魔導士ルーファス(1)
しかしアステアの国防大臣に手を出してくるとは――。
理由はつい先頃にあった事件の可能性がある。アステア国内でアルドラシル教団のナンバー3と目される男が拘束されたのだ。
「この度の我らの目的は、アステア国内で拘束された同志の身柄解放にある。速やかに我らの要求を呑んでいただきたい!」
やはりそうだ。
ルーベンスは冷淡な眼をしていた。
「我がアステア王国がテロなどに屈すると思うておるのか?」
教団員は眉をひそめた。
「貴様の命、我が手中にある。己が命、恋しくないというのか?」
「おぬし、自分の言うたことを忘れたか。わしも恐れなどしない、それだけのことだ」
「歳は取っても〈赤鬼のルーベル〉か。貴様の肝が据わっていることは認めるが、貴様の
命の価値は貴様が決めるのではない。交渉相手は貴様ではなく、政府である」
〈赤鬼のルーベル〉とは、彼が若かりしころにつけられたあだ名だ。緋色の髪と、怒号の性格、そして前線で戦うその姿が鬼のようであったから、揶揄される名前がつけられたのだ。
「ならば国防大臣として言おう。テロリストとの交渉には応じない、と」
ルーベル言い切った。
拘束されているのはルーベルだが、人質はルーベルだけではない。
こっそりと逃げ出しそうになった客を教団員は見逃さなかった。
「その場を動くな! この爆弾は店ごと吹き飛ばすことができる。ここにいるだれか一人でもおかしな真似をすれば、命の保証はないと考えてもらいたい!」
人質はここにいる全員。
ルーベルは教団員に悟られないように、ほかの客たちを観察していた。
「(単独で行うなら無謀な作戦だ。仲間がいる可能性がある)」
端から自爆するつもりであれば数が少なくてもいいだろうが、目的が同志の解放である以上は、成功させるための採算を練ってくるだろう。ならば単独で行う犯行としてはリスクが大きすぎる。
客の中に仲間がいるのか、店員の中にいるのか、それともルーベルの読みが間違っているのか。
リファリスはずっと教団員を睨み付けていた。
「(親父……なにかできることはないのか……)」
どんなに嫌っていても、最後は父の身を案じる。リファリスも?子?であった。
汗が床に落ちた。
だれのってルーファスのだ。
父親が命の危機に晒されている中、ルーファスは敵と戦っていた。
敵の名は腹痛!
父親のことも心配だが、だからと言って腹痛を忘れることはできない。今すぐトイレに行きたいほど腸が悲鳴をあげている。でもそんな願いが通らない状況なのもルーファスは承知している。
父親の命と腹痛の板挟み。明らかに父親の命のほうが大事だが、切実な腹痛とも戦わなければならない。
ちょっと気を緩めたらちょびってしまう。
「(お腹が……死ぬ……けど……父さんも死ぬかも……でも僕が先に死ぬかも)」
滝汗がボトボトと流れる。
床にできる水たまり。水というか汗だが。
ルーファスの顔面は青を通り越して白くなりつつある。
眼も白黒してきて、頭もクラクラする。
ついに体が痙攣しはじめた。
明らかに可笑しいルーファスの様子に周りもざわめき立つ。
教団員が威嚇する。
「静かにしろ!」
客たちは静かになったが、ルーファスを放って置くわけにもいかない。病人は作戦遂行の邪魔だ。
「おい、どうした!」
教団員がルーファスに尋ねるが、返事など返ってこないのは一目でわかる。
大きく痙攣しながら白目を剥いたルーファスが、いつに泡を口から噴いて椅子から転げ落ちた。
女性客の悲鳴があがった。
予期せぬ事態に焦る教団員。
その一瞬の隙を突いてリファリスが動いた。
彼女は席を立つと同時に今座っていた椅子で教団員を殴りつけたのだ。
よろめく教団員からルーベルが解放された。
しかし!
「なぜ助けた!」
叫んだルーベル。
リファリスは唖然とした。
「は?」
そして、すぐに言葉を吐き出す。
「あんたがクソ野郎でも、助けるに決まってんだろ!」
その発言はルーベルの言葉の意味を間違って解釈していた。
ルーベルが言いたかったのはそういうことではなかった。
「仲間がいたらどうするのだッ!」
敵の仲間の有無を確認できるまで、人質と甘んじていることで、騒ぎを大きくしないようにルーベルは勤めていたのだ。
客の一人が立ち上がった。
「作戦ベータに変更だ!」
叫びながら男は手から氷の刃をルーベルに向けて放った。
ルーベルは呪文を唱える。
「ファイア!」
刹那にして氷が蒸気に変わる。
だが、敵は氷の刃を放つと同時に、仕込み杖の刃も抜いていた。
細く尖った切っ先がルーベルの胸を突かんとする。
「トイレー!」
場違いな叫び声。
眼を剥きながら倒れたルーベル。
鋭い切っ先が刺したのは、ルーベルではなくルーファスの胸だった。
なにが起きたのか?
それは腹痛のあまり暴走したルーファスが、脳内から状況がぶっ飛んでしまい、ただ一心にトイレへ向かおうと駆け出したときだった。周りが見えなくなっていたルーファスは、偶然にもルーベルの体を押し倒し、自らが刃の餌食となってしまったのだ。
なにも言えずに倒れてままのルーベル。
ローザもディーナも言葉を忘れた。
リファリスが叫ぶ。
「ルーファス!」
リファリスは仕込み杖を持った男を殴り倒し気絶させ、ルーファスの体を抱きかかえた。
「しっかりしろルーファス!」
「ううっ……痛い……お腹が……死ぬぅ」
「ルーファス! 助かる、絶対に……ん……おなか?」
おかしなことにリファリスは気づいた。
ルーファスが刺されたのは腹部ではなく胸のはずだ。
そのとき、ルーファスの内ポケットから何かが転がり落ちた。
床に落ちたそれを見たルーベルはハッとした。
「わしがやった懐中時計?」
それはルーベルがルーファスに贈った懐中時計。
とても古い物で、ルーベルもまた父から贈られた品だった。
「ずっと持っておったのか……(おまえが幼稚園に入学してから、長い月日が経ったといのに)」
あのときはまだ、ルーベルはルーファスに期待を抱いていた。だからこそ、父から受け継いだ懐中時計をルーファスに託した。
リファリスはルーファスの胸を確かめ、傷などないことを確認すると、懐中時計を拾い上げて握り締めた。
「わっちがくれって言ったのにくれなかった時計か。ルーファスがもらってよかったよ、これがルーファスの命を救ったんだらな」
仕込み杖の刃は懐中時計が受け止めていたのだ。懐中時計には受けた刃が深く穿たれていた。
「きゃーっ!」
女性の悲鳴だ!
リファリスとルーベルが感傷に浸っている間に、まだ身を潜めていた別の敵が姿を現したのだ。
敵の数は今確認できるだけで男女2人。
その2人はなんとディーナを人質に取って逃げようとしているところだった。
リファリスはすぐに動けなかった。
動いたのはルーベル。
「スパイダーネット!」
手から放たれた網がディーナごと敵を捕らえようとする。
だが、捕らえられたのはディーナだけ。敵は易々と人質を捨てて逃げたのだ。
「しまった!」
ルーベルが苦虫を噛み潰した。
ディーナ誘拐は陽動だったのだ。
作品名:魔導士ルーファス(1) 作家名:秋月あきら(秋月瑛)