火曜日の幻想譚
120.カラオケボックスでの死闘
カラオケボックスで気持ちよくヒトカラをしていると、1人の男が入ってきた。薄汚れたジャンパー、カーキ色のズボンといういでたちのその男、どう見ても飲み物を運びに来た店員とは思えない。
男はゆっくりと僕の向かいの座席に腰を下ろすと、すっと懐から何かを取り出した。ギラリと光るそれには、赤黒い血がベッタリとこびりつき、ついさっきまで人間の肉体を切り刻んでいたことを否応もなく見せつけてくる。
(殺人鬼……ってやつかな……)
僕は、扉の外をちらっと盗み見る。見える範囲の壁や扉は血まみれだ。恐らく、他の場所も似たようなものだろう。なるほど、カラオケの爆音の中では気づかないわけだ。
だがこの部屋に入ってからは、殺人鬼は大人しくしている。刃物は取り出したものの、椅子に座っているだけだ。と思った直後、男はぽつりと僕に言った。
「3曲だけ歌わせてやる。まぁ、気に入らなきゃ1曲で終わりだけどな」
僕は流れるよう動きで、デンモクで殺人鬼の知ってそうな年代の唄を入力した。こんなときにじたばたしても仕方がない。下手にインターフォンに飛びついたりして、刺激するほうが危ないのだ。それに店員だってもう、全員この世にいないかもしれないのだから、インターフォンは頼りにならない。
早速唄が始まり、僕は刃物を持った殺人鬼に唄を披露する。喉には多少自身があるが、やはり声が震えてしまう。それでも何とか唄いきったところ、98点だった。
「お、いいぞ」
僕は高得点に気を良くして思わず声を出す。殺人鬼は身じろぎもしない。僕は流れるように別の曲を入力する。なるべく自然体、まるで彼がいないかのように。
別の曲が流れ出し、僕は再び立ち上がる。今回も多分、彼の知っている曲のはず。だが唄が下手なら気を使ったとすぐばれてしまうし、下手に出てると思われてしまう。そう、下手(へた)でも下手(したて)でもいけないのだ。
そうこうしているうちに2曲目も終わる。次はどうしよう。これ以上年代を合わせても、おもねってると取られるだけだし……。というか、そもそも次の曲は最後の曲だ。ならば、人生の集大成として一番好きな曲を歌えばいい。そう決めて、自分の中で最期にふさわしい曲を入力する。
(よし……、悔いのないように歌うぞ)
なじみのあるイントロが流れ出す。そして唄い出し。声の調子も完璧だ……。Aメロ、Bメロ、サビ、全てがきれいで、順当で、美しい。
ラスサビに入り、僕の命もあと数秒。そう思い、男の方をふと見ると、彼は腹に刃を突き立てて絶命していた。
人生に行き詰まっていた犯人は、とある曲がどうしても心に残っていて、人生の終わりにその曲をどうしても聞きたかったらしい。だが曲名も知らなければ、メロディも自分からはうまく伝えられない。そのため、最後の地をカラオケボックスと定め、殺人鬼と化したのだそうだ。
そこで男は3曲だけ猶予を与え、目的の曲じゃなければ殺めるということを繰り返した。だが、僕の3曲目がその心に残っていた曲だった。そこで彼はここが死に時と悟って、僕の部屋でこと切れたというわけだ。
これらのことを警察で聞いて、殺人鬼とセンスが一緒という事実に、僕はやや動揺した。だが、彼にだって人の心はあったはずだろう。そう思いながら、もらったような命を今も生きている。
だけど覚悟を決めたあの一曲、感想をできることなら彼から聞きたかったなぁ。