去りゆく人へ
去り行く人へ
3
藤岡先輩との連絡が途絶えたのは三か月前のことだった。
「ただいま、電話をとることが出来ません。ピーっと・・・」
ボクはそれを最後まで聞くことなく電話を切った。
今は日曜日、午後七時。
『日曜の夕方なら電話できるよ。まあ、仕事の疲れをとりたいから短めにな。』
その言葉がボクの頭の中の壁に当たっては反射して、また壁に当たって反射して、まるで静止する気配がない。
どうしてなんだろう。
ボクはスマートフォンの画面をじっと見つめた。
藤岡先輩と初めて会ったのは大学一年生の時だった。
「よお、お前ダーツに興味あんの?」
大学入学当初、ボクが入ろうと思っていたダーツサークルの部室の前で声をかけられた。
「そうですけど、この部室誰もいないみたいで。」
ボクは部室のドアのノブを見つめた。
「そりゃそうだよ。ここのサークル、全然活動してないんだぜ。」
男は少し得意げに、嘲笑したように言った。
髪は茶色く、長い。
革ジャンにジーンズという、典型的なバンドマンという感じだ。
「そうなんですか。」
「そうそう。」
「お前、俺のこと知ってる?」
「いや、知りませんけど。大学入ったばっかりですし。」
「そっか、それは、いいな。」
男は訝しげに見るボクに気が付いた。
「いや、なんだ、この季節になると一年生の顔の区別がつかなくってな。」
「はあ。」
「俺は藤岡大樹だ。よろしくな、後輩。」
「どうも。」
「ところでお前さ、バンド興味ないか。」
「ないですね。楽器も弾けませんし。」
「うーん、そうか。」
「今、俺がやってるバンドさ、ベース担当が抜けちまって足りないんだ。」
「いや、僕はダーツを・・・」
「とりあえず今から部室に来いよ。」
「えー。」
「お前な、高校までの部活と違って大学のサークルは掛け持ちするのが当たり前なんだから。その方が人間関係も広がるぞ。」
「人間関係・・・」
当時入学したばかりで友達もろくにいなかったボクはその言葉につられ、あったばかりの男に連れられて部室へ向かったのだった。
これは二年生になった時に知ったのだが、あの日ダーツサークルは代表が風邪をひいていて、偶然休みだっただけらしい。
「ほら、ここだよ。」
先輩がドアを開けた。
8畳ほどの空間にはドラムセット、スピーカー、ギター、何やら分からない機材がところせましと置かれていた。
ボクらの他に人はいない。
「これ、持ってみ。」
先輩がボクに楽器を渡した。
持ってみると意外に重い。
「それがベースだよ。重いだろう。」
「はい。」
「楽器は重ければ重いほど、音も重くなるからな。よし、じゃあ、やってみようか。」
「いやあ、ボクまだやるとは・・・」
「いいからいいから。意外にモテるんだぞ、ベースはな。」
これがボクと藤岡先輩の出会いだった。
結局ボクはその後、大学三年生になるまでベースを弾くことになる。
ボクは壁に立てかけられたそれを見つめた。
大学一年生の夏にアルバイトをして買ったものだ。
なんだかんだ言ってボクはバンド活動にのめり込んだ。
といっても、大学四年生になってからは一度も楽器に触れていない。
久しぶりに手に取って一番上の弦を震わせてみる。
ボーンと小さく、低い音が鳴った。
チューニングが少しずれている。
『いいか、それがEだ。その下がA。んで、D、G。』
『なんですか、それは。』
『いいか、音楽にはコードっていうものがあって、ベースはそのルート音を・・・』
まだ覚えている。
藤岡先輩。
もう二度と会えないのだろうか。
藤岡先輩のバンドがサークル内で孤立しているのに気が付いたのはボクにとって初めてのライブのリハーサルをしている時だった。
普段顔を合わせない他のバンドメンバーの姿に緊張しながらステージに向かう。
「藤岡さん、どうやったら緊張ほぐれますかね。」
ふと話しかけたが先輩もボクと同じく緊張して見えた。
「ん、ああ。そりゃあお前、最初は誰だって緊張するさ。」
普段と違う先輩の表情に疑問を抱きながらもボクは楽器の準備を始めた。
「はい、じゃー準備ができたら始めてください。」
観客席に座っているサークルの代表が手を挙げる。
ボクらはドラムのカウントに合わせて演奏を始める。
バンドはボクがベース、藤岡先輩がギターボーカル、藤岡先輩の同級生であるドラムとリードギターの構成だ。藤岡先輩曰く、これがバンドの王道らしい。
曲の一番だけ演奏し終わるとボクは代表を見つめた。
観客席からどう聴こえたのか意見を仰ぐのをボクらの前のバンドがやっていたからだ。
しかし代表はチラリともこちらを見ない。
「藤岡さん、代表どうしたんですかね。」
ボクは藤岡先輩を見つめる。
「さあな。いいさ、俺が観客席に行くからもう一回演奏しよう。」
藤岡先輩はギターとアンプを繋いでいるケーブルを長いものに替えると、観客席に向かった。
リハーサルが終わった帰り道、藤岡先輩はバツが悪そうに切り出した。
「悪いな。」
「何がですか。」
「俺達のバンド、代表に良く思われてないんだ。」
「ボクらのバンドっていうよりは藤岡さんが、じゃないですか。」
ボクは冗談交じりに言った。
「かもな。」
冗談で帰ってくるかと思いきや、どうやら本気で悩んでいるらしい。
「代表と俺の間に何か決定的な出来事があったわけじゃないんだけど、俺が一年生の時に代表のバンドを脱けてから変な噂が立ったりしてな。それで、なんとなくだよ。」
「藤岡さん、悪くないんじゃないですか。」
うーん、と藤岡先輩は唸った。
「どうだろうな、そんなもんなんだよ。きっと、人と人の間に溝が出来るっていうのは。漫画みたいに殴り合いの喧嘩とか、泣きながら言い合うとか、そういう分かりやすいものじゃない。」
「そうなんですかね。」
「たぶんな。」
しばらく二人の間に重苦しい空気が流れた。
藤岡先輩は大きく深呼吸をした。
「やめだやめだ。俺、こういう空気大っ嫌いなんだよ。今からお前のアパート行くぞ。酒でも飲もうぜ。」
「良いですね。じゃあ、コンビニ寄りますか。」
「おう。」
藤岡先輩はいつも部屋のフローリングに直に座る。
一応ボクの部屋には座布団とか座椅子とかはあるのだけど、先輩は遠慮する。
おまけに自分で買ってきた酒やお菓子のゴミは必ず自分で持ち帰る。
変なところで真面目だといつも思っていた。
ボクは藤岡先輩がいつも座っていた定位置を見つめた。
「何でお前が一番怒っているんだよ。」
「だってどうかんがえてもおかしいじゃないですか。」
「それは、そうだよなぁ。」
ボクらはバンド練習を終え、いつもの道を歩いていた。
「俺もさ、まさかここまでやられるとは思ってなかったよ。まさか、ここまで嫌われているなんてな。」
それは他でもない、来る大学祭でのライブの事だった。
大学祭のステージに出られるバンドというのは時間の都合上、数が限られている。
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藤岡先輩との連絡が途絶えたのは三か月前のことだった。
「ただいま、電話をとることが出来ません。ピーっと・・・」
ボクはそれを最後まで聞くことなく電話を切った。
今は日曜日、午後七時。
『日曜の夕方なら電話できるよ。まあ、仕事の疲れをとりたいから短めにな。』
その言葉がボクの頭の中の壁に当たっては反射して、また壁に当たって反射して、まるで静止する気配がない。
どうしてなんだろう。
ボクはスマートフォンの画面をじっと見つめた。
藤岡先輩と初めて会ったのは大学一年生の時だった。
「よお、お前ダーツに興味あんの?」
大学入学当初、ボクが入ろうと思っていたダーツサークルの部室の前で声をかけられた。
「そうですけど、この部室誰もいないみたいで。」
ボクは部室のドアのノブを見つめた。
「そりゃそうだよ。ここのサークル、全然活動してないんだぜ。」
男は少し得意げに、嘲笑したように言った。
髪は茶色く、長い。
革ジャンにジーンズという、典型的なバンドマンという感じだ。
「そうなんですか。」
「そうそう。」
「お前、俺のこと知ってる?」
「いや、知りませんけど。大学入ったばっかりですし。」
「そっか、それは、いいな。」
男は訝しげに見るボクに気が付いた。
「いや、なんだ、この季節になると一年生の顔の区別がつかなくってな。」
「はあ。」
「俺は藤岡大樹だ。よろしくな、後輩。」
「どうも。」
「ところでお前さ、バンド興味ないか。」
「ないですね。楽器も弾けませんし。」
「うーん、そうか。」
「今、俺がやってるバンドさ、ベース担当が抜けちまって足りないんだ。」
「いや、僕はダーツを・・・」
「とりあえず今から部室に来いよ。」
「えー。」
「お前な、高校までの部活と違って大学のサークルは掛け持ちするのが当たり前なんだから。その方が人間関係も広がるぞ。」
「人間関係・・・」
当時入学したばかりで友達もろくにいなかったボクはその言葉につられ、あったばかりの男に連れられて部室へ向かったのだった。
これは二年生になった時に知ったのだが、あの日ダーツサークルは代表が風邪をひいていて、偶然休みだっただけらしい。
「ほら、ここだよ。」
先輩がドアを開けた。
8畳ほどの空間にはドラムセット、スピーカー、ギター、何やら分からない機材がところせましと置かれていた。
ボクらの他に人はいない。
「これ、持ってみ。」
先輩がボクに楽器を渡した。
持ってみると意外に重い。
「それがベースだよ。重いだろう。」
「はい。」
「楽器は重ければ重いほど、音も重くなるからな。よし、じゃあ、やってみようか。」
「いやあ、ボクまだやるとは・・・」
「いいからいいから。意外にモテるんだぞ、ベースはな。」
これがボクと藤岡先輩の出会いだった。
結局ボクはその後、大学三年生になるまでベースを弾くことになる。
ボクは壁に立てかけられたそれを見つめた。
大学一年生の夏にアルバイトをして買ったものだ。
なんだかんだ言ってボクはバンド活動にのめり込んだ。
といっても、大学四年生になってからは一度も楽器に触れていない。
久しぶりに手に取って一番上の弦を震わせてみる。
ボーンと小さく、低い音が鳴った。
チューニングが少しずれている。
『いいか、それがEだ。その下がA。んで、D、G。』
『なんですか、それは。』
『いいか、音楽にはコードっていうものがあって、ベースはそのルート音を・・・』
まだ覚えている。
藤岡先輩。
もう二度と会えないのだろうか。
藤岡先輩のバンドがサークル内で孤立しているのに気が付いたのはボクにとって初めてのライブのリハーサルをしている時だった。
普段顔を合わせない他のバンドメンバーの姿に緊張しながらステージに向かう。
「藤岡さん、どうやったら緊張ほぐれますかね。」
ふと話しかけたが先輩もボクと同じく緊張して見えた。
「ん、ああ。そりゃあお前、最初は誰だって緊張するさ。」
普段と違う先輩の表情に疑問を抱きながらもボクは楽器の準備を始めた。
「はい、じゃー準備ができたら始めてください。」
観客席に座っているサークルの代表が手を挙げる。
ボクらはドラムのカウントに合わせて演奏を始める。
バンドはボクがベース、藤岡先輩がギターボーカル、藤岡先輩の同級生であるドラムとリードギターの構成だ。藤岡先輩曰く、これがバンドの王道らしい。
曲の一番だけ演奏し終わるとボクは代表を見つめた。
観客席からどう聴こえたのか意見を仰ぐのをボクらの前のバンドがやっていたからだ。
しかし代表はチラリともこちらを見ない。
「藤岡さん、代表どうしたんですかね。」
ボクは藤岡先輩を見つめる。
「さあな。いいさ、俺が観客席に行くからもう一回演奏しよう。」
藤岡先輩はギターとアンプを繋いでいるケーブルを長いものに替えると、観客席に向かった。
リハーサルが終わった帰り道、藤岡先輩はバツが悪そうに切り出した。
「悪いな。」
「何がですか。」
「俺達のバンド、代表に良く思われてないんだ。」
「ボクらのバンドっていうよりは藤岡さんが、じゃないですか。」
ボクは冗談交じりに言った。
「かもな。」
冗談で帰ってくるかと思いきや、どうやら本気で悩んでいるらしい。
「代表と俺の間に何か決定的な出来事があったわけじゃないんだけど、俺が一年生の時に代表のバンドを脱けてから変な噂が立ったりしてな。それで、なんとなくだよ。」
「藤岡さん、悪くないんじゃないですか。」
うーん、と藤岡先輩は唸った。
「どうだろうな、そんなもんなんだよ。きっと、人と人の間に溝が出来るっていうのは。漫画みたいに殴り合いの喧嘩とか、泣きながら言い合うとか、そういう分かりやすいものじゃない。」
「そうなんですかね。」
「たぶんな。」
しばらく二人の間に重苦しい空気が流れた。
藤岡先輩は大きく深呼吸をした。
「やめだやめだ。俺、こういう空気大っ嫌いなんだよ。今からお前のアパート行くぞ。酒でも飲もうぜ。」
「良いですね。じゃあ、コンビニ寄りますか。」
「おう。」
藤岡先輩はいつも部屋のフローリングに直に座る。
一応ボクの部屋には座布団とか座椅子とかはあるのだけど、先輩は遠慮する。
おまけに自分で買ってきた酒やお菓子のゴミは必ず自分で持ち帰る。
変なところで真面目だといつも思っていた。
ボクは藤岡先輩がいつも座っていた定位置を見つめた。
「何でお前が一番怒っているんだよ。」
「だってどうかんがえてもおかしいじゃないですか。」
「それは、そうだよなぁ。」
ボクらはバンド練習を終え、いつもの道を歩いていた。
「俺もさ、まさかここまでやられるとは思ってなかったよ。まさか、ここまで嫌われているなんてな。」
それは他でもない、来る大学祭でのライブの事だった。
大学祭のステージに出られるバンドというのは時間の都合上、数が限られている。