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ふしじろ もひと
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『封魔の城塞アルデガン』第2部:洞窟の戦い 後半

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第8章:火口その3



 ラルダの言葉がとぎれた。
 その顔が苦悶に歪んでいた。脳裏に去来するものに耐えるかのように固く目を閉じ、歯を食いしばっていた。伸びた牙が唇を食い破り、血がしたたり落ちた。
 あまりにも無残な話に、アラードは呆然としていた。
 ゴルツはどんな思いで聞いているのだろうと思った。だが自分を庇うように一歩前に立っているゴルツの表情をうかがうことはできなかった。
「そしてあいつは、私をありとあらゆる方法で責めなぶった」
 絞り出すような声だった。聞く者の耳朶を毒するような呪詛に満ちていた。
「いうことをきかぬ体に閉じ込められた魂が悶え苦しむのをあいつは何より悦んだわ。二十年もの間、私をなぶり苛み飽きることさえなかった。憎悪と絶望になすすべもなく私が毒されるのを、歪んでいくのを、堕ちてゆくのを、あいつは、あいつは……」
 ラルダが目をかっと見開いた。乱れた髪がざあっとざわめき、黒蛇のようにのたうった。
「あいつは私に自分で自分の首をもぎ取らせるのをことさら好んだ。それでも私は死ねなかった。ただただ苦しいだけで、意識が途切れることさえなかった。
 どうすれば私は死ねるのか、そればかり考えていたわ。化物として神が私を滅ぼしたもうことを狂気の淵すれすれのところで夢見ていた。私が彼を殺したのだから当然罰が下るはず。下らないはずがないと……。それでも、何度殺されても、私は蘇るばかりだった」
「お父様は私を見捨てた。それだけじゃないわ! 私があれほど滅びを望んでいたときにとうとう来なかったじゃない! それが今になってなに? 遅いわ! 遅すぎる……っ」
 ラルダの呪詛の声にもゴルツは身じろぎもせず、ただアラードに背を向けて立っていた。

「とうとう私はこの火口に身を投げた。溶岩が体を焼き尽くし、骨まで溶けて形を成さなくなったわ。
 それでも、いつまでたっても私の意識は消えなかった。あまりの苦痛に耐えられなくなって、私の意識は岩壁を這い上がった。溶けた体が続いたわ、しだいに形を取り戻しながら。長い、長い時間かけて……。
 やっと上に辿りついたらあいつが縁に立っていた。笑っていたわ。余興だ、よい余興だと。そして私を蹴り落とそうとした」
 双眸が凄惨な光をおびた。
「私は夢中で足首を掴んだ。せめて道づれにと、ただそう思って岩壁を蹴った。二人とも落ちた。でも私は途中の岩棚に引っ掛かり、あいつだけが溶岩に落ちた」
 ラルダは狂ったように笑い出した。
「落ちたのよ、落ちたのよ。初めて私があいつを苦しめることができたのよ! あいつの悲鳴を初めて聞けた、それがやっと半年前だったのよ」
「支配の魔力が薄れ、私はついに自由を取り戻したと思ったわ。でも……」

 笑い声がやんだ。
「あいつも這い上がってきた、私と同じように。半日ほど時間をかけて。だから岩をぶつけてまた叩き落としてやった……」
 憎悪に満ちた声に、まぎれもない恐怖の色がにじんだ。
「私はここを長い間離れることができない。半日であいつは這い上がってくる。そのたびに叩き落とさなければ私の体はまた支配されてしまう。私はこの世の終わりまでそれを続けて、それでも先に滅びるしかないのよ!」
「なぜ、なぜなんだ……」アラードは思わず呻いた。
「吸血鬼は存在し続けることで力を増してゆくからよ」
 ラルダが答えた。
「あいつは私より古き者。だから人間が滅んだ後も、私より長く生き延びる。私はついにあいつを超えられない、それが吸血鬼の理……」

