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年末年始

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17:明日へ



「ただいまー」
誰も居るわけがない自宅に向けて、克樹は帰宅の挨拶をする。「いってきまーす」は全くといっていいほど言ったことがないのだが、なぜかこちらの方は呟いてしまうのだ。
 当たり前だが、家の中の状況は年末に出発したときのままだった。中途半端に開いたカーテン、敷きっぱなしのせんべい布団。無造作に放り投げられた衣服。積み上げられたマンガ雑誌。隅っこがほこりまみれのフローリング。口を縛ったまま捨てられる日を待つゴミ袋。出たときと比べて変わっているのは、恐らく時計の針くらいのものだろう。
 そうだ。もう一つ。克樹はテーブルの上に置かれている充電器から、会社用の携帯を取り外し開く。大崎さんからの不在着信が二件。時間も昨日の晩で辻褄が合っている。
「とりあえず、今日は着信来てないな」
個人のスマホにも着信がないことを改めて確認し、一先ず安心した克樹は、携帯を充電器に戻すついでに、夕食に食べるコンビニ弁当をテーブルに置く。
 シャワーを浴びて部屋着に着替え、電子レンジでコンビニ弁当を温める。その時間を利用してPCを起ち上げ、年末以来訪れていなかったサイトの記事などを見ながら、温まったコンビニ弁当を掻き込んだ。
「そうだ。コーヒーでも飲むか」
立ち上がり、キッチンへと向かう。かなり久々にインスタントコーヒーの瓶を開け、目分量で粉をマグカップに振り落とす。
「あ、お湯沸いてないんだった」
実家へ向かう前にポットを空にしていったことを思い出し、慌ててやかんに水を入れて火を点け、湯を沸かし始める。
「あ、牛乳ない」
冷蔵庫を開き、中身を確認して始めて気づく。克樹はブラックでも飲めるが、できればミルクと砂糖を入れたい派である。まあ、ミルクはなくともさすがに砂糖くらいはあるだろう、そう思い開いた戸棚には、空の砂糖入れが鎮座ましましていた。
「……」
克樹は実家から帰ってきて、改めて一人暮らしの不自由さを痛感した。実家なら、これらのことはそれこそ意識すらしない。例えコーヒーを飲む際に何かが無いことに気づいても、母に一声かければ即座に解決してくれる。それだけではない、下手したら代わりに豆から挽いた美味しいコーヒーを煎れてくれたりもするのだ。
「やっぱり、母ってのはすごいんだなあ」
ため息をついた後、克樹は自然と感嘆の科白を口にしていた。
「そうだよな。口うるさいだけのわけがないよな」
上げ膳、下げ膳、風呂、掃除、洗濯。パッと考え付くだけでもこれだけの事をしてくれている。なんて素晴らしいんだろう。恐らくそれだけじゃない。自分の考えも及ばないところまで、母の手はきっと届いているのだろう。その快適さは、克樹にとって失って初めて気づくものだった。克樹は、住まいに戻ってきて初めて、河西家の家事を一手に切り盛りしている母の素晴らしさを実感したのだった。
 その後、紆余曲折を経てどうにかコーヒーは完成し、克樹は食後の一服にありつくことができた。ブラックなのはいささか不満ではあったが。
「なるほどなぁ」
「え、どゆこと」
「いや、それはどうだろう」
「あぁ、そういうことか」
コーヒーをすすりつつPCを見ている最中、ふと気がつくと克樹は、独り言が多くなっていることに気がついた。何かストレスでも溜まっているのだろうか。それとも、家族と共に暮らしていた生活が恋しくて、孤独感を感じ始めているのだろうか。
 どちらにしても、これは一時的なことだろう。明日以降の仕事に追われる生活にまた戻れば、きっと、このような症状も出なくなるんじゃないかと思う。
 あっという間に深夜になった。長い休暇の最終日も、もう終わりを告げようとしている。明日は、大崎さんの指示通り、何があっても会社に出社しなければならない。克樹はPCの電源を落とし、目覚ましのアラームをセットしたことを確認して、せんべい布団に潜り込んだ。
『次、まとまった休みが取れたら、また実家に帰るのもいいな』
足が遠のいていた実家が、意外に良いものだと感じていることを、克樹は遅まきながら悟った。
『そのためにも、また明日から頑張らないと』
掛け布団が生み出す闇の中でそんな風に考えながら、克樹の意識は次第に薄れていった。


━了━

作品名:年末年始 作家名:六色塔