いとこ
5
宴兄さんは私の「ここにとにかく深い穴を掘って下さいな」という普通なら聞き入れないだろう願いを二つ返事で聞き入れてくれた。私が「花実」であるというただそれだけの理由で。この城に限れば私は確かに神様だった。
長い時間をかけて私と同じ顔をした女の子を埋葬する。花実が庭付きの家を選んでくれていて助かった。誰かに見られていたら宴兄さんが大変なことになってしまう。
手に付いた汚れを落として、まだやっていなかった食器の後片付けをしようかと思い、彼の隣を離れようとする。けれど、それは許されなかった。
「宴兄さん?」
体を引き寄せられ彼の腕の中へと閉じこめられる。決して激しいものではない。むしろその逆でまるですぐに壊れてしまう何かだというような手つきで私を包み込む。
「……怖いんですか? 私が、二回もいなくなってしまったから?」
返事はない。ただ、細かく手が震えている。
「宴兄さん、私どこにも行かないわ」
まるで幼子をあやす母親のようだと思いながら、私は言った。震えている彼の手に自分の手を重ねる。同じような体温の手が合わさっても暖かくなるわけではなく。
「宴兄さん」
「……小さいときから、ずっと一緒だった」
耳元で低い声が囁く。
「ええ」
「いとこの三つ子が珍しくて、綺麗で」
「ええ」
首筋に顔を埋められる。くすぐったいわ、と私は言ったけれど彼にその声は届かない。
「でも、君が一番綺麗だった。何故かな、何故だろうか。君達の中身がまるで違ったから……? よく分からないな、でもそんなことどうでもいい」
「ええ」
花実はそんな小さな頃の記憶までも彼女の世界にしてしまったのか。宴兄さんがこうなるまで何度も脅迫まがいの愛を捧ぐ花実が容易に想像できた。
「君はやっと僕のところに来てくれた」
「ええ。ずっと宴兄さんの傍にいるわ。もう離れない」
「……本当に?」
彼の震えが小さくなった気がした。
「どこにも行かないわ」
「……君は僕のものになってくれる?」
「……最初から、私は貴方のものだわ、宴兄さん」
「雪実のものではなく?」
カチリ、と時計の針が一つ進んだ音がした。今まで気にも留めていなかったその音が何かを狂わせ始めた音のようにも花実が掛け続けていた魔法を解いてしまう音にも感じられた。
彼の低く、柔らかい声。黙ってしまった私の首筋に、髪に、頬に口づけをする彼。私を花実だと思い、花実を愛故に壊してしまった筈の彼。
「雪実? どうして雪実の名前を? ねえ宴兄さん私だけを見て? 雪実でも月実でもなくて、花実を」
私は私達の約束を果たすために花実の魔法をもう一度かけようとする。体のどこかで「そんなのはもう無駄だ」と囁いているのを無視して。
「ねえ月実、君は雪実のものではないの?」
兄さんはハッキリと私の名を口にする。
その時になってようやく私は雪実を埋めてしまった時から「花実」と呼ばれていないことに気付く。
月実、聞いてる? と私のあちこちに口づけながら彼は私に問う。
「……あとはどこに触れられたんだろう、ねえ、月実」
「うたげにいさん、なんで」
いともたやすく私の名を呼ぶ。花実の虜だった彼が。「月実」を花実の妹だとしか思っていなかった彼が。
壊されていた筈の彼が。
「いつか花実の代わりとして来てくれるって、信じていたから。僕が壊れた振りをしていれば」
壊されていた? 誰が?
私の周りにはおかしい人しかいないわ、と言っていた雪実のことを思い出す。私がおかしいせいで、私の周りも皆どこかおかしいのよ。
「今、雪実のこと考えてた?」
「いいえ……」
「怒らないよ。ただ、月実のことは何もかも分かるだけ」
彼の表情は見えない。記憶の中の彼と同じ優しい声。体温の高くない手のひら。
「花実は何も知らないよ。僕が花実のことを好きだから首を絞めたと思ったまま死んだ。雪実は全部知って此処に来たけれど。ねえ月実、僕が好きでたまらないものを壊すと思っていた?」
こんな風に、と首にそっと両手が巻き付く。ほんの少しの、おままごとのように可愛らしい圧迫感。
「ああ、本当だ。月実が僕のものになったような気がする」
きゅっと力が込められる。
「にいさん、いや」
そう言うと、するりと首に当てられていた手は取れ、また同じように腰に手を回される。
「もう一生しない。月実、ごめん。もう君が苦しいと思うことも痛いと思うことも何もしない。だからただ僕の傍にいてほしいんだ。こんなにも待ったんだ。こんなにも君が来ることを」
「……花実と雪実を、殺してまで?」
「そう、そうしてまで月実がほしかったから」
いとも簡単にそう言う彼に抱きしめられながら、私はついにそっと微笑んだ。
これが幸せだと感じてしまう私もやはりおかしいんだろうと思う。
私は花実が殺されたことを悲しまない。こうなってしまたのは彼女のせいだから? いいえ、そうではない。私は最初から隠していた。私が彼女の死を悲しまないのは、あんなにも愛してくれた雪実の亡骸を前に微笑むことができたのは、ただ単純に、私を愛してくれている彼のことを愛していたからに過ぎない。
この世界でそのことを知っているのは、きっと私を愛してくれたあの子だけ。
ゆっくりと彼の手を解き、私は彼と向き合うと彼の唇に触れた。
「ねえ宴兄さん」
私は彼の首に手を伸ばす。
ずっとこうしたかったのだと、彼を私のものにしたかったのだと、伝える為に。
もしそれが貴方を失うことになったのだとしても。