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『イザベラ・ポリーニの肖像』 改・補稿版《後編》

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6.オークション



 オークションの数日前、イザベラはポリーニの館を出た、オークションが行われるロンドンへと旅立ったのだ。
 彼女にとってはこの五百年で初めての旅だ。
 もっとも、厳重に梱包されていたのでイザベラ自身は外の空気に触れることもできなかったが。
  
 オークション当日、クリスチャンズのオークション会場は静かな熱気に包まれていた。
 これがコンサートなら誰が登場し、どんな演奏を聞かせてくれるのか概ね見当がつく、その期待に会場は熱い興奮に包まれる。
 スポーツイベントなら誰が、あるいはどんなチームが登場するか、どんなパフォーマンスが可能なのかはわかっている、その選手たちが繰り広げてくれるであろう素晴らしい試合への熱い期待に包まれる。
 しかし、今日の主役は『幻の名画』だ、会場内でもクリスチャンズの、それも限られた社員を除いては誰も目にしたことがないのだ。
 誰も聞いたことがない、しかし天使の様な歌声を持っていると言うことだけがわかっている歌手の登場を待つように。
 誰も見たことがない、しかし、ウサイン・ボルトですら置いてけぼりにできる能力を持っているとされるスプリンターの登場を待つように。
 会場に集まった愛好家、バイヤー、そしてマスコミの面々は一種の怖れすら感じながら静かに『その時』を待っていた。

「今日最後の出品となります」
 オークションの進行役、オークショニアがそうアナウンスすると会場は緊張に包まれる。
 いよいよ『幻の名画』がその厚いベールを脱ぐ時がやって来たのだ。
「アンドレア・プラッティ作、『イザベラ・ポリーニの肖像』です」
 絵を覆っていた厚い布が取り払われると、開場は一瞬凍り付いたように静まり返った。
 誰もが声を発することさえ忘れていたのだ。
『幻の名画』がその名に値しないものであったならどよめきが起こっただろう。
 その名に恥じないものであったなら感嘆の声が上がったであろう。
 しかし、ベールを脱いだ『イザベラ・ポリーニの肖像』は、その期待を遥かに上回るものだった、声を失わせるほどに……。

「五千万ユーロから始めます、五千万、ありませんか?」
 開始価格の五千万ユーロにどよめきは起こらなかった、それだけの価値は充分にあると思われたのだ。
 だが……。
「八千万出ました、九千万ありませんか? 九千万出ました、一億ありませんか? 一億出ました」
 間髪を入れずに番号札が挙がって行き、あっという間に値が吊り上がって行く……さすがに一億を超えるとどよめきが広がり始める。

「一億六千万出ました、一億七千万ありませんか?」
 そこまで来ると、さすがに挙がる札もまばらになって来た、しかしここで止まってしまっては不調に終わってしまう、それを避けるためにニューヨーク市立美術館からの代理人も参加しているのだが、ここまでベルナルド・マーティンは沈黙を守っている、ジョーンズは気が気ではなかった。
 そして会場も静まり返り、オークショニアの声だけが響き渡る。
「一億七千万、出ました」
 ようやくマーティンが札を挙げた、そしてそこからはマーティンとフォークの代理人との一騎打ちになった。
「一億八千万出ました、一億九千万……出ました、二億ありませんか?」
 マーティンが札を挙げると大台越えにざわめきが広がり、フォークの代理人は『降参です』と言わんばかりに首を振った。
「二億ユーロ、これ以上はありませんね? では『イザベラ・ポリーニの肖像』はベルナルド・マーティン氏に落札されました」
 小槌の乾いた音が響き渡り、会場はそれを合図にしたように大きなため息を漏らした。
 息を詰める様に見守っていたオークションが結着したことに安堵のようなものを感じ、同時にその落札価格のあまりの高額に驚嘆して……。


「ありがとうございました」
 会場を出ようとするベルナルドにジョーンズが頭を下げた。
「頼みましたよ」
 するとマーティンはそれだけ言って会場を後にした。
 傍から聞いていれば品物を無事に届けてくれ、と念を押しただけのように聞こえただろう、しかし、このオークションはまだジョーンズとウィリアムズが目論んでいる物語のプロローグに過ぎないのだ。

▽   ▽   ▽   ▽  ▽   ▽   ▽   ▽

 フィレンツェの館で報告を受けたパオロもほっと胸をなでおろした。
 パオロが家督を継いだ時、ポリーニ家の負債は五億ユーロを超えていた。
 最盛期よりだいぶ狭くなってはいるが今でも広大な敷地の評価額と、館そのものの不動産価値を合算した既に額を超えてしまっていて、銀行は更なる融資を渋るようになっていたのだ。
 パオロはその財政再建のためにここまでそのビジネス手腕を揮ってきたが積もり積もった負債の前では焼け石に水、パオロは貴族の末裔ではあるが、体面よりも実を取る男、最後の手段、そして起死回生の手段として館の売却を考えていた。
 広大な敷地を持ち、築後五百年を経過して始終手入れをしていなければならない館は所有しているだけで毎年膨大な金を食いつぶして行く、パオロから見れば無駄の極みでしかないのだが館は市の文化財に指定されてしまっていて解体できないのだ。
 彼は市にかけあって館の買取を承諾させたが、その額は銀行の評価額を基準としたものであって歴史的価値までは加味されていない、市の中心部からだいぶ外れているので新たな観光名所としての価値は大きくないと言う判断だった、しかも十ヘクタールにわたる広大な敷地までは市も買い取れず、館の敷地として買い取れるのは一ヘクタールに過ぎない、パオロは残りの九ヘクタールを高級住宅街として開発し、分譲しようと考えていた。
 だが、更なる融資が受けられないのであればその計画も絵に描いた餅に過ぎない、その時に思いついたのが『イザベラ・ポリーニの肖像』の売却だったのだ。
 館の売却価格一億に加えて二億を手にすることが出来れば、抵当権者である銀行を納得させて宅地開発を進めることができる。
 土地は市の中心街からはだいぶ離れていて交通の便が良いとは言えないが、一人一台の車を所有できる富裕層ならばたいした問題にはならない、却って静かで落ち着いた環境が保てると言うものだ、そしてそこがかつてポリーニ城の敷地であったことは富裕層には魅力的に映るに違いない。
 そして分譲地が完売すれば自己用に充分な敷地も確保でき、ポリーニ家の居宅として相応しい新しい屋敷を手に入れられる、その上現在パオロが手掛けている事業も軌道に乗せることができる、その全てを実現させるためには一億では足りない、二億が必要だったのだ。
 それゆえに、ジョーンズの紹介で絵を見たいと言って来た者に対してはそれを承諾した。
 ジョーンズがどんな方策を考えているのか、それにはもう興味はなかった、二億が手に入りさえすれば良い……そして今日、その望みは叶った。

 パオロは地下のワインセラーからとっておきのワインを持ち出すと、イザベラの部屋の鍵を開けた。
「親愛なるイザベラ……この屋敷で眠り続けることか世に出ることか、あなたがどちらを望んでいたのかはわかりませんし、その答えはあなた以外誰も知らない、そして私は後者を選びました、私の独断をお許し下さい」