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地井野  駄文
地井野 駄文
novelistID. 64685
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ソーン・イ・プラブジヂェーニエ

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サマルカンドは抜けるような青空だった。この国特有の砂まじりの乾いた風が、足元でしきりに渦を巻いては消えていった。広場の中心に立って顔を上げると、花のような幾何学模様と青や黄のタイルに彩られた壮麗なマドラサがこちらを見下ろしている。言語も髪の色も様々に異なる人々が往来を行き交う様は、かつてシルクロードの要衝であったこの地が古来受け継いできた一つの光景であるように思われた。

「ウンウン、その服似合ってますね」
屈託のない笑顔を浮かべながらそう隣で頷いたのは、外国語大学で日本語を専攻しているという黒髪で細身のウズベク人青年である。勉強とアルバイトを兼ねて観光客のガイドをしているという。満足したら最後にガイド料をくれればいいから、と駅で声を掛けられ、通常であれば断るところではあったが、その裏表のなさそうな表情につい同行を許してしまったのだった。私は先刻レギスタン広場の出店で買った黄色いアドラス生地のワンピースに着替え、ポニーテールにサングラスといういで立ちだった。

「次は、昔のサマルカンドがあった丘に行きましょう。チョット歩きますけどいいですか」
私がかまわない、という風に肩をすくめると、青年はにっと笑い、小さく合図をして、足早に歩きだす。

 松の木が連続して植えられた街道には中国人と思しき人々がたむろしていた。何やら口々に言い合いつつ、遠くに見えるモスクの青いドームをバックに自撮りをしているようだった。我々はその間を縫うようにして道を急ぐ。
「お姉サン、そういえば、聞いていなかったですけど、なぜウズベキスタン来ましたか」
青年が振り返りざまに聞く。私は鞄から煙草を取り出して火をつけた。
「さあね。分からない。」
煙を吐き出すのと同時に、付け加える。
「一生に一度くらい、日本語も英語も通じないような国に来てみたかったのかもしれない。」
「そうですか。一度と言わずに、何度でも来てください。ネ、ウズベキスタンいい国だから。」
青年は笑顔を崩さずに言った。

 レギスタン広場から目的地までは歩いて15分程度であった。青年に合図され、考古学博物館の裏手から丘の上に登る。
 そこは地平線まで続く黄土色に乾いた岩と土と、それを短く覆うらくだ草と、ところどころに咲く小さな白い花だけの土地であった。先程とは打って変わって灰色の雲が地表近くまで垂れ込め、送電線が無機質な墓標のようにどこまでもまばらに聳え立っていた。この寂れた土地で牛や羊を放牧している人々の遥か向こうに、美しく鮮やかに彩られた現在のサマルカンドの街の中心部が小さく見えた。

「ここ、今何もないですが、昔のサマルカンドはここにあった。とても栄えていて、とても美しい街だったそうです。」
 目の前を一陣の乾いた風が吹き抜けていった。
「街はいくつもの城壁に囲まれて、大きな水路があって。でも、1200年ごろ、モンゴルの軍が攻めてきて…」

青年が勢い込んで説明しようとするのを、私は遮った。2本目の煙草に火をつける。ライターをしまう傍ら、彼の手に10ドルを握らせた。
「あれ、もうガイドおしまいですか」
「言ったでしょう。日本語も英語も通じないような国に来てみたかったって。日本語で全部説明されてしまったら意味がない気がする。」
深くため息をつくように煙を吐いた。
「ここからは自分で回るわ。ガイドありがとう。」

 青年が名残惜しそうに振り返りつつ帰っていくのを横目に、私はアフラシャブの丘の端に立ち、どこまでも続く荒野を眺めた。雲間から射した日が照らし出した送電線の数を無意識のうちに数えていると、どこか気の遠くなるような心地がした……

          ……………

 ……どこからともなく、かすかに低くうなる弦楽器の音が聞こえてくる。

 ゆっくりと音のする方へ目を向けると、一人の痩せた老人が大岩の上に座っている。白い髭をゆたかにたくわえ、落ち窪んだ眼の際に無数の皺の刻まれた彫りの深い顔の上に、縁を折り返したような変わった形の帽子を目深に被っている。その震える手には、洋梨のような胴体をした、柄の細長い楽器が握られている。その古びた重い音色の合間に、老人の口から洩れる子守歌のような旋律は、サマルカンドに来てから聞いたどんな言語の響きとも異なっていた。ウズベク語でも、ペルシア語でも、ロシア語でもないそのことばは、なぜだか私をひどく不安にさせた。

 いつの間にか、老人と私の周囲は霧がかかったようにぼんやりとしている。その白いもやの中から、今度は橙色の民族衣装のようなスカートをゆったりと翻して、一人の若い黒髪の女が現れる。その白い首には豪奢な黄金のペンダントが揺れ、腕は大きな碧い石があしらわれたアームレットで飾られている。彼女はその手の中から、何かをこちらに差し出そうとしている。

 それは二つに割った柘榴(ざくろ)の実の半分であった。

 私はそれを受け取る。赤いルビーのような種子が溢れんばかりにぎっしりと詰まっている。
 私の手の内から、そのひとつふたつが大地に零れ落ちた瞬間。
 不意に世界が暗転した。……



 次に気が付いたとき、自分がどこにいるのか、にわかには分からなかった。ただどこかとても高い場所から、一つの街を見下ろしていることだけがかろうじて認識できた。
 二重の城壁に囲まれた街の中を、夕陽に紅く染まる3本の川が流れていた。川と水路の周りは、杏子や無花果などのたわわに実る果樹や色とりどりの草花にふちどられている。だが石造りの建物に囲まれた往来には全く人気が無く、代わりに鎧で武装した兵士の影がそれぞれの城壁の周りにひしめいていた。街はしんと静まり返り、何か物々しい張り詰めた空気が流れていた。

 私はようやく自分が街の一番外側にある城壁の上にいることを認識する。背後には夕闇にじりじりと焼け付く砂漠が広がっている。

 その時、砂漠の向こうに突如巻き起こった砂埃の向こうから、こちらに向かってだんだんと大きくなる黒い影が見えた。裾の広がった皮の鎧兜に身を包んだ騎馬隊の集団である。彼らは一様に屈強な体躯に槍や剣やしなやかな弓を装備し、細い目を猛獣のようにぎらつかせながら疾走していた。その先頭をひた走る老練な武将が地響きのような雄叫びを上げた瞬間、たちどころに騎馬は散開し、瞬く間に街を包囲していった。……
 


 次に目が醒めたときには、先程と同じ場所から同じ街を見下ろしている。仰ぎ見れば今にも落ちてきそうな満天の星空。だが眼下に広がる光景はさながら煮えたぎる地獄の釜の底のようだった。街の中心に聳える要塞の内部から突如として上がる火柱。皮衣の騎馬兵が縦横無尽に往来を駆け巡り、警備兵や抵抗する住民を次々と嬲り殺していった。数多の人間の体は柘榴の実のように弾け、そこから迸る夥しい量の血が川や大地に零れ落ち、どす黒く染めていく。およそ人のものとは思われない叫び声と喚き声とが四方に満ち満ちていた。今や街中に広がった猛火は高く舞い上がり、漆黒の天の端を焦がしていった。……



 私は耳をふさぎ、目を閉じる。阿鼻叫喚の様相を呈したすべての音が遠のいてゆく。