「……なぜなの?」
 ラルダの声が変わった。底知れぬ怨嗟の呻きだった。
「なぜ、私なの?」
 体が震えていた。
「なぜ私がこんな目にあわなければならないの? これでも神がいるというの?」
 ラルダは射ぬくようなまなざしで、ゴルツを真正面から睨みつけた。
「答えてよ! 答えられないの? お父様!」
 アラードはゴルツの背中が震えているのに気づいた。
「お父様は私に期待していた。だから私も厳しい修行を積んできた。そうよ、神に仕える者として」
「その私をなぜ神は救わなかったの?
 なぜこんな身に堕ちなければならなかったの? よりによって彼の血をむさぼって!」
「なぜ私はこんなに長く、あんな男にここまでなぶられなければならないの?
 どうしてあいつが滅びるのを見ることさえできないのよ!」
 アラードはゴルツの背が縮み、曲がったような気さえした。
「私でなければならなかった理由なんてないわ! 他の誰かでもよかったはずよ! 他の人間ならこんな運命を免れていいとでもいうの? これも神のおぼしめしだというの?」
 ラルダの双眸が真っ赤に燃え上がった。
「許さないわ! 運命を免れる者も、それを許す神も!
 ならば私が神の定めた運命をねじ曲げてやるわ!」
 ゴルツの背中がぴくり、と動いた。

「昨夜あいつを溶岩に落としておいて、私は二十年ぶりにアルデガンに戻った。渇きで気が狂いそうだった。あいつは私が狂ってしまえば面白くないといって自分の吸い残した人間を私に与えたりしたけれど、あいつが溶岩に落ちてからは渇きを癒すことさえできなかったから」
「それなのに、渇いていたのに、狂いそうだったのに……」
 ラルダは目を伏せた。
「二十年前、あの日まで暮らした部屋に足が向いたわ……」
 血の色の涙が一筋こぼれた。
「わかっていたのに、あの日になんか戻れはしないのに。
 それでも帰ってしまった。幻でも錯覚でもかまわなかった。
 なのにそこには! その場所には……っ」
 燃える双眸が再び見開かれ、虚空を睨み上げた。
「私の部屋にはあの娘がいた。髪も目の色も違う、あの日の私よりずっと年下の、まだ生まれてもいなかったような小娘が!」
「なぜここにいる、ここは私の場所だったのに! そう思ったら憎くてたまらなくなった。死んでからっぽになるなんてことでは許せなかった! 生やさしすぎたわっ」
 炎の照り返しを受けた牙がぎらりと光った。
「だから小娘を牙にかけた。気が狂いそうに渇いていたけれど、どうにか殺さずにすませたわ。かわりに見張りの戦士を一人吸い尽くさなければ収まらなかったけど」
「でも、どうしても許せなかった。私と違う運命を辿ることなどあってはならないと思ったわ。だからこの牙でねじ曲げてやったの、あの小娘の運命を!」

「それが、そなたの望みか……っ」
 ゴルツの声は、軋むようだった。
「これでも神がいるというなら、これこそ神の望みよ」
 ラルダが応じた。
「この身を愛する者の血さえむさぼらずにいられなくしたのも、この牙に運命をねじ曲げる力を与えたのも神なのだから。そうでしょう? 違うとでもいうの?
 ならば私は神の与えたこの力を心のまま振るうまで!」
 ラルダは両手を広げた。
「解呪できるものならするがいい! あいつにあれほどなぶられながらも抗い続けた私よ。簡単には滅びないわ!」
 鋭い爪がめりめりっと伸びた。
「私が勝てば、お父様は私の下僕よ。そのばかな子の喉を裂いて岩穴にいっしょに閉じ込めてあげる。死ぬなんて許さないわ! 永遠にこの場所であいつの番をさせてやる。
 あいつの心配さえなければ私はアルデガンに戻れる。神の御心とやらがどんなものか、誰もが思い知るべきよ!」