『封魔の城塞アルデガン』第3部:燃え上がる大地(前半)
第2章:洞窟下層
暗闇の中で、大きな飛竜と華奢な少女が向きあっていた。
大きさや姿の点でも洞窟にいるのが明らかにふさわしくない飛竜の苛立ち、その心がリアには手に取るように読み取れた。洞窟の中では広げることもできぬ翼を思い切り伸ばし天翔けるイメージとして受け取った。
>それが望みなの?<
呼びかけた思念への応えは言葉の形でこそなくても、明らかに肯定の念だった。飛竜もまた曲げられた存在なのだと悟った心に相手が触れるのを感じた。
リアは心を鎮めてみた。相手の苛立ちがみるみる鎮まった。
ゆっくりと感応のつながりを解くと、飛竜は低く唸りながらも向きを変え、横穴の奥に戻っていった。
あれからもう二ヶ月がたとうとしていた。その間リアは洞窟をさまよい歩き、多くの秘密を知った。
そして我が身に起きた変化がどういうものであるのかも。
洞窟には様々なものが棲んでいた。深くなればなるほど種類も数も多かった。
下層の岩壁は岩がむき出した場所はほとんどなく、様々な種類の苔やキノコなどの菌類や青白い植物めいたものがはびこっていた。それを糧にしているとおぼしき虫、さらにそれを餌にしているネズミやコウモリなども凄まじい数だった。亜人たちはもっぱらそれらを餌にして、横穴の奥の巣穴にあふれるほど繁殖していた。そしてより大きな魔物たちが彼らを糧にしていた。
洞窟は一本の太い通路から多くの枝道が伸びていて、その先に様々な様子の空洞があった。それらの多くは単なる空洞のままではなく何らかの力で異質な環境と化し、その環境に応じた魔物の棲みかになっていた。通路にあったものよりはるかに大きく深い地底湖には水棲の魔物たちが棲んでいた。青白い植物が疑似的な森を作っている空洞もあった。暗闇の中に自然な火口ではありえない亀裂から吹き出る噴火の力で、太陽まがいの光と熱を浴びた砂漠めいた環境を作り上げた砂地の空洞もあった。
それらの空洞に棲む数多くの魔物たちとリアは対峙してきた。その結果わかったことは、自分の感応力がおそらく転化によって強化され変質したことだった。
彼女はいまや出会った魔物たちと自由に感応しあうことができた。亜人や巨人、一部の魔獣などではほぼ言語に近い水準で思念を交わすことができ、より知性の低い魔物ともイメージの水準のものを伝え合うことができた。
彼らは一様に外界へ出ることを渇望していた。当然だった。彼らにとってここはしょせん牢獄だった。いくらか本来の環境に似せられていて一応生きてはいけるものの、本来在るべき場所ではなかった。滅びの場として用意されたものだったのだから当たり前ではあったが、それなら環境を変えている力は人間の意図とは矛盾するものだった。アールダ師が魔物を滅ぼすために洞窟に追い込んだのが誤りだったといったというのも、この不思議な力の存在ゆえのことだったのだろうとリアは思った。
そしておそらくは吸血鬼が持つ獲物に対する支配の力の影響なのか、魔物の精神を自らの精神にある程度まで同調させることができることもわかった。
しかも彼女の目は出会った全ての魔物の体に命の流れを読み取ることができた。かりに正面から戦いになったとしても、よほど体の大きさが違うのでなければ命の流れを断ち切ることで容易に相手を斃せることが本能的にわかった。
けれど、どの魔物にも、あるいは洞窟にはびこる小動物にも、命の流れは読み取れても血の流れを見ることはなかった。
目覚めたばかりのあのとき自分がアラードの姿に見てしまった血の流れ、命の流れと重なり合うように見て取れた真紅の流れを他の生き物に見ることは一切なかった。それを見た瞬間に確かに感じられたあの恐ろしい衝動も、他の魔物や生き物によってかきたてられることはまったくなかった。
だからこの二ヶ月ほどの間にじりじりと強まってきた渇きも、人間の血でなければ鎮められないものであることはもう彼女にもわかっていた。
吸血鬼は生き物の理に収まる存在ではなく呪いの範疇にあり、その渇きは自らが生きるためではなく他の人間を化生させるためのものとゴルツは語ったが、自分が人間という種族に呪縛された最凶の魔物と化したことを彼女はいまや実感していた。
だからリアは多くの魔物のもとを訪れたのだ。己をこの世から完全に消し去ることのできるものがいることを願いつつ。
だが、そんなものには会えなかった。彼らはいずれも生き物としての理の中に留まる存在にすぎなかった。自分の肉体を喰らい尽くすものはいるとしても、魂を滅ぼされない限り肉体はいくらでも編み上げられてしまう。魂の水準において自分を滅する力を持つと見て取れたものはいなかった。
だから数多くの魔物と出会いながらも、戦いを仕掛けることはないままだった。渇きとともに焦りと絶望が増しつつあった。
「どうなるの、私……」
思わず呻き声が出た。
どうやら自分を滅ぼせるものはゴルツしかいそうになかった。ならば滅びたければ地上に戻るしかない。けれど地上に戻れば、ゴルツに会うまでに別の誰かに出会うはず。そのとき何が起こるのか、渇きにかられ牙にかけるようなことになるのでは。互いに顔も見知った、大切な仲間だった誰かを……。
おぞましかった。許せなかった。やはり戻ってはいけない!
でも、このままでは渇きがいや増すばかり。事態はますます悪くなる……。
そのときリアは岩壁を覆い尽くすキノコや植物の根元に金色の光がかすかに流れているのに気づいた。改めて洞窟を見回すと、その流れは洞窟の最深部から洞窟全体に流れているのが見て取れた。これが洞窟の異常なまでに豊穣な生命を支えていると彼女は直感した。
洞窟の環境を変えてしまい数多の命を支える強大な力。それがどんなものかはわからないが、もしかすれば自分を滅することができる力かも!
リアは最後に残された未踏の空洞にあるはずの力の源めざし、いまや縋る思いで最深部への坂を駆け下り始めた。
作品名:『封魔の城塞アルデガン』第3部:燃え上がる大地(前半) 作家名:ふしじろ もひと