱に投げ込んだチョコの包みを俺が拾い上げ、代わりに男子校の調理実習で作らされた……実に嫌味な実習だが……チョコをシズカにやって、二人ベンチに並んで互いの努力(ほね)を拾い合った、そして翌年のバレンタインデーでの再会を約束して『戦友』となった……それから十二年かけて『戦友』は『夫婦』となり、更に三年後にシズエが生まれ、また更に四年後の昨日、二人目の子供も授かった……まあ、そう言うこと、足掛け十九年、気の長い話だ。
 ただ、それを聴いた時、シズエがどんなことを感じ、思うのか、ちょっと興味はあるが……。
 
 その日の午後、家に戻ると俺は立てたばかりの旗竿に鯉のぼりを上げた。
 ゴールデンウィークに入ったので自分で穴を掘って立てておいたのだ、産まれて来るのは男の子と知っていたから。
「おや? 産まれたのかい? 男の子だね?」
 隣の家の御主人が鯉のぼりを見つけてそう声をかけてくれた。
「はい、夕べ遅くに……これから賑やかになるかもしれませんが、勘弁してください」
「全然構わないよ、ウチはもう二人きりだし、孫の顔はまだ見てないからね、却って楽しみだよ」
「そう言って頂けるとありがたいです」
「そうか、男の子か……今じゃここいらでも鯉のぼりを上げることは少なくなったな、ウチでも上げていたんだが、息子たちも独立したし、竿の根元が腐っちまって危ないから抜いてしまったんだが……こういう風習は大事にしたいね」
「そうですね」
 俺はお隣さんと一緒に、五月の青い空を気持ち良さそうに泳ぐ鯉のぼりをしばし見上げていた。

「あら、産まれたのね?」
 昨日まで店は開けていたのでお得意さんたちはそれと知らずにお菓子を買いに来てくれるが、鯉のぼりを見て事情を察してくれる、もっとも、お腹がせり出してくる様子はずっと見ていたので遠からずこの日が来るのは知っていてくれたのだが。
「済みません、しばらくの間はお休みを頂くことになります」
 いずれは張り紙をしなければならないだろうが、休み中くらいはお得意さんには挨拶しておきたいと思って、俺はお客さんが見えるたびに店に顔を出した。
「いいのいいの、お目出度いことなんだから、またシズカちゃんのお菓子を食べられる日を大人しく待つことにするわ」
「またよろしくお願いします」
 何度こんなやり取りを繰り返したか……この小さな店が、シズカのお菓子が愛されていることを改めて感じ、ありがたいなと思う。

「あら……?」
 ちょうどその頃、病院のシズカはチョコの箱の底に忍ばせたカードに気づき、それを手に取って微笑んだ。

『親愛なる戦友へ、新しい命をありがとう、これからは四人で行軍だな』

(ふふふ……ここまで来てまだ『戦友』だって……)
 シズカはバッグに忍ばせていた手帳サイズのスケッチブックと、高校進学のお祝いにヒロシから贈られた万年筆を取り出してバラの絵を描き始めた。
 嬉しい思い出が一つ増えるたびに一枚づつ描いて来たバラの絵。
 それらはもうこの病室を埋め尽くせるくらいになっているはず。
 そして、いつかは家も一杯に出来るんじゃないかと思う。
 
 十九年前のあの日……。
 担任の先生に恋してチョコを渡そうとして受け取ってもらえなかったこと。
 それが悲しくて悔しくて、一人で泣こうと思ってあの公園に行ったこと。
 その日にたまたまヒロシの学校で調理実習があって、先生の気まぐれでチョコバーを作らされていたこと。
 それを自分の胃袋に処分するところをあまり人に見られたくないと思って、ヒロシがあの公園にいたこと。
 いくつかの偶然が重なって、ヒロシと変わった出会い方をした。
 だけど、思いがけず先客がいたことに腹が立って、ゴミ箱に思い切り投げ込んだチョコの箱を拾い上げてくれたのは偶然とは言えない……それはヒロシの優しさだと今では思う、その時は『なんでそんなことするのよ』としか思わなかったが……。
 十九年後にその人との間に二人目の子供を産むなんて想像もできなかった、もっとも、その頃小学四年生だったから当たり前だけど……。
 思えば、運命の糸が、あの日あの時、あの公園に自分たちを導いてくれたのかもしれない。
 でも十七歳の男子が十歳の生意気な女の子との約束を違えずに翌年のバレンタインデーにあの公園で待っていてくれたこと、それから一度も約束を違えることなくここまで連れて来てくれたことは確かなことだ。
 出会ったのは運命かも知れないが、ここまで来れたのは運命なんて言葉じゃ説明できない……。
  
 バラの絵が描き上がると、シズカはスケッチブックと万年筆をしまってベッドから降りた。
 また一つ加わった、ヒロシとの強い絆……産まれたばかりの息子の顔を見に行くために……。