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ふしじろ もひと
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『封魔の城塞アルデガン』第3部:燃え上がる大地(後半)

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第8章:屋上



 アザリアが意識を取り戻したとき、あたりは宵闇に閉ざされていた。起こそうとした上体が折れたあばらの激痛に崩れた。一瞬振り仰いだ目がかろうじて夜空の様子を捉えた。

 西と北の二箇所に赤い残照が映えていた。
 天空から去った二つの太陽の名残だった。
 北の赤黒い残照にアザリアは目を向けた。

 あれはアルデガンめざす火の玉が天空を焦がすのか。
 それとも燃えるアルデガンの炎が大空を舐めるのか。

 無力だった……。止められなかった……。
 地獄の太陽の残照を見る目が絶望に霞んだ。その視線が祭壇に落ちた。
 かつて仲間だった男の無残な残骸が横たわっていた。吸血鬼の手に落ちたラルダを追いながらも及ばなかった己の力に絶望したあげく、狂気に堕ちてしまったガラリアン……。
 無力と絶望に軋むアザリアの心が骸に空しく呼びかけた。
 アルデガンを出奔しどこをどう流れてこれほど凄まじい妄執を育ててしまったの?
 あなたにとって、ラルダが失われた世界は無意味なものでしかなかったの?
 あなたを助けたのはあやまちだったの? ただあなたを苦しめたあげく、アルデガンとこの世が滅びと戦火の災いに落ちる結果を招いただけだったというの?
 私だって無力ゆえに絶望したわ! 何度無念に泣いたかしれない。それでも力が及ぶ限りのことをしようとしたのに……。
 こんな無残なあなたを見せつけられて、数多の人々が死ぬのを無為に眺めるしかできないなんて。

 あなたを助けたのはそれほどの間違いだったというの?
 ただ一度の過ちでこんな結末を見なければならないの?
 ……これほどの罰に値する罪だったとでもいうの……?
 絶望に屈しそうになったその時、一つの声がアザリアの脳裏によみがえった。
「私は誰ひとり守れず無為に死ぬしかないのですか?」

 痛みも忘れて中空を仰いだその目に、青い目に宿る激しい光が映じた。人間ならざるものに変わりゆく恐怖と絶望を突き抜けて燃え上がった光だった。
 あの集会所の朝と同じく、その光はアザリアを動かした。
 無為に死ぬなんてできない。リアだってあれほどの絶望に立ち向かったのだから、それもわが身のためなどでなく!

 アザリアは再び魔術師の骸に目を向けた。
「哀れなガラリアン。でも、誤ったのはあなただったのよ」
 痛苦に耐えて、アザリアは半身を起こした。
「あなたは自分ひとりの世界に生きていた。だから自分の絶望に抗うすべがなかった。守るべきものを失い自分の世界が崩壊したとたんにあなたの魂は支えを失い、なすすべもなく人の身のまま狂える怪物に堕ちるしかなかったのよ。わが身もろともこの世を滅ぼそうというほどの。
 でも私は、わが身が怪物に変わりつつあるのに人々を守ろうという意思を支えに絶望に抗う者を見た。だから私もここで屈するわけにはいかない!」
 激痛に喘ぎながらも、アザリアは開け放たれた檻につかまって立ち上がった。
「間に合わないかもしれない。もう終わったのかもしれない。
 それでも諦めないわ! たとえ死んでも!」

 そのとき心の何かが己の言葉に反応した。
 死線の中で研ぎ澄まされた勘だった。
 諦めない……? 死んでも……?
「そうよ。それがどうしたの?」
 死ぬ身なら……跳べるはず。
 幾多の危機を越えさせた声が告げた。
「まさか。転移の術!」
 アザリアは叫んだ。凄まじい速さで思考が巡った。

 今の私が転移の呪文を唱えられないのはなぜ?
 呪文が長く複雑だから。頭の傷が集中に耐えられないから。
 では、転移の呪文はなぜ難しい? 距離の問題?
 違う。無事に降り立つのが難しいから。
 高さを誤れば大空や地中に跳びこんで即死してしまうから。
 到達地点の探知と高さの緻密な指定が欠かせないから。
 ならば、ならば無事に降り立たなくてもよければ、
 唱えれば死を免れないこの私が跳ぶのなら、
 呪文を刈り込んでしまっていい!
 地中にさえ飛び込まなければ、人間が空から墜落してくれば
 見張りの絶えない洞門前なら見落とされはしない!

 洞門前の空高くへと跳ぶだけの呪文!
 脳裏に浮かんだ呪文の長さは半分以下だった。これならば!
 白い長衣の裂けた裾を裂くと指先を食い切り、血文字で顛末を書きつけた。そのとき懐かしい声が脳裏に響いた。
「絶対に無理をするな。必ず帰ってきてくるんだ」
 寺院の廊下で両肩を掴んだボルドフのぶ厚い手を感じた。

 思わず目頭を抑えながら、しかしアザリアは微笑んだ。
「……むちゃくちゃね。でも、もうこれしかないのよ」
 血文字の書状を腕に結びつけた。
「帰るわ! アルデガンに! 無事でいて!」
 集中し呪文を唱え始めたとたん頭の古傷から赤い闇が広がり、神速の呪文に負けじと視界を覆った。盲いてもなお縮めた呪文を唱え続ける白衣の魔術師に、真紅の死神が追いすがった